ブレゲ/マリーン

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.07.09

ブレゲのスポーティーラインとして誕生したマリーンは、時代の要請とブレゲの成熟を反映して、その姿を大きく変えてきた。1990年の第1世代、2004年の第2世代、そして2018年の第3世代……。ブレゲはマリーンの意匠に関して何を改善し、オリジナルから何を受け継ごうとしてきたのか? 歴代モデルからその歩みを振り返りたい。

マリーン

吉江正倫:写真
広田雅将(本誌):取材・文
[連載第51回/クロノス日本版 2019年5月号初出]


デッキクロックからエレガンススポーツへ
歴史遺産の再解釈を担った男

ブレゲを復活させたショーメ兄弟の破産後、インベストコープの傘下に収まったブレゲ。同社は若い世代に訴求する、新しいコンセプトを持つ時計を企画した。マリーンの名称は、往年のマリン・クロノメーターとのつながりを思わせるものだったが、内実はまったく新しいスポーティーウォッチだった。

マリーン クロノグラフ 3460

マリーン クロノグラフ 3460
当時最新鋭のフレデリック・ピゲ1185を搭載した自動巻きクロノグラフ。以降ブレゲは、スポーティーなモデルにのみ、自動巻きクロノムーブを採用し続けた。防水性能を高めるため、ねじ込み式のリュウズが採用されている。自動巻き(Cal.576)。18KWG(直径36mm)。5気圧防水。参考商品。

 1990年にリリースされた「マリーン」は、クラシックなブレゲにスポーツテイストを加えた、いわゆるスポーティーウォッチの先駆けだった。デザイナーとして白羽の矢を立てられたのは、当時最も若手のデザイナーとされていた、ヨルグ・イゼックである。75年から79年までロレックスに在籍した彼は、80年には自らのデザイン事務所を開設。以降、フリーのデザイナーとして、数多くの傑作を手掛けた。

 そういった時計には、ヴァシュロン・コンスタンタンの「222」(77年)、クレドールの「エントラータ」(87年)、タグ・ホイヤーの「キリウム」(97年)、ティファニーの「ストリーメリカ」(90年代)、エベル「シャンタ」(96年)などの傑作が少なくない。しかし、時計業界へのインパクトを言えば、90年にリリースされた、マリーンが筆頭ではないだろうか。

 人間工学的で、ややもするとエキセントリック。これがヨルグ・イゼックのデザインに対する世評である。彼が自らの名前を冠したブランドを立ち上げて以降は、そういった印象がより強い。しかし、ロンドンの彫刻学校で学び、ロレックスで時計デザインの基礎を学んだ彼は、定石に極めて忠実という一面を持っている。例えば、事実上の第1作となったヴァシュロン・コンスタンタンの222。彼はこの時計を弱冠24歳でデザインしたが、ねじ込み式のベゼルとその刻み以外は、老練なデザイナーが手掛けたかのような、オーソドックスな構成でまとめられている。

ヨルグ・イゼック

初代マリーンのデザインを手掛けたヨルグ・イゼック。1953年、旧東ドイツ・東ベルリン生まれ。ロンドンの彫刻学校を卒業後、ロレックスに就職。同社在籍中の77年に、ヴァシュロン・コンスタンタンの「222」をデザインしたほか、独立後は数多くの傑作を手掛けた。現在はハイゼックデザインを主催。

 こういった〝手堅いアプローチ〞は、90年発表のマリーンでいっそう顕著だ。彼は過剰にならないスポーティーさを、顧客がブレゲに期待するパッケージングの範囲で盛り込んでみせたのである。イゼックの取り組んだこのアプローチは、今やさまざまなメーカーにとっての定石となった。「ロイヤル オーク オフショア」や「ビッグ・バン」といった現代を代表するスポーツウォッチも、マリーンの流れを汲んだ時計と言って良いだろう。

 イゼックが第1作のマリーンに盛り込んだ方法論は、大きく3つある。まずは、太らせたケースサイド。これは防水性能を高め、ねじ込み式のリュウズを与えるための手法だが、いわゆる「デカ厚」のトレンドに先駆けていた。そしてふたつめがリュウズガード。これらが、従来はスポーツウォッチのみに許されてきたデザインだったことを思えば、マリーンのインパクトは決して小さくなかったのである。そして最後が「サンドウィッチ構造」のケース。2005年のウブロ「ビッグ・バン」で一躍広まった手法を、イゼックは1990年の時点で採用していた。

 それぞれ説明したい。高級時計のサイズが拡大し、若い世代が機械式時計に目を向けるようになると、各社はケースサイドを太らせ、防水性能を高めたスポーティーなモデルを出すようになった。この流れが顕著になるのは1990年代後半からだが、その萌芽は、マリーンの第1作に見て取れる。ラージサイズでも直径は35.5㎜しかなかったが、1990年の時点で、直径33㎜を超える時計は、複雑時計か、純然たるスポーツウォッチしかなかった。

マリン・クロノメーター

マリン・クロノメーター No.3196
1822年1月14日にフランス海軍に納品された、ブレゲ銘のマリン・クロノメーター。「マリーン」という名称は、1815年に、アブラアン-ルイ・ブレゲが、フランス海軍省御用達時計師に任命されたことにちなんでいる。

 リュウズガードも同様だ。筆者の知る限り、これはステンレススティール製のスポーツウォッチしか持てないディテールだったが、マリーン以降は18Kゴールド製のケースを持つ高級時計にも広まるようになった。イゼックは、リュウズガードがスポーツウォッチのアイコンであることを喝破し、あえて加えたのだろう。と考えれば、このわずか3年後にリリースされた「ロイヤル オーク オフショア」が、マリーンと同じアプローチ、つまりは太らせたケースサイドと頑強なリュウズガードを持っていたのは偶然ではないように思える。

 そして最後のサンドウィッチ構造のケース。第1世代のマリーンには、18KYG製のモデルとSS×18KYGのコンビモデルがあった。前者のケースは、オーソドックスな3ピース。対して後者は、きわめて複雑なサンドウィッチ構造のケースを持っていた。2層のベゼルとミドルケースに加え、2層のケースバックを持つコンビモデルのケースは、明らかにビッグ・バンを先取りしたものと言えるだろう。もっとも、コストがかかりすぎたのか、第2世代のマリーンからは、コンビモデルが廃止されている。

 マリーンのデザインについて、イゼックは何もコメントを残していない。しかし、彼の意図は、後年のインタビューから汲み取れよう。「私にとって、時計デザインとは、部屋にいる誰かの腕を見たときに、その時計が何かを瞬時に見分けられるかどうかだ」。目を引く要素を盛り込んだマリーンのデザインを、さまざまなメーカーが、自己流に解釈して追随したのは当然だろう。

 もっとも、この時計が時計業界に影響を与えた大きな理由は、イゼックが手掛けたからではなく、かのブレゲが取り組んだため、という点は改めて強調したい。

マリーン デュオタイマー 3700

マリーン デュオタイマー 3700
多機能化への試み。ルイ・コティエ風のワールドタイマーを備えたモデルである。搭載するのは、Cal.563ことヌーヴェル・レマニアの名機8810。当時としては例外的に大きなケースを持つ。自動巻き。18KYG(直径38mm)。3気圧防水。参考商品。
マリーン 3400

マリーン 3400
オーソドックスな3針モデル。このほかに、ゴールド×SSのコンビモデルも存在した。発表当時に搭載していたのはCal.549こと、ジャガー・ルクルトのCal.889である。さらに小径の4400もあった。自動巻き。18KYG(直径36mm)。5気圧防水。参考商品。