世代を超えて夢をつなぐオーデマ ピゲ ミュージアム

2016.08.03

(左)ユニオン・グラスヒュッテ「ユニヴェルセル」。エボーシュの製造は1893年。時計の完成は1899年である。永久カレンダーに加えて、リピーターやグラン&プチソヌリ、フドロワイヤントにラトラパンテクロノグラフなどを搭載する。復元に当たって、ケースと文字盤はオリジナルに戻された。(右)ルイ=エリゼ・ピゲの設計にはいくつかの特徴がある。ひとつは、レバーの取り付け位置や穴石を一直線上に並べたがったこと。もうひとつが、部品を支えるヒンジを可能な限り強固に作ったことである。ユニヴェルセルのムーブメントを詳細に見ると、そんな彼の個性がよく表れている。

 2018年にリニューアル予定のオーデマ ピゲ ミュージアム。その目玉になるであろう時計が、1899年に完成した「ユニヴェルセル」である。部品点数1168点、永久カレンダー、ミニッツリピーター・カリヨン、グラン&プチソヌリ、スプリットセコンドクロノグラフ、リセット機構付きの5分の1秒フドロワイヤント、デッドビートセコンドにアラームと、当時、実現可能な複雑機能をほとんど併載した本作は、グランドを超えたウルトラコンプリケーションであった。

 エボーシュを製造したのは、19世紀屈指の時計師として知られるルイ=エリゼ・ピゲ(1836〜1924年)。ルクルト

(現ジャガー・ルクルト)とのつながりが強かった彼だが、同じル・ブラッシュにあるオーデマ ピゲにも数多くのエボーシュを提供した。

 彼とオーデマ ピゲが手掛けた作品の中でも最も高名なのが、「グランディオーズ」「ファビュラス」、そして「ユニヴェルセル」の3部作であった。注文主は、グラスヒュッテのユニオン。誰が製作したかは伏せられたし、脱進機もユニオン・グラスヒュッテ式に改められたものの

(販売後、ユニオンは脱進機を替えてオーデマ ピゲに戻したという)、この3部作は、ほぼルイ=エリゼ・ピゲとオーデマ ピゲだけで作り上げたものだった。

 その歴史的価値を考えれば、グランディオーズとファビュラスが早くから博物館に収まったのは当然だろう。しかし、ユニヴェルセルは、ロンドン在住のマーカス・マーギュリーズ氏が所有するところとなった。ヴィンテージ オーデマ ピゲの収集家だった彼にとって、ユニヴェルセルは夢の時計だったのである。しかしx2016年、オーデマ ピゲはマーギュリーズ氏の「タイム・プロダクツ ヴィンテージコレクション」を購入。その中には、ウルトラコンプリケーションが含まれていた。

オーデマ ピゲの修復工房には、今なお昔の手法が息づいている。19世紀の機械で部品を加工し、ランプで焼き入れを施していく。下に見えるのは、ユニヴェルセルがレストアに際して交換した部品の図面。それもCADによるものではなく手描きによるものである。「古典的なやり方を続けているのは、ジュウ渓谷の時計作りのノウハウを未来に継承するためです」。

 オーデマ ピゲ ミュージアムの最上階に、ヴィンテージピースの修復工房がある。写真で見たユニヴェルセルの程度が極めて良かった理由は、同社の購入前にここで修復を受けたためという。レストアに携わった時計師はこう説明する。「ユニヴェルセルの修復が始まったのは2013年だった。8カ月、延べ400時間を費やして完成した」。

「もともと動かなかった」ことを考えれば、400時間という期間は意外なほど短い。理由を聞くと、そもそもこの個体は、2000年に大規模なレストアを受けていたという。

「前オーナー(マーギュリーズ氏)の依頼を受けて、オーデマ ピゲが時計を修復しました。その際にはプラチナでケースを製作し、文字盤も新造したようです」。時計師が当時の写真を見せてくれた。確かにユニヴェルセルだが、まったくの別物である。当然、レストアを手掛ける時計師たちも、納得はいかなかった。

 かつてユニヴェルセルのムーブメントには、いわゆる「粒金仕上げ」が施されていた。その手法は、昔の懐中時計ではおなじみのアマルガム法だ。水銀に金を溶かしてムーブメントに塗った後、加熱して金の膜をムーブメントに施す。

「昔、ジュウ渓谷の仕上げはアマルガムが普通でしたが、1980年代以降、禁止されました。そのため2000年のレストアでは傷んだメッキの修復を断念したようです。洋銀製の受けや地板をそのまま見せた理由です。しかし今では水銀を使わずに粒金仕上げが施せるようになりました。今後、粒金仕上げに戻すかもしれません。私個人は戻したいですね」

 メッキの一件が示す通り、今回の修復の狙いは、できるだけオリジナルの状態に復元することであった。

修復が完了するたびにまとめられる「レストレーション ブックレット」。作るだけでも相当な手間だが、きちんとした記録を残すために続けているという。2008年より開始。左上は修復前と修復後の比較写真。ねじを作り直したり、部品を一から作ったりした様子が記録されている。下はムーブメントの機能を説明した表。グランソヌリの音階まで記されている。レストレーションを行うメーカーは少なくないが、オーデマ ピゲほど力を入れているメーカーは稀だ。

オーデマ ピゲCEOのフランソワ=アンリ・ベナミアス氏。1994年、オーデマ ピゲに入社。世界各地でビジネスを立ち上げた後、1999年にはオーデマ ピゲ北米社長兼CEOに就任。2013年には現職に抜擢された。「今後もオーデマ ピゲは、伝統と革新を同時に追求していくでしょう。ミュージアムの刷新もそういった施策のひとつになります」。

「一番重要だったのは、損壊した部分を直すだけでなく、できるだけオリジナルの部品を救うことでした。もちろん、部品がない場合は新造しました。例えば、デッドビートセコンドの受け。原形とは違うものが取り付けられていたので作り直しました。製法は昔に同じ。CNCマシンではなく糸鋸で切って成形した後、焼き入れと焼き戻しを加えています」

 ねじも同様だ。明らかに原形と違うと判断されたものは、一から作り直されたという。唯一の例外は主ゼンマイだ。

「昔のゼンマイのままでは、機能をすべて使うと時計が止まってしまうのです。そこで現在のものに入れ替えました」

 オリジナルを回復すべく進められたレストア作業。修復にあたって、彼らはマーギュリーズ氏に対して次のようにアドバイスしたという。新しい文字盤やケースもいいけれど、オリジナルに戻した方がより格好いいですよ、と。オーナーは快諾。果たしてユニヴェルセルは、1899年当時の姿をほぼ完全に取り戻すことに成功したのである。

 コレクションの修復と購入を受けて、オーデマ ピゲCEOのフランソワ=アンリ・ベナミアス氏はこう語る。

「これらの時計を再び故郷のル・ブラッシュに迎え入れることを、非常に喜ばしく思っています。とりわけユニヴェルセルは、新しいミュージアムで重要な地位を占めるでしょう」

 カエサルの物はカエサルへ。完成から120年近くを経て、この傑作は帰るべき場所についに凱旋を果たしたのである。

Contact info: オーデマ ピゲ ジャパン ☎03-6830-0000