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ジェラルド・ジェンタの全仕事 Part.3(1/4)

[特別インタビュー]
最盛期のジェンタを識る3人の証言

時計デザイナーの先駆けとして、広くその名を知られるジェラルド・チャールズ・ジェンタ。
80年の生涯に残した膨大なドローイングに対して、その言葉はほとんど残っていない。最盛期のジェンタとはどんな人物だったのか?
それを知るために、かつてジェンタと机を並べ、また深く親交のあった3人のキーパーソンを訪ね歩いた。

広田雅将、鈴木裕之:取材・文 吉江正倫、三田村 優、ヤジマオサム:写真
[アイコニックピースの肖像 特別編/クロノス日本版 2012年3月号初出]

(左)Enrico Barbasini  エンリコ・バルバシーニ
時計師、エンジニア/ファブリック・ドゥ・タン マスター・エンジニア(取材時)
(中)Jorg Hysek  ヨルグ・イゼック
時計デザイナー/HD3コンプリケーションCEO(取材時)
(右)Pierre Michel Golay  ピエール・ミッシェル・ゴレイ
時計師、エンジニア/フランク ミュラー ウォッチランド テクニカル・ディレクター(取材時)

 80年の生涯と、57年に及んだ時計デザイナーとしてのキャリアの中で、巨匠ジェラルド・チャールズ・ジェンタが描いたドローイングは10万枚を優に超える。しかし意外なことに、自らを語ったインタビュー文献は、その業績に対して驚くほどに少ない。私(鈴木)が生前のジェンタと言葉を交わしたのは、2002年にジェラルド・チャールズがローンチされた際の一回限りとなってしまったが、それでさえ、決して寡黙な人柄ではなかったと記憶している。

 なぜこうも、ジェンタ自身の言葉は残されていないのか? 最盛期のジェンタはどのような人物だったのか? 手がかりを求めて、私は3人の人物を訪ね歩いた。ひとりはジェンタを高級時計製造の世界に招き入れたピエール・ミッシェル・ゴレイ。もうひとりは時計学校の卒業と同時にジェラルド・ジェンタの門を叩き、ジェンタ、ゴレイのもとで研鑽を重ねたエンリコ・バルバシーニ。最後に、同じく時計デザイナーとして、ジェンタと同時代を生きたヨルグ・イゼックである。

 ジュネーブ近くのヴォー州ロールに生まれたゴレイ氏の父親は時計師で、時計学校の講師も長く務めたが、本人は1964〜70年までオペラ歌手として活躍していたことは有名だ。歌手を引退した71年からジュネーブのオーデマ ピゲに籍を置き、主にアフターセールスを担当していたという。当時はジュネーブに懐中時計の部品を作る工房があり、そこでゴレイ氏はジェンタに出会った。この時ゴレイ氏36歳、ジェンタは40歳。72年には代表作となる「ロイヤル オーク」が発表されているが、69年に設立したばかりの「ジェラルド・ジェンタSA」の名声はまだ確立されておらず、ケースやダイアルのサプライヤーと組んで、いわゆるOEMのような仕事を多くこなしていた。後に同社に合流するバルバシーニ氏も「セイコーからムーブメントを買い、ケースを作って日本に売っていた」と証言している。ゴレイ氏は「もっと自分のための時計を作るべきだ」と口説き、73年から共同で製作を開始。ジュネーブの最初のアトリエは、ジェンタ、ゴレイ、彫金師、石留め職人の4名態勢で、開発部門すらなかったが、同年にまったくの手作業で最初の永久カレンダー懐中時計を完成させている。

 78年にはゴレイ氏の父親が働いていたル・ブラッシュの小さな時計工房(ジュステッティ)にアトリエを移し、新たに開発部門を設立。翌79年6月に、ジュネーブ時計学校を卒業した21歳のバルバシーニ氏と、同期のマルク・フーアルデン氏が合流した。余談だが、ふたりは卒業生のワンツーだったそうだが、現在フーアルデン氏は時計業界を退き、名前のとおり消防士をしているらしい。

 バルバシーニ氏の言葉を借りれば、79〜81年にかけての2年間は、目まぐるしいスピードで推移した。3名の時計師だけで、6つの永久カレンダー懐中時計と、ふたつのグランソヌリ懐中時計を開発。そんな折、ジェンタ自身から「腕時計用のミニッツリピーターを開発せよ」との指令が下る。

 「まったく、少しクレイジーだと思ったさ。だけどジェンタさんは、明確なビジョンを持っていた。やはり先見性があったんだね」

 ジェンタはクリエイター。それを実現させるのはゴレイ氏。バルバシーニ氏はふたりのもとで研鑽を重ねた最初の5年間を、とても楽しかったと振り返る。――経験のない若い時計師でもチャンスを掴めた。その言葉どおりバルバシーニ氏は、84年にパテック フィリップに移籍したが、86年には再びジェンタに舞い戻り、90年までに多くの開発を手がけることになる。同様にゴレイ氏は、ジェンタとの共同作業をこう表現している。

 「(代表作のひとつであるサクセスの)ファセットのように、さまざまな面を持った人でした。他人を魅了しつつも、エゴも強い。感情の起伏がとても激しかった。本質的な部分で、やはり彼はアーティストだったのです」


ピエール・ミッシェル・ゴレイ/1935年、スイス・ロール生まれ。フランク ミュラー ウォッチランド テクニカルディレクター(取材時)。71年にオーデマ ピゲでジェンタと出会い、73年から共同製作を開始。96年にジェラルド・ジェンタが売却された後も会社に残り、99年まで開発の第一線にあった。
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