オリエント70年の物語 ーオリエント70年のマイルストーン(後編)

FEATURE本誌記事
2020.02.24

ユニークなデザインとメカニズムで、他社とは一線を画してきたオリエント。その70年の歴史を振り返ると、数々の意欲作を見ることができる。豆電球で文字盤を照らす「フラッシュ」や曜日を表示する「万年カレンダー」、触っただけで時間を表示する「タッチトロン」といった傑作モデルの数々は、他社にはない個性を追求したオリエントならではのモデルであった。その豊かな歩みを、オリエントを象徴するマイルストーンモデルと共に見ていこう。

三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Special thanks to Yoshihiko Honda


THE HISTORY OF ORIENT

 オリエント時計の前身である多摩計器の創業は1950年だが、その起源は01年にさかのぼる。時計職人の吉田庄五郎は、東京・上野に時計の輸入販売を行う吉田時計店を創業。13年からは時計用のケースを製造し、20年にはクロックを生産する東洋時計製作所を設立した。続く34年には、腕時計の製造に着手、36年には4階建ての日野工場を完成させた。戦時中、航空兵器の量産に従事せざるを得なかった東洋時計製作所は、戦後に再開したものの、経営の混乱により会社は解散となった。

 日野工場の従業員たちが集まって、50年に操業を開始したのが多摩計器である。同社は51年4月に社名をオリエント時計に改称。腕時計や目覚まし時計、小型ベアリングの製造などに乗り出した。

 オリエントの面白さは、創業後直ちに、顧問として青木保を招聘したことだった。東京大学の名誉教授であり、日本時計学会初代会長を務めた青木は、日本の時計産業を大きく変えた理論家であった。彼の指導の下、オリエントの時計は大きく信頼性を高めることとなる。

 戦後の混乱から立ち直ったオリエントは、55年にセンターセコンドのT型ムーブメントを発表。58年には大径のN型を発表した。このムーブメントを搭載したのが、同年発表の「ロイヤルオリエント」である。近代的なムーブメントを手にしたオリエントは、台湾、アメリカ、カナダ、イラン、ブラジルなどに時計の輸出を開始した。今なお、オリエントのビジネスは国内よりも海外のほうが大きいが、その基礎は50年代に築かれたのである。

 海外への進出は、必然的にオリエントの競争力を高めることとなった。61年には、スイスメーカーのペラトン自動巻きを思わせるラチェット式の自動巻き機構を搭載したN型自動巻きムーブメントを発表。スイス勢と戦える競争力を手にしたオリエントは以降、ユニークさに大きく舵を切る。価格を下げるのではなく、デザインと機構による差別化でシェアを伸ばそうと考えたのである。

 その先駆けは、64年の「グランプリ100」と「フラッシュ」だ。前者はN型自動巻きの後継であるL型自動巻きの石数を100石まで増やした高級仕様であり、後者は内蔵した電池で文字盤を光らせる時計であった。アイデア自体は58年の「ルミナス」に同じだが、デザインに凝るオリエントらしく、文字盤外周にはダイヤモンド状のカットが施された。

 65年の「ウィークリーオートオリエントキングダイバー」も、やはりデザインへの試みである。スイス製のダイバーズウォッチを思わせるスタイリッシュな意匠は同時代の日本製ダイバーズウォッチとは一線を画していた。そして、デザインと機能を高度に両立させたのは、67年の「ファイネス」である。「オリエントグランプリ」の後継機として生まれた本作は、デイデイト付きとしては当時世界最薄のキャリバー3900を搭載していた。

 60年代後半以降、オリエントは一層ユニークさへの傾倒を進めた。68年には卵型ケースの「レーサーF3」を発表し、69年にはカラフルな「ワールドダイバー」を追加した。そして70年には、最もオリエントらしいと称される、グラデーションを強調した文字盤を採用した「ジャガーフォーカス」を発表した。カットした風防と合わせて、オリエント=カラーという印象を強めることとなった。