タグ・ホイヤー/オウタヴィア Part.3

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.01.17

[評伝] ジャック・ホイヤー
〝名将が腕を振るったあの時代とオウタヴィア〟

2017年にオウタヴィアが復活した際、タグ・ホイヤーは“なぜこのモデルを選んだのか”といぶかしむ声は少なくなかった。それを理解するカギは、このモデルを育て上げたジャック・ホイヤーにある。彼はオウタヴィアをもって、ホイヤーを腕時計メーカーへと脱皮させたのである。

ホイヤーに最盛期をもたらした、ジャック・ホイヤー。1958年に入社した彼は、以降数多くの傑作を作り上げた。50歳の誕生日を迎えた半年後に、彼は全株式をTAGに売却して会社を去った。しかし、2001年、タグ・ホイヤーの名誉会長に返り咲くことになる。
吉江正倫:写真
広田雅将(本誌):取材・文
[連載第46回/クロノス日本版 2018年7月号初出]

 1962年にホイヤーの経営権を掌握したジャック・ホイヤーは、同時代の経営者とふたつの点で変わっていた。ひとつは、自らプロダクトを開発したこと。そしてもうひとつは、自ら時計を売り込んだ点である。これはホイヤー家の人間に共通する個性だったが、28歳で経営を継がざるを得なかったジャックは、いっそうアグレッシブだった。

 就任したジャック・ホイヤーはたちまちホイヤーの新しい経営方針を定めた。「ストップウォッチの利益は良かったのですが、私たちのクロノグラフは満足できる程度で、男性用と女性用の自動巻き時計は悲惨そのものだったのです。というのも、このジャンルの競争が激しかったためですね。そこで私たちは、保守的な腕時計の製造をやめ、腕時計用クロノグラフとストップウォッチ、そしてラリーで使うためのダッシュボード用の計器に特化することを決定しました」。ジャックは、メインターゲットをモータースポーツ関係者に絞り、営業をかけた。62年1月、ジャックはフロリダで開催されたセブリング12時間レースに参加し、フェラーリのピットにもぐりこんだ。