【名作スーパーカー型録】File.06「BMW M1」

LIFEcar
2019.06.14

BMW M1

BMW M1

[GENROQ Web 転載記事]
山崎元裕:文
Text by Motohiro Yamazaki

ポルシェに対する策によって生まれた「M1」

 BMWがE26のコードネームを掲げた、ニューモデルの開発をスタートしたのは、1970年代の幕開けを迎えた頃であったとされる。BMWは古くから高級感とともに走りの楽しさ、すなわちスポーツ性の高さをコンセプトに掲げたクルマ造りを行っており、それを証明するためにモータースポーツにも積極的な参入を続けていた。だが、70年代になるとサーキットでは同じドイツのポルシェが主役として多くの勝利を得るようになる。それに対抗するBMWは、3.0CSL、あるいはその排気量拡大版たる3.5CSLを投じるが、それらはポルシェに直接対抗できるほどのパフォーマンスを発揮するマシンとは言い難かった。

BMW M1

ランボルギーニとの提携を画策するも……

 そこでまったく白紙の状態から開発が進められたのが、冒頭に触れたE26だ。それが1978年の秋に「M1」のネーミングとともにパリ・サロンで世界初公開となった、ミッドシップのニューモデルである。ちなみにBMWは、このM1でグループ4(連続した12ヵ月間に400台以上の生産を必要とする)と、グループ5(シルエット・フォーミュラー)のホモロゲーションを得ることを狙ったもので、そのためにスーパースポーツの開発と生産に特別なノウハウをもつ、イタリアのランボルギーニと提携関係を結ぶことをBMWは画策。当初は、80年末までに800台という生産計画に興味を示したランボルギーニではあったが、そのプランが最後はランボルギーニの買収に及ぶことを知ると、プロジェクトからの完全撤退を決断。BMWはイタルデザインの下請け工場でボディパネルとシャシーを組み合わせた後、バウアー(カブリオレモデルの製作などでBMWとは過去にも多くのプロジェクトを共に進めてきたメーカー)で、BMWから送られてくるメカニカルコンポーネンツを搭載。完成車は再びBMWへと戻され、ここで最終的な検査を受けるという、きわめて効率の悪い生産システムを採らざるを得なかった。

BMW M1

ジウジアーロによる鋭いデザイン

 だが、実際に完成されたM1は、スーパースポーツとして実に端正で、見た瞬間から“速さ”というものを予感させるスタイリングが実現された、実に魅力的なモデルとなった。デザインは先にも触れたジウジアーロ率いるイタルデザイン。直線を基調とした“くさび型”のシルエットは、まさに空気の壁を切り裂く刃物の如き鋭さを連想させる。ちなみにM1のボディサイズは、全長4360×全幅1824×全高1140mmと、現代のスーパースポーツカーと比較すると非常にコンパクト。ホイールベースは2560mm、トレッドは前/後で1550/1576mmという数字である。タイヤは、オリジナルでは16インチ径のピレリP7が標準で装着されていた。

BMW M1

レーシングユニットを基本とする3リッター直6エンジンを搭載

 ミッドに搭載されたエンジンは、3.0CSL用のレーシングユニットを基本とする、3リッター直列6気筒DOHC24バルブ。9.0の圧縮比やクーゲルフィッシャー製の機械式フューエルインジェクション、それにマレッリ製のトランジスタ・イグニッションなどの装備によって、277psの最高出力が達成されている。組み合わせられるトランスミッションはZF製の5速MT。デファレンシャルはLSD機構を備えるもので、ロッキングファクターは40%の設定だった。クラッチはザックス製のツインプレート。とはいえ、そのミート時の動きに唐突さがないのは、やはりロードカーとして生を受けたモデルだからにほかならない。前後のサスペンションはダブルウイッシュボーン形式。ブレーキももちろん4輪ベンチレーテッドディスクが標準というのが概要だ。

BMW M1

M1は、現在のMシリーズの原点!

 M1はもちろん、現代まで続くMシリーズの原点となるモデルだ。とはいえ、1980年には400台目のM1が完成するものの、すでにこの時、グループ4マシンが表舞台に立つモータースポーツ・イベントは消滅の危機にあった。FIAはそれまでのカテゴリーを全廃し、新たにグループA/B/Cという新たなクラス分けで世界選手権を開催することを発表したのだ……。そういう意味でもM1は悲運のスーパーカーだったのかもしれない。