時計愛好家の生活 N.T.さん「小学生の頃、ロレックスに付いていた王冠マークが宝物のように見えて」

FEATURE本誌記事
2024.03.16

「時計愛好家特集を拝見すると皆さんすごい時計をお持ちですよね。私なんかのコレクションで大丈夫ですかね……」。挨拶を交わしたあと、心配そうに恐縮するN.T.さん。いやいや、そんなことはないです! これぞ本物の時計愛好家だと感心させられたのがまずヴィンテージクロノグラフの数々だ。これらを含め200本ほど所有する時計についてストラップによる美観の探求に余念がないというから驚く。収集から一歩先に進んだ楽しみを教えてくれたNさんだ。

N.T.さん
58歳。都心で不動産会社を経営。子供の頃から時計に憧れていたが、のめりこむようなマニアではなかった。サラリーマンを経て20年前に自身の会社を設立してからは好きな時計を買い集めた。鑑賞用は買わない、着けるための時計という方針のもとで、ドレス系からスポーツ系、アンティークまで幅広く手に入れた。インスタグラムおよびツイッターでは「時計好きの不動産屋さん」のハンドルネームで知られている。
三田村優:写真
Photographs by Yu Mitamura
菅原茂:取材・文
Text by Shigeru Sugawara
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年3月号掲載記事]


「時計は着けて楽しむもの。ストラップひとつで見栄えも断然良くなりますね」

愛車のメルセデスAMG GTCとともに撮影に臨んだNさんが腕に着けているのは、ゼニス最初期の自動巻きクロノグラフ「エル・プリメロ」の1969年か70年に作られたオリジナルモデル。しかも、特徴的なケースやグラデーションのブラウンダイアルを完全復刻したリバイバルが人気の的になっているA385タイプである。ヴィンテージクロノグラフを愛好するNさんらしいセンスの良い1点だ。カスタムストラップも時計によく似合っている。

 オフィスのテーブルに所狭しと大量の時計を並べて我々を出迎えてくれたNさん。時計愛好家といっても、これはもう筋金入りのマニアに違いないというのが初対面の第一印象だった。圧倒的な本数のヴィンテージクロノグラフに目が釘付けになった筆者は、まるで時計を探して専門店を訪れたひとりの客のような気分に誘われた。

「コロナ禍のここ3年ほどで100本くらいは買いました」とこともなげに語るNさんの話には舌を巻くが、これらはコレクションの一部。ヴィンテージクロノグラフとはまた傾向の違う時計愛好家のストーリーがあった。それは子供時代にまで遡る。

「小さい時から大人の時計に憧れがありましたね。小学生の頃、マンガに載っていた金時計のロレックスに付いていた王冠マークが宝物のように見えて強く印象に残りました。何というかシンボルが好きで、パン屋さんのバスに付いていたフォルクスワーゲンのVWマークなんかもそうでしたね」

「ブルガリはもっと評価されるべき」と語るNさんが愛用しているのは、薄型の洗練された「オクト フィニッシモ」。右は世界的に有名な建築家・妹島和世氏とのコラボで、ミラー効果を放つサファイアクリスタルのダイアルを配した限定モデル。左は「オクト フィニッシモ」10周年を記念する「オクト フィニッシモ クロノグラフ GMT オートマティック」。ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニが描いた最初のスケッチをモチーフにしたダイアルが実にユニーク。

 高校生の頃に自分で買ったのはカシオのデジタル時計だった。その後はトライアスロンのような力強いものに憧れて、大学生の頃、セイコーのトライアスリートを購入。Nさんにとって〝1980年代のカッコいい〞を象徴するデジタルのスポーツウォッチが大いに魅力的に見えたのだ。

「ところがですね、大学のキャンパスで裕福な家庭の学生がロレックスなんか着けているわけですよ。いいな、なんて見ていてやっぱり憧れましたね。社会人になってもっとカッコいい時計が欲しいと思って、24歳の時、オメガのシーマスター 300を手に入れました。クォーツでしたが」

時計ベルト工房の松下庵によるロング台座付きクロコダイルストラップを装着し、1960年代のカーレースの熱気が伝わってくるようなクロノグラフの数々。ムーブメントも伝説の名機揃いだ。(右から)バルジュー72搭載のエニカ「シェルパグラフ」(1962年)。オメガのこれも名機の誉れ高いCal.321搭載のスピードマスター第4世代モデル(1966年)。ホイヤー「オータヴィア」Ref.2446(1960年代)もバルジュー72を搭載。左端、もうひとつのホイヤー製クロノグラフは、旧西ドイツ空軍用「TYPE1」というレアモデル。搭載ムーブメントのバルジュー230は、フライバック機能があり、同時代のブレゲ「タイプXX」などにも用いられていた。

 この「シーマスター 300」に始まるオメガ愛好は現在までずっと続くことになる。そしてまた、これとは別にこんなエピソードも披露するNさん。

「30代で転職した時のこと。その会社の人がジャガー・ルクルトのマスター・コントロールを着けていたんですね。そういう会社はいいと思って入社を決めました」

 世の中にはそんな転職の動機もあるのだなと感心する。そして彼自身も同ブランドの人気モデル「マスター・ジオグラフィーク」を手に入れた。機械式が復活してスイス時計界が活気を取り戻した1990年代は、ジャガー・ルクルトにとっても文字通り躍進の時代。独自のワールドタイム機能を搭載した「マスター・ジオグラフィーク」は当時を代表する名作だった。

コロナ禍でトレーニングもままならず、リモートで仕事を続けていたときに時計雑誌やネットの情報を頼りに日々収集に励んだのは、戦前や戦後のヴィンテージクロノグラフだ。集め始めたら一気呵成という感じで、コレクションは3年ほどで約100本に達した。「これらの時計に精度とかは求めません。それぞれに似合うストラップを着けて、カッコよく見せることが目的ですね」と笑うNさん。また、個々のモデルの詳細なスペックを即答できるほど精通しているのも凄い。

 90年代、次にNさんの心を動かしたのがパネライである。ミリタリーオリジンの今までにない力強くスポーティーなデザインに魅了された。当時普及し始めたインターネットで調べたり、実際に時計店で下見したりするなどして興味を募らせた。そして、39歳で自身の不動産会社を設立した際に真っ先に買ったのはパネライだった。

「当時は30万から40万円くらいの手頃な時計を年に1本くらい買っていましたが、マニアックに時計を収集するほうではなかったですね」と振り返る。

パネライは1990年代後半に興味を持ってから今まで33本を手に入れてきた。最近のモデルは2022年発表の「ラジオミール ブロンゾ」。「サブマーシブル」以外で初めてブロンズを採用したケースはまた一段と新鮮だ。Nさんは、1940年代にイタリア海軍に供給されていたパネライの歴史的な時計に備わる「74」と呼ばれるストラップを、職人が手作りで再現する松下庵にさっそくオーダー。ヴィンテージ加工が施されたこのヌメ革ストラップで現代モデルに当時の姿をまとわせる。

 40代になり、仕事が多忙になる中でジムに通いトレーニングに励むようになる。

「こんどはタフな時計が好きになりました。オメガの代表的なクロノグラフのスピードマスター、それと本格ダイバーズのシーマスター 300です。無人島にひとつだけ持っていくならシーマスターかな。どちらも他に似ているモデルがないという独特の個性があるところもいいですね」

 オメガの「スピードマスター」に関しては、NASAのアポロ計画にまつわる60年代の貴重な第3世代や第4世代モデルをはじめ、独特なムーンシャインゴールドやセドナゴールドで作られた現代のラグジュアリーモデルなど19本を所有する。スピードマスター関連の本も読破し、若い頃からお気に入りの「スピードマスター」について詳しく語るNさんは、実に楽しそうだ。

「スピードマスター」はヴィンテージから現行品まで、さまざまなモデルを手に入れてきた。(右から)セドナゴールドによる現行の「ムーンウォッチ プロフェッショナル コーアクシャル マスター クロノメーター」は、完璧な精度をNさんも絶賛。1960年代の第3世代モデルは、50年代のレトロなメッシュブレスレットを組み合わせ、カーレース時代に開発されたオリジナル「スピードマスター」の雰囲気を楽しむ。9時位置にバズ・オルドリンが月面に降り立つ様子をレーザーで刻む2019年のアポロ11号50周年記念限定モデルや、第4世代「ムーンウォッチ」をムーンシャインゴールドで現代的にアレンジした現行モデルも精度や品質が抜群の傑作だ。

 Nさんのコレクションは、この「スピードマスター」のように、スポーティーでタフな時計ばかりで占められているかと思えば、そうでもない。ブランパンのドレッシーで上品な「レマン」や「ヴィルレ」も何点かある。さらに最近ではブルガリが「オクト フィニッシモ」の10周年を記念して発表した特別なクロノグラフや、建築家の妹島和世氏とコラボした限定モデルなど、斬新な現代デザインが際立つスタイリッシュなモデルも手に入れた。これらに共通しているのは薄さ。日常はスーツスタイルが基本なので、着けやすさもポイントなのだ。「時計はあくまでも使うもの。鑑賞用の時計は買わない」という考えは一貫している。

 Nさんの関心はまた、時計をカッコ良く見せる手法にも向けられた。

「ストラップが好きですね。ストラップは時計の見た目を左右します。時計本体とストラップはクルマのホイールとタイヤのような関係。これらが合っていないとカッコ良くないですよね。ストラップを替えると時計がぐんとカッコよくなる」

歴史的な名作クロノグラフムーブメントの愛好家には見逃せないモデルもけっこう揃う。右は1960年代のティソのクロノグラフ。3インダイアルの手巻きムーブメントはレマニアのCal.1280で、同時代のオメガ「スピードマスター」に搭載されたCal.861のベースとしても有名だ。中央は本家レマニアの1940年代モデル。搭載ムーブメントは戦前のレマニアを代表するCal.15TLだ。左は1950年代のレマニア。搭載するのはこれまたヴィンテージクロノグラフの愛好家の間ではおなじみのCal.27CH-C12。言わずと知れた「スピードマスター」のCal.321のベースとされる名機である。それにしても、Nさんはムーブメントにおいても「スピードマスター」つながりだ。

 ストラップによる見栄えの実験例とも呼べるのが、まさしく冒頭で触れた膨大なヴィンテージクロノグラフのコレクションである。もともとアンティークウォッチに興味があり、古くても価値あるものを大切にしたいというNさんは、自ら選んだストラップを装着して見栄えを演出することに情熱を注いでいる。「ありきたりの黒いストラップなどが付いていたらアンティークウォッチはただ古臭いだけ。これらの古き良きクロノグラフも魅力的に見えない」と語るが、まったく同感である。

 戦前や戦後に作られたクロノグラフを引き立てるべく、Nさんは1点1点に合わせてストラップのカラーや素材、ステッチなどのディテールを吟味した。まるで顧客の体つきや好みに合わせて最適なスーツを仕立てるテーラーのようだ。実際にNさんがストラップの製作を依頼するのは、カスタムストラップを得意とする時計ベルト工房の松下庵。Nさんのイメージ通りに仕上がる職人の手作りに全幅の信頼を寄せている。

ヴィンテージクロノグラフといえば、愛好家垂涎の的がミネルバである。4本とも手頃な価格で手に入れたという。右の2本は1930年代のモデル。小径のケースに洒落た可動ラグが付く、アンティークウォッチ市場でもなかなか見つからない稀少なデザインだ。左の2本は40年代のモデルで、デザインに関してはごくスタンダード。とはいえ、もちろんカスタムストラップを装着してカッコよく仕立てた。ミネルバの魅力は、2インダイアルを配した手巻きクロノグラフのCal.13-20CH。ミネルバ以外では手に入らない伝説の自社ムーブメントだ。いずれもコンディションは良好で、プッシュボタンの操作感もスムーズ。現代のミネルバとは違う格別な味がある。

 特にお気に入りは、ブンドストラップというタイプの長い台座付きクロコダイルストラップだ。オメガ、ホイヤー、エニカなど、モータースポーツ全盛時代を彷彿とさせる往年のクロノグラフに装着して、その力強く男っぽい雰囲気を楽しんでいる。

「この種のストラップはポール・ニューマンがロレックスのデイトナに装着していたことで有名になりましたが、F1チャンピオンのジム・クラークが愛用していたエニカのシェルパグラフにもよく似合いますね」

ブランパンのエレガントなドレスウォッチも揃う。シンプルな上質感が気に入っているという。ビジネスシーンにおいて、さりげなく良い時計を着けている人という印象を演出しやすいとか。右上は1995年にブランド260周年を記念して発売された限定モデル「レマン トリプルカレンダー ムーンフェイズ」。右下は「ヴィルレ ダブルウィンドウ クロノグラフ」。どちらもフレンチカーフの軽快なストラップを着けてオリジナルとは違う洒落たイメージに変身。左の「レマン ウルトラスリム」は、2005年発表の270周年記念モデル。こちらは超薄型ケースに対してしっかりしたクロコダイルのストラップを装着し、また違った雰囲気を出している。

 ヴィンテージクロノグラフの概要はオメガやホイヤーをはじめ、30年代から40年代のミネルバ、40年代から60年代のエクセルシオパーク、40年代から50年代のレマニア、69年のゼニスなど粒選りのブランドの名品がずらり。まさに目利きの選択だ。

 トレーニングおたくを自認するNさんがコロナ禍でジム通いが思うようにできず、その結果、収集に熱中したこれらのコレクションとカスタムストラップによる美観の探求について、今後のビジョンを尋ねてみたところ「もう全部で200本くらいになりました。納品待ちの6本が届いたら、これでお終いにしようと思います」という予想外の返答が。まさか、本心だろうか? 時計に注いだこれほどの情熱は簡単に失せるとも思えないのだが……。

ヴィンテージクロノグラフで、スイスのエクセルシオパークをコレクションに加えるとは、相当に通ではないだろうか。クロノグラフで名を馳せ、自社ムーブメントを他ブランドにも供給していたエクセルシオパークは、1980年代に幕を下ろした伝説のブランドだ。タキメータースケールを配した2インダイアルの右の2本は、ダイアルの色違いで、1940年代のデッドストックを入手。ブラウンのストラップでお洒落な雰囲気を醸す。搭載ムーブメントはCal.4だ。イエローのストラップを装着した1950年代のモデルはCal.4-68を搭載。そしてパンチングを施したブラックレザーを装着した1960年代モデルは3インダイアルのCal.40を搭載。どれもマニアの心をとらえる逸品だ。


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