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第4回「原発について」(1/3)

 東日本大震災の惨禍から約1カ月後、Fは妻を亡くした。死因は震災によるものではない。

 若年性の肺腺ガンであった。

 震災の日の、妻との電話でのやり取りをFは忘れることができない。東京が激震に見舞われた2011年3月11日午後2時46分。編集部のデスクに身を潜めながらFの頭に真っ先に浮かんだのは、小学校に通う長男、保育園に通う次男、そして病の床にあった妻の安否である。幸いなことに自宅にいる妻とはすぐに話ができた。だが、電話口の彼女の声は、上ずるどころの騒ぎではなく、まるで肩でゼイゼイと息をしているかのようだった。食器棚から滑り落ちて粉々になったグラス類の破片や、壁面から落下した額装のガラス片を、必死になって床から除去していたというのだ。

 ようやく掃除が終わった。これで子どもたちが帰ってきても安心だわ。はぁ……。

 いつも子どもたちの身を案じて自身の心身を顧みない、健常だった頃のわるい癖がまたぞろ顔を出してしまったようだ。小学校と保育園でそれぞれ子どもたちの無事が確認できても、Fは安堵することなどとてもできなかった。ステージIVの末期ガンを宣告されてから、すでに9カ月も経っていたのだから。

 告知があったその日、Fが主治医に告げられた予後は1年だった。もちろん、抗ガン剤の投与を継続的に受けたうえでの予後である。彼女の息が切れ切れになるのは、その原発を知れば明らかだろう。

 あの震災以来、妻の容態は明らかに悪化していった。震災後の人災、すなわちTDによる原発事故の報道に心を痛めていたことが思い出される。また、近所のTD社宅に住む子どもの同級生のママから、私たちが暗い表情をしていても仕方がないから、決起の飲み会をやりましょうという内容の、変換ミスだらけのとてつもなく拙い文面のお誘いメールに眉をひそめていたことなども、Fは病状悪化の一因であるとにらんでいた。

 つまり、自身の原発に加えて、精神的、肉体的な荷重が、彼女の寿命を縮めたのだ。 

 前年の6月に病が発覚してから、Fの生活もまた一変した。寝室を妻に明け渡し、子どもたちと妻が冬場以外は寝室に使っていた北側の8畳間は、娘の病状を聞いて関西から飛んできた義母の部屋となった。Fはといえば、簡素な机が置かれた書庫の片隅にあるわずかなスペースに小さな円筒布団を毎夜敷いて、半ば仮眠状態の毎日が強いられることとなった。左側の眼前には粗末な机の脚が、その先には書物がぎっしりと並ぶ年代物の本棚が控えていた。大きな地震があってこの棚が崩れてきたら、足の一本もへし折れるだろうなという恐怖に戦きながらの就寝では、生きた心地などまるでしない。もちろん、毎月のローンを支払いながら、我が身に与えられた貧弱なスペースに思いを向けると、妻を襲った悲劇に、自身の悲喜劇が覆いかぶさってくるようで、思わずヨヨヨと泣けてくるのであった。

 6畳二間に狭苦しいダイニングだけの集合住宅で18歳までを過ごしたFには、当然ながら自室など与えられていなかった。3歳違いの弟との相部屋には、絶えずお互いを罵りあう怒声が響いていた。大学受験を間近に控えた時期であっても、父や弟がFに気をつかうことなどなかった。参考書を開いて過去問を解くFのかたわらにジャスパー・ジョーンズのようなターゲットが置かれ、ふたりして買ったばかりの空気銃からBB弾が乱射される即席の射撃大会が開催されることもめずらしくなかった。

 Fが自身の住まいに一定以上の執着心をのぞかせるのは、故なきことではなかったのだ。 

 妻は主治医の見立てに2カ月足りない、告知から約10カ月後にこの世を去った。関西を捨ててきたわと悲壮な覚悟で娘の闘病をサポートした義母も、大役を終えると憑き物が落ちたかのようにおだやかな表情を取り戻し、静かに東京を後にした。

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