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「フランソワ・ペルゴを偲ぶ会」へ(1/1)

 先日12月18日、横浜で「フランソワ・ペルゴを偲ぶ会」に参加しました。

 ジラール・ペルゴ創業者一族のひとりであるフランソワ・ペルゴについて、教わったことを少しまとめます。

 日本市場にスイス時計を普及させるため、12個の「ジラール・ペルゴ」社製懐中時計を携え横浜へたどり着いた、フランソワ。
 
 1860年、時代は幕末。西洋時計は珍重品であり、一般の人には受け入れられにくく、彼の事業はなかなか軌道に乗りませんでした。その苦しい時期をフランソワは、輸入商社を設立し、雑貨や炭酸飲料水を販売するなどあの手この手で乗り越えたそうです。
 そこから12年後の1872年。文明開化が幕を開けます。街にはガス灯がともり、新橋〜横浜間には日本初の鉄道が走る。そしていよいよ日本でも西洋時計の歴史がはじまります。ようやく訪れた時代の転換期に光を見つけたフランソワ。しかしその夢もむなしく、1877年12月18日、フランソワは脳卒中に倒れ、43歳の若さで生涯を閉じました。

 時代は流れ、歳月とともに埋もれかけていた彼の存在と、無縁墓地になりかけていたお墓が横浜の外国人墓地で見つかったのが2006年のこと。2014年にはスイスと日本における修好通商条約締結150周年を記念して、ジラール・ペルゴをはじめ横浜や業界関係者の皆さんにより墓地整備が行われ、同年よりこの「偲ぶ会」が毎年行われることになったのだそうです。

 会を主催するおひとり、横浜の時計店「コモンタイム」の田中さんによると、回数を重ねるごとに参列者は少しずつ増えているのだそう。またこの日は、私たちの到着前にはすでに他の墓参者がおられたようで、墓前にはすでにお花が手向けられていました。
 そして私たちも、白いお花を。

 フランソワ・ペルゴさん。単身で日本に渡り、孤独や困難のなか、日本における時計業界の礎を築き、また近代化にご尽力いただき、有難うございました。。。
 
 ちなみに彼には、日本人女性とのラブロマンスもあったかもしれないと伝えられているそうです。その日々が温かく満ち足りたものであったならと、過去に想いを馳せながら。

 そして2018年の年明けからは、大河ドラマ「西郷どん」が始まりますが、どうやらフランソワと西郷隆盛は、スイスライフル協会の会員同士ということで出会っていたのかもしれないのだそうですよ。ストーリーで触れられるかは分かりませんが、大河好きとしてドラマの楽しみ方がひとつ増えました。

 「偲ぶ会」の皆さま、お世話になりありがとうございました! 


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