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(一般に公開)

アジョシ~小さな約束を守る守護神ダークナイト2019年01月10日11:43
「オーケストラ!」の時にも触れたけれども、「アジョシ」は
端からみればほんの些細な約束を守る、という映画である。
しかも血の繋がりもない、ただ足繁くやってくる少女との。
これは紛れもなくハードボイルドの系譜であり、そういった
意味においてはありふれており、過去にも何度となく映画
になったお話だから、面白くないという風評も十二分に判る。

まして主演がウォンビンだから、いわゆる二枚目である事
が災いして、「アジョシ」はウォンビンのミュージックビデオ、
「レオン」の二番煎じと言われてしまうのも、さもありなん。
だが、ウォンビンだからこそなし得た映画であるのは慥かだ。
何故ならハードボイルドとは血肉が通った肉体が体現できる
分野であり、また、そうした系譜に則ったジャンルだからだ。

いや、ウォンビンの肉体美と早合点されては困るんだけれど、
つまり二枚目という以前に、演技とアクションができる俳優
であり、この点でウォンビンは演技派とアクションといった
非常に結びつきにくかったくびきから逃れ、ハードボイルド
というありふれたお話に、説得力をもたす事をなし得たのだ。
つまり、古くはブルース・リーやスティーブ・マックィーン
という先達たちがアクションと演技の狭間で悩まされたのを、
いとも簡単に乗り越えてしまった様で、素直に評価すべきだ。

さて、世評では少女ソミを救う動機がイマイチ判らないとか、
弱い等と言われる点については、かっきりと反論しておこう。
忘れてはならないのは、ソミは本当に孤独であるという事だ。
だから同じような匂いを敏感に感じ取りアジョシ(おじさん)
と呼んで質屋に足繁く通う。ウォンビン演じるチャ・テシク
にだけは本当の事を語り、少女らしい精一杯の背伸びと共に-
対等に向き合っている。そんな気配を察しそっとソーセージ
を見せる程には孤独なおじさんも心を許し、食卓を共に囲む。

母親が店に来たら、扉で食卓を隠しつつ足で茶碗を押しやり、
テーブルの下に隠れたソミはそれをあうんの呼吸で受け取る。
この時点では2人共にフードを被っており、言うまでもなく
フードは孤独というメタファーである。つまり2人は孤独と
いう点でつながっており、既に(世間的にはどうあろうとも)
別ちがたい感情で結びついている。例えそれが孤独だろうと。
言うまでもなく孤独は年齢も性別も分け隔て無く平等に襲う
感情だ。だからこそ、もう1人の殺し屋までもソミを助けた。
ここに奇妙な三角関係があるのは見逃してはならないだろう。

そしてある時、ソミは盗みの疑いをかけられる。そこに通り
がかったおじさんはソミを助けられたのに立ち去ってしまう。
しかし、ソミにとってそんな事などなんでもない事であった。
質草の携帯プレーヤーを返して貰い、お金がない代わりにと
宝物のゲームカードを渡した後、何事かを決心したかの様に
ソミは言う。「おじさん、おじさんも私が恥ずかしいんでしょ
だから知らないふりしたんでしょ。大丈夫、学校の子も先生も
そう」「ママも迷子になっても住所も電話番号も知らないふり
しろって」「おじさんは泥棒扱いする人より、ずっと悪い人」
「でもおじさんを憎まない。おじさんまで憎むと私が好きな人
は誰もいなくなる」「そんな事を考えたら、ここが痛くなる。
だから憎まない」と。極限まで苛まされた少女の魂の叫びだ。
それだけ伝えるとソミはきびすを返して逃げる様に立ち去る。

おじさんの手元には「ダークナイト」のカードが残っている
けれども、「すまなかった」の一言が言えなかった。これで
少女を救う動機が不十分なのだとしたら、それは孤独さとは
無縁で、しかも誰とでもダンスを踊るように世の中を渡って
ゆけるのであろう。少なくとも俺の心には深く突き刺さった。
これは本当の孤独を知っている人が発した叫びだと思うから。
そして、人に謝る事の大事さを心底知っているのだろうから。

ソミが家に帰るや否や母親と共に誘拐され、母親はその後で
無惨な姿になり、ソミはアリの巣と呼ばれる組織に売られる。
映画はどんどん加速してゆき、おじさんは助けられなかった
ソミに「すまなかった」と伝える為に単身組織に立ち向かう。
ダークナイトのカードは城より出で、闇に棲まう騎士である。
ウォンビンは二枚目を被った演技派であり、それこそまるで
ダークナイトさながらの役回りのようにさえ感じられるのだ。
先に述べた肉体が具現化する事と虚構が見事に融合している。

閑話休題。組織に乗り込み、無事にソミを救い出すけれども、
「助けに来てくれたんだ。おじさんが。ね、そうでしょ、ね」
と抱きついてきたソミの頭上で手は止まり、虚空を見上げる。
目の縁の傷はまるで血涙の様であり、本当の涙と混ざり合う。
恐らく、ソミを救う行為は自分自身が今日一日だけを生きる、
自分に明日は無いと思っていた孤独な男の魂も救われたのだ。

だが、だからこそこの時点でソミを抱く訳にはいかなかった。
何故ならば、それまでに数多の人を殺した血にまみれた人生
に対して懺悔するのが先であったのだろう。ジョンソクへの
「お前は今、子供たちに懺悔しなければならなかった」との
言葉は、そのまま自分への言葉でもあったのではなかろうか。
皮肉だが殺人スキルがアリの巣の子供たちを救ったのだから。
質屋は壁で隔てられた、孤独な刑務所の様だってのに対して、
ガレージの天井から微かに照らす明かりはまるで光明の様だ。

エピローグで、おじさんはソミに「すまなかった」と伝える。
「知っているふりをしたいと、知らないふりをしたくなる」と。
ようやく約束が果たせ贖罪も済んだのか「おじさん、笑った
初めて見た」とソミに言われる。そして全てを洗い流す様に
「一度だけ抱きしめたい」と言う。このスローモーション~
指先だけの爆薄ピント合わせと、その前のカットでウォンビン
にピントが合っていないのは映画とはこれだと声を大にしたい。
そして孤独という絆は対等であり、そういう関係だからこそ
命をかけても救いたかった、大事にしたかったのだろうと。

コメント

1番~1番を表示

2019年
01月10日
11:46

アマゾンプライムに「アジョシ」が登場したので、この機に転載バカボンです

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