オーデマピゲ/ロイヤルオーク

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.05.17

「デビュー作」ロイヤル オークにかけたジェラルド・ジェンタの熱意

ロイヤル オーク

新旧のロイヤル オーク。上半分は2002年のコンセプトモデル、下は1972年の第1作。モデルも機能もまったく異なるが、8角形のベゼルは、すべてのロイヤル オークに共通する特徴だ。

「ロイヤル オーク」のデザイナーである、ジェラルド・ジェンタ。1956年にデビューした彼は、ロイヤル オークで初めて、時計全体のデザインを手がけた。非凡な造形を持つロイヤル オーク。そのディテールからは、ジェンタとオーデマ ピゲの新しいスポーツウォッチにかける熱意が見え隠れする。

ステンレス製のベゼルはプレス機で打ち抜かれた後、28の工程と、70もの仕上げプロセスを経て完成する。工作機械が普及した現在はともかく72年当時、外装の加工はかなり困難だった。

ダイアルメーカーのロラン・ティーユ。ジェンタの依頼を受けた彼は、ローズ・エンジン旋盤(小型のギョーシェ旋盤)で14種類の文字盤を試作。やがて幾何学模様にギョーシェを重ねた「タペストリー」文字盤を完成させた。手法は今も同じだ。

 本誌2006年3月号で、ジェラルド・ジェンタは次のように語った。

「時計を丸ごとデザインしたのは、1970年(商品化は72年)のロイヤル オークが初めてだね。当時社長だった(ジョルジュ)ゴレイ氏がデザインしてくれといったんだ。制約は何もなかったよ。あのモデルのデッサンは一日で描き上げたものだ。AP(オーデマ ピゲ)のロゴ、君も知ってるだろう。あれも私がデザインしたものだよ」。

 このインタビューで、彼はデザインに対する、自身の姿勢も述べている。「腕時計は製作可能であることが大事なので、私はムーブメントの技術的なデータを配慮してデザインする。それに私は、リスクがあるような思い上がったスケッチは行わない」。ムーブメントに限らず、時計の製法そのものに習熟したジェラルド・ジェンタ。そんな彼が、時計全体のデザインを、フリーハンドで委ねられたのである。ジェンタが持てるノウハウのすべてを「デビュー作」に投じたのは想像に難くない。

 1972年のロイヤル オークには、ふたつの特徴があった。ひとつは、薄型では不可能とされた、50m防水を実現した点。ひとつは薄型らしからぬ立体感を盛り込んだ点である。まずは前者を述べたい。40年代以降、ねじ込み式のケースバックにより、時計の防水性能は大きく改善された。しかしケースが薄い場合、ネジを切るのは不可能だ。いくつかの薄型時計は防水性を高めるためにワンピースケースを採用したが、プラスティック製風防と金属性リングのテンションだけに依存する防水システムは、せいぜい防汗程度の性能しかもたらさなかった。

 では、ねじ込み式のケースバックを持てない薄型時計に、どうやって防水性を与えるのか。ジェンタの解は秀逸だった。彼はケースを2ピース化し、ベゼルとケースの間にパッキンを挟み込んだのである。より正確に言うと、ラバー製のインナーケースから伸びた「耳」にパッキンの役割を持たせ、ベゼルと共にビスで固定したのである。これは耐衝撃性と防水性を両立させる実に優れたアイデアだった。なおジェンタは防水性能によほど気を配ったらしく、1972年の「プレA」モデルは、ベゼルを留めるビスもSS製であった。「ベゼルの穴を傷めてしまうため、以降は18K製に変更された」(マーティン・ウェリー)が、かつてないアイデアを確実なものとするため、彼は万全を期したのである。

独創的なケース構造。二重のインナーケースのうち、外側はラバー製。インナーケースの「耳」は、ベゼルとケース間の防水パッキンも兼ねている。

 立体感にも、ジェンタは解を用意していた。それが今や当たり前となった、ポリッシュとサテンの使い分けである。そもそも薄型ケースを立体的に仕立てるのは難しい。対してジェンタは、エッジにポリッシュ仕上げを多用することで、平たいサテンケースにメリハリを持たせようと試みたのである。実際に彼は、サテンの目を強くすることで(当時は浅く入れることが好まれた)、ポリッシュとの対比をいっそう強調してみせた。ポリッシュ、サテン共に、仕上げ手法としては目新しくない。しかしデザイン上の要素として活用したのは、ロイヤル オークが初めてではないか。

 本人のコメントから推測するに、70年の時点で、彼はロイヤル オークのケースデザインを完成させていたようだ。ジェンタが強調するように「わずか1日でデザイン画が描き上がった」かは疑わしいにせよ、早い段階から、「薄型スポーツウォッチ」のラフスケッチがあったことは間違いない。

 以降彼は、ディテールに時間を費やし、「デビュー作」の完成度を高めようとした。そのあたりの事情を明かすのが、文字盤製造者のロラン・ティーユである。71年、ジェラルド・ジェンタはティーユの工房を訪れ、「まったく新しい腕時計」のアイデアを語った。ケースのスケッチは完成させたものの、文字盤に関してジェンタはノーアイデアだったらしい。彼はロイヤル オークに相応しい文字盤の試作を依頼。やがてティーユは、正方形のモチーフ上にローズ・エンジン旋盤で丸いギョーシェを重ねるという、まったく新しい文字盤を完成させた。これがロイヤル オークの特徴となった「タペストリー」文字盤である。

 文字盤のデザインに伴って、彼は針のデザインも手がけた。「この時計、針の形が面白いだろう。夜光をたくさん載せるにはこれがいいんだ。仮にドレスウォッチを作るなら、もっとフォーマルな針を選んでいたね」。彼はロイヤル オークがスポーツウォッチであることを明確に理解していた。しかし搭載するキャリバー2121は、太い針を回せるほどのトルクを持っていなかった。ジェンタは細身の針を立体的に仕立て直し、夜光塗料を埋め込むことで、細さと視認性という、相反する要素を両立してみせたのである。

 ビス留めのベゼルという意匠ばかりが注目されるロイヤル オーク。しかしディテールに対する執念を欠いて、これほどの完成度が得られたとは考えにくい。

7種類のコマで構成されるブレスレット。現行品は中ゴマの上下が面取りされ、より優れた装着感を持つ。

 ジェンタは率直に語っている。「価格への考慮が革新的なデザインを生むとは思わないし、少なくとも私がデザインをするときはコストを考慮しない」。事実、「デビュー作」のディテールを見ても、彼がコストに配慮を加えたとは思えない。一例がベゼルである。ポリッシュされたエッジは、番手の異なる4枚のサンドペーパーで磨き、面を整えた上でバフがけされている。他社製品のように、整面のバフがけだけに依っていないことは、面の歪みが極度に小さいことからも理解できる。ベゼルだけでも70の仕上げ工程を要すると考えれば、この時計が、72年当時に3650スイスフランという価格にならざるを得なかったのも、納得できる。

 天才ジェンタのデザインを、忠実に製品化した初代ロイヤル オーク。しかしこの時計で賞賛されるべきは、ジェンタ本人よりも、彼にデザインを委ねた当時の社長であるジョルジュ・ゴレイと、生産にゴーサインを出したオーデマ家の人々だろう。彼らは、天才ジェラルド・ジェンタに足かせを設けないことで、やがて自社と、時計業界に大きな未来を与えたのである。