IWC現代デザイン理論(後編)

FEATURE本誌記事
2019.05.30

1940年代の「マーク11」に始まった、IWCの近代的なパイロット・ウォッチの歴史。基本的な構成は今なお不変だが、目を凝らせば、IWCのデザイナーたちは注意深くコレクションに洗練を与えてきたことが分かる。パイロット・ウォッチをケーススタディに、IWCのデザイン理論をひもとくことにしたい。

吉江正倫:写真 Photographs by Masanori Yoshie
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
この記事は 2017年12月発売の1月号に掲載されたものです。

コーティングの進化が促した文字盤の改善

 またマークⅩⅥからマークⅩⅧにかけて、IWCはさらなる外装の質感改善にも努めた。これを可能にしたのは風防のコーティングが変わったことと、プロトタイプの製造に3Dプリンターを導入したことである。これはIWCに限らず言えることだが、最近の時計メーカーが黒文字盤を多用するようになった理由は、以前に比べて、黒文字盤がはっきりと見えるようになったためである。

 実用性を重視してきたIWCは、かなり早い段階から風防に無反射コーティングを採用してきた。とりわけ、光の反射が嫌われるパイロット・ウォッチでの採用は早かった。ただしかつてのコーティングは青みが強く、文字盤の色や質感は却って分かり難かった。以降IWCはコーティングの質感改善に取り組み、今や無反射コーティングが施されているとは気づかない。その結果が文字盤の質感改善である。コーティングが変わり、文字盤が見やすくなって以降、スイスメーカーは黒文字盤を多用するようになり、また質感を高めるようになった。昔から黒文字盤を用いてきたIWCのパイロット・ウォッチも同様で、モデルチェンジのたびに細かなニュアンスが改善されている。

 IWCのパイロット・ウォッチは、少なくともマーク11とマークⅫでは、文字盤の施色にメッキ加工を用いてきた。黒文字盤をメッキで仕上げるのはそう難しくないが、耐磁性のある軟鉄製の文字盤にラッカーを塗るのはさらに難しかったのである。表面が荒れているのはメッキの食いつきを良くするため。しかし黒メッキは鮮やかな色が出にくいうえ、食いつきを良くするため細かく荒らした下地処理が、強い光を当てた場合に文字盤を白濁させた。

試作段階の文字盤サンプル。マークⅩⅥ以降、IWCはパイロット・ウォッチの文字盤で、さまざまな試みを行うようになった。黒の発色が改善されたほか、下地の処理も改善されている。

変わっていないようで、リファインの度に質感と立体感を高めてきたパイロット・ウォッチのケース。それを支えるのが、デザイン部門に導入された3Dプリンターである。微妙な修整が容易になった結果、ケースの仕上げとデザインが大きく進化した。

 対してIWCは、パイロット・ウォッチの黒文字盤にラッカー仕上げを併用(下地にメッキを施すかはモデルによって異なる)。発色を改善しただけでなく、強く光を当てた際に白濁が起こりにくくした。完成型はやはりマークⅩⅧだろう。黒文字盤の下地は適度にラフになり、黒の発色はいっそう鮮やかになった。ポリッシュラッカー仕上げほどの分かりやすい高級感はないものの、視認性と高級感を巧みに両立させた点で、現行パイロット・ウォッチの文字盤は類を見ないものとなった。

 なおIWCのパイロット・ウォッチの文字盤が高級に見える理由がもうひとつある。それが文字盤とデイトリングのクリアランスの幅だ。1992年のドッペルクロノ、94年のマークⅫはともに、文字盤とデイトリングの間隔は詰めてあったが、それは〝他社の高級機並み〞だった。しかしマーク でクリアランスはさらに狭くなり、マーク では文字盤すれすれの位置にデイトディスクが置かれるようになった。通常のメーカーならば、こうした手法を好まないはずだ。衝撃を受けた場合、両者が接触する可能性があるからである。しかし長年パイロット・ウォッチを作り続けてきたIWCは、両者の間隔を年々詰めて、最新のパイロット・ウォッチにさらなる高級感を盛り込んだのである。

3Dプリンターが可能にした微妙な立体感

 ケースの立体感が改善された一因は、3Dプリンターである。リシュモン グループで初めて採用したのは、筆者の知る限りではボーム&メルシエ。しかしその後まもなくIWCも採用し(CEOのジョージ・カーンは、ボーム&メルシエの会長も兼任)、試作段階のモデリングに用いるようになった。3Dプリンターの利点は、デザインがどのような効果を生むのかを、モックアップとしてすぐ確認できることだ。その成果は2016年のパイロット・ウォッチに見ることができる。ベゼルをわずかに絞り、立体感を増したケースは、一見改良されたものとは分からない。しかしその微妙な立体感の盛り込み方は、十分な検討のうえに生まれたものだ。仮に3Dプリンターがなければ、このモディファイはもう少し大味になったのではないか。

 質感の改善は、パイロット・ウォッチのバリエーションも増やすこととなった。それが青文字盤を持つパイロット・ウォッチ〝プティ・プランス〞である。かつて限定版のパイロット・ウォッチに青文字盤が採用された例はあるが、レギュラーモデルとしては本作が初だ。定番化しなかった理由は、IWCのパイロット・ウォッチが、原則として軟鉄製の文字盤を用いてきたためである。鉄に黒いメッキをかけるのはそう難しくないが、青メッキの場合は困難だ。しかしIWCは下地に強い筋目処理を施し、その上に銀メッキをかけることで、軟鉄製の文字盤に鮮やかな発色を与えることに成功した。プロダクトマネージャーのひとりが「かなり大変だった」と漏らすのも納得だ。鮮やかな青文字盤の手法を確立したIWC。発色の見事さを言うと、現行メーカーでもトップクラスだろう。しかしまさかパイロット・ウォッチで、青文字盤をレギュラー化するとは誰が想像しただろう? マークⅩⅤ以降ケースの改善に努めてきたIWCは、マークでいよいよ文字盤にも手を着けたのである。しかも重要なことは、パイロット・ウォッチとしての機能性をまったく損ねることなく、である。

パイロット・ウォッチ・クロノグラフ“プティ・プランス”

パイロット・ウォッチ・クロノグラフ“プティ・プランス” Ref.IW377714
クロノグラフ版のプティ・プランス。ETA7750を改良したCal.79320を搭載する。現在のパイロット・ウォッチは裏ブタの刻印がエッチングだが、彫りは深い。自動巻き。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約44時間。SS(直径43mm)。6気圧防水。56万円。
パイロット・ウォッチ・マークⅩⅧ
“プティ・プランス”

パイロット・ウォッチ・マークⅩⅧ“プティ・プランス” Ref.IW327004
文字盤をブルーに改めたマークⅩⅧ。少し色味を落としたのは、視認性を確保するためか。極めて珍しい色味だが、発色は申し分ない。自動巻き(Cal.30110)。21石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SS(直径40mm)。6気圧防水。46万円。
ビッグ・パイロット・ウォッチ“プティ・プランス”

ビッグ・パイロット・ウォッチ“プティ・プランス” Ref.IW500916
プティ・プランスのレギュラーモデル。基本スペックは標準的なビッグ・パイロットに同じだが、文字盤はメッキ仕上げのブルーに変更された。自動巻き(Cal.51111)。42石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約7日間。SS(直径46mm)。6気圧防水。135万円。


ビッグ・パイロット・ウォッチ・アニュアル・カレンダー“プティ・プランス”

ビッグ・パイロット・ウォッチ・アニュアル・カレンダー“プティ・プランス” Ref.IW502701
2016年からレギュラー化された『星の王子様』にちなんだプティ・プランス。デジタル式の年次カレンダーを搭載する。なおこのモデルはシースルーバックが導入された。自動巻き(Cal.52850)。36石。2万8800 振動/ 時。パワーリザーブ約168時間。18KRG(直径46mm)。6気圧防水。世界限定250本。354万円。

星の王子様

上モデルのローターは、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ本人が描いた『星の王子様』の挿絵からデザインが起こされている。プロユースのハードツールから脱皮した、現在のパイロット・ウォッチを象徴するモチーフだ。ムーブメントにこうしたデザイン要素が加わることは通常ならあり得ないが、現在のIWCは、ムーブメント開発にデザインチームを加えるようになった。