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[アイコニックピースの肖像 35] フランク ミュラー カサブランカ(3/3) 2016年09月号(No.66)

カサブランカ誕生前夜
〝富裕層向けデイリーウォッチ〟を仕掛けた4人

フランク ミュラー躍進の立役者となったカサブランカ。天才時計師の作品を、手の届きやすい価格で提供するというアイデアは、
ある4人のアイデアから生まれたものだった。彼らの間で何が話し合われたかを、当事者たちは決して語ろうとしない。
しかしその顔ぶれから、ブレインストーミングの内容を推察してみる価値は大いにあるはずだ。

   
Roberto CARLOTTI
[ロベルト・カルロッティ]

フランク・ミュラーを世に出した盟友。イタリア代理店の経営者として同ブランドの普及に努めた。2001年にヨーロピアン・カンパニー・ウォッチを創業。2004年没。
   
Franck MULLER
[フランク・ミュラー]

1991年に、ヴァルタン・シルマケスと共同でテクノウォッチ社を創業。96年から資本参加したシルマケスと不仲となり、2000年代に入ってグループを離れるが、数年後に和解。

   
Carlos DIAS
[カルロス・ディアス]

1990年当時は、テクノウォッチのデザイン責任者として活躍。ミュラーとシルマケスのビジネスモデルを学んだ彼は、95年にロジェ・デュブイを創業することになる。
   
Vartan SIRMAKES
[ヴァルタン・シルマケス]

現フランク ミュラーグループCEO。96年から資本参加し、2003年以降グループの全権を握った。シルマケス無くして、トノウ・カーベックスケースの量産は不可能だった。

 1990年代初頭のある日、4人の時計関係者が円卓を囲んでいたと考えていただきたい。その顔ぶれはフランク・ミュラー、ヴァルタン・シルマケス、カルロス・ディアス、そして故ロベルト・カルロッティ。彼らはフランク ミュラー銘でまったく新しい腕時計を作る、という話題に熱中していたに違いない。

 天才時計師として華々しく現れたミュラーは、早くから事業の拡大を考えていた。しかし彼は、ムーブメントは作れるが、外装は自製できない。ケースを量産でき、しかも他メーカーの圧力を受けないメーカーを探していたミュラーは、やがてヴァルタン・シルマケスに出会った。気鋭のケースメーカー、テクノケース社の創業者であるシルマケスは、88年以降、ダニエル・ロート向けに複雑なダブル・オーバルケースを製造。やがて、一層ハイエンドなウォッチメイキングに関心を持つようになっていた。

 優れた時計師と野心的なケースメーカーの邂逅。両者はたちまち意気投合し、91年にはテクノウォッチ社(後のフランク ミュラー ウォッチランド社)を創業した。翌年彼らは、フランク ミュラーの時計をS.I.H.H.に初出展。汎用ムーブメントやオールドムーブメントを載せた時計を少量生産することで、ビジネスを軌道に乗せようとしていたのだ。

 会議に集まった顔ぶれは非常に興味深い。まずは後にヨーロピアン・カンパニー・ウォッチの創業者となるロベルト・カルロッティ。彼は80年代からミュラーの盟友であり、当時はマハラとフランク ミュラーのイタリア代理店を経営していた。そしてカルロス・ディアス。当時のディアスは、テクノウォッチ社でデザイン責任者の立場にあった。彼らが議題に上らせたのは、より広い層にリーチできる時計、つまりはステンレスケースを持つシンプルなコレクションについてであった。

その日、円卓を囲んだ関係者のひとりが、ロベルト・カルロッティ。彼がカサブランカのアイデアを出したという推測はおそらく正しいだろう。これは生前のカルロッティが愛用していた椅子。彼はこうした“味”を、時計に盛り込みたかったのだろう。

 後にフランク・ミュラーはこう語っている。「(当時の)私は非常に複雑な時計だけを製作するつもりでした。当時はヴァルタンに、こんな三針の単純な時計を誰が買うんだい? と言っていたものです。私自身はそんな時計には目もくれなかった。いまだかつて存在しない世界初のコンプリケーションをつくりたいと思っていたので、彼に普通の時計も作ってみたらどうだい? と言われた時には、一瞬判断できず呻ってしまいました」(『フランク・ミュラー —人・時計・ブランドの全軌跡—』より)。しかし日本にブティックを展開する予定があった彼は、普通の時計、つまりは「カサブランカ」を作るというパートナーの提案を受け入れることになる。

 フランク・ミュラーの親友であり、彼の時計を日本に広めた立役者の松山猛氏は、カサブランカの〝背景〟をこう説明する。「カサブランカのアイデアを出したのは、当時彼と一緒に仕事をしていたロベルト・カルロッティだと思うね。旅の気分を強調するためにトランク形のボックスを与えたのも、いかにもカルロッティらしいアイデアだ」。松山氏曰く、80年代からフランク・ミュラーのビジネスを支えていたカルロッティは、旅に魅せられていたという。後に彼がヨーロピアン・カンパニー・ウォッチで旅をコンセプトとしたコレクションを打ち出したことを思えば、氏の説明にも合点がいく。

 裏付けの乏しい憶測を許されたい。カルロッティは、当時扱っていたマハラに強く惹かれていたのだろう。2000年8月にフランク ミュラー ウォッチランド グループがマハラを買収し、それを発展解消させる形でヨーロピアン・カンパニー・ウォッチをスタートさせ、かつカルロッティをCEOに据えたことを思えば、これは決して荒唐無稽な推測ではない。事実、94年発表のカサブランカに与えられたサーモンピンクの文字盤や生成りのカーフストラップなどは、マハラの「スパルビエロ」を思わせるものだった。

 先述の通り、フランク・ミュラーはカサブランカの計画に乗り気でなかったようだ。しかし彼はたちまち、ムーブメントと同じ情熱を、彼がいう〝初のデザインウォッチ〟にも傾けるようになった。結果、フランク ミュラー初の量産型腕時計は、「とてもお金のかかったモデル」(フランク・ミュラー談)にならざるを得なかった。

 風防は、90年代では極めて珍しい立体的なサファイアクリスタル製、ストラップも手縫いのカーフストラップであった。しかしよりコストを要したのは、3Dシェイプのトノウ・カーベックスケース(正式名称はサントレ・カーベックス)であった。90年代初頭、ケースは基本的にプレスで製作されていた。そのため現在の時計のような、立体的な形状を与えにくかった。対してシルマケスは主に鍛造を用いて、ミュラーの作り上げた形状をほぼそっくり、しかも硬いステンレス素材で再現してみせたのである。「私もダニエル・ロートのダブル・オーバルケースを製造した職人です」と自負するだけあって、シルマケスが手掛けたケースの完成度は、当時の水準をはるかに超えていた。加えて新進気鋭ケースメーカーには、卓抜した管理者としての能力も備わっていた。「納期をきちんと守る厳格さも(フランク・ミュラーに)評価されたのだと思います」と語るように、彼は複雑なトノウ・カーベックスを潤沢に供給し続けたのである。ムーブメントはETA2892A2。しかし性能よりも、デザイン性を強く打ち出そうとした天才時計師が求めたのは、何にもまして、ムーブメントの信頼性と巻き上げ効率だった。

 カサブランカの成功に気を良くしたフランク ミュラーは、凝りに凝った外装の〝デザインウォッチ〟を拡大。90年代後半以降、時計業界を席巻していくことになる。

つづきは雑誌『クロノス日本版』でお楽しみください。
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