マサズ パスタイム「那由他モデル」。 チームで創るオリジナルウォッチの物語

FEATURE本誌記事
2023.12.11

時計修復工房の名店マサズ パスタイムが、完全オリジナルウォッチ「那由他モデル」を製品化した。これを実現したのは入社3年目の時計師・篠原那由他氏、そして確かなチームワークである。

那由他モデル

(右)那由他モデルA
ギヨシェ装飾を施した文字盤に、手彫りのブレゲ数字と那由他モデルのロゴをあしらったモデル。このギヨシェ彫りには、工房に置かれた専用マシンが用いられている。本作の文字盤製作はエングレーバーの辻本啓氏が手掛けている。青焼きの針と併せて、意匠も製法もオーセンティックなモデルに仕上がった。手巻き。19石。SSケース(直径38.6mm、厚さ9.0mm)。5気圧防水。605万円(税込み)。2023年受注分は完売。
(左)那由他モデルB
2針にバーインデックスを組み合わせたシンプルなモデル。那由他モデルAと同じく、針は青焼き。インデックスはプリントだが、12時位置のロゴは手彫り。那由他モデルAの方が問い合わせが多いというが、篠原氏自身の「思い入れが強いデザイン」なのは那由他モデルBだ。手巻き。17石。SSケース(直径38.6mm、厚さ9.1mm)。5気圧防水。297万円(税込み)。2023年受注分は完売。
Photographs by Yu Mitamura
Text by Chieko Tsuruoka (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年1月号掲載記事]


マサズ パスタイムのオリジナルウォッチ「那由他モデルA」「那由他モデルB」

 東京・吉祥寺に位置するマサズ パスタイムは、中島正晴氏が運営する時計修復工房だ。アンティークウォッチの修理や修復、販売のほか、顧客の要望によってムーブメントから時計をカスタム製作したり、エングレービングしたりといったオーダーメイドも行っている。さらに近年はオリジナルウォッチの製作プロジェクトをスタート。2023年、製品化が実現した。

中島正晴、篠原那由他

マサズ パスタイムの店主、中島正晴氏(右)と時計師の篠原那由他氏(左)。取材中、ふたりの人柄は終始和やかな印象で、明るい店内と併せて職場の雰囲気の良さを感じた。なお、店頭には貴重なアンティークの懐中時計や腕時計が並ぶほか、実際に職人がギヨシェマシンを用いて文字盤製作を行っている様子を見られることもある。

 このプロジェクトの中心人物は、21年からマサズ パスタイムに籍を置く篠原那由他氏だ。篠原氏はヒコ・みづのジュエリーカレッジ在学中にマサズ パスタイムで研修を開始し、すぐにオリジナルウォッチ製作に参画した。以前から中島氏にはオリジナルウォッチの構想があり、篠原氏との出会いによってこの構想が具現化することになったのだ。

 プロジェクト始動から約2年。ついに完成を見たオリジナルウォッチは2型。ひとつはギヨシェ文字盤に手彫りでブレゲ数字のインデックスを与え、6時位置にスモールセコンドを配した「那由他モデルA」。もうひとつはセクターダイアルにバーインデックスを備えた2針の「那由他モデルB」である。

 このオリジナルウォッチで見るべきは、篠原氏が設計・製造を手掛けたムーブメントだ。とりわけ那由他モデルAの脱進機周りが面白い。テンワに、「アルボロン」という新素材を用いているのだ。アルボロンはアドバンスコンポジット(静岡県富士市)が開発した、アルミニウムを約60%、セラミックスを約40%使った複合素材だ。軽量かつ加工性に優れる一方で剛性もあり、回転や高速振動を担うパーツに適している。しかし、腕時計での採用は初。なぜアルボロンを用いたのかと聞くと、篠原氏は「軽さ」の重要性を語った。このムーブメントはフリースプラングテンプであり、テンワにはプラチナ製マスロットが取り付けられている。重いプラチナは精度調整時の変化量を大きく取れるが、テンプ自体も重くなるという課題を抱える。そこでアルボロンがテンプの軽量化に寄与しているのだ。なお、那由他モデルAはシースルーバックであるため、ムーブメントのかなりの部分を占有する、この調速機を観賞できる。また、C.O.S.C.レベルまで精度を追い込むことを目標としている。

 一方、那由他モデルBはアルボロンを用いておらず、またソリッドバックであるためムーブメントは見られない。精度も、那由他モデルAほど追い込んではいないという。しかし篠原氏は、本作の方を「自分のやりたかったデザイン」と語る。那由他モデルAはアンティーク時計に見られるクラシックな意匠をコンセプトにしているが、本作は篠原氏が一からデザインを考え、そのアイデアを落とし込んだ文字盤を採用しているのだ。確かにセクターダイアルの中央に有機的なパターンが浮かぶ様はシンプルな意匠のアクセントとなっており、さりげない独創性を楽しむことができる。

那由他モデルAに搭載されるムーブメント

那由他モデルAに搭載されるムーブメント。テンワに複合素材「アルボロン」が使われている。大きなテンプや、そこに取り付けられたマスロット、そしてテンプを支えるブリッジに篠原氏の世界観が表現される一方で、コート・ド・ジュネーブやペルラージュといった伝統的な装飾も楽しめる。パーツの仕上げは佐々木健斗氏による。

 もっとも、このふたつのオリジナルウォッチが「独創的」なのは、プロジェクトの進め方にある。前述の通り、篠原氏はマサズ パスタイムに入社してすぐ、オリジナルウォッチの製作に着手した。この時、店主の中島氏は篠原氏にすべてを任せ、開発中の製品に対して一切の口出しは行わなかったと言うのだ。「どんな風になるのかな、という思いで見守っていました。このプロジェクトは期限を設けておらず、時間がかかればお金もかかるし、また、商品として成立するのかという不安はありました。しかし、私が一番懸念していたのは、各プロセスを分担し、責任を分散させた結果、凡庸な、誰が何のために作りたいのか分からないプロダクトになってしまうことです。だからたとえ新人であろうと、任せると決めた篠原に徹底して任せました」。とはいえ、大きなコストも時間も発生するプロジェクトを、入社したばかりの新人に一任するという決断はなかなかできないだろう。中島氏は、こうも続けた。「作った製品が(市場で)評価されなかった時、一番辛いのは作った本人です」。

 一方でオリジナルウォッチの実現は、決して篠原氏ひとりではなく、マサズ パスタイムというチームで成し遂げたと、ふたりが口を揃えた。「細かな仕上げを始め、100%すべての工程を行う技術は持っていないので、周囲に協力してもらいながら仕事をしています。また、自分ひとりだけで作るのではなく、他のスタッフの意見を取り入れながら、より良いプロダクトを作っていこうとも思っています」(篠原氏)。

 本作を「チームで成し遂げた」と言った背景には、開発段階での意見交換やムーブメントの仕上げを佐々木健斗氏が、那由他モデルAの文字盤製作を辻本啓氏が手掛けたという共同作業的な意味合いもあろう。しかしそれ以上に、プロジェクトを支える周囲のチームワークが発揮された結果として、オリジナルウォッチの今があると中島氏は強調した。「プロジェクトに関わっていないスタッフも通常業務をこなすことで、開発を支えました。製作に直接携わったのは篠原と佐々木ですが、完成させたのはスタッフ全員だと認識しています」。

 那由他モデルは受注開始後、予想よりも申し込みが多く、抽選販売となった。注文は国外からも多数寄せられたという。今後はこういったニーズに応えるために那由他モデルの製造を続けつつ、中島氏が手掛けるオリジナルウォッチ製作プロジェクトも同時に進行する。

 チームで支え、育て、創り上げるオリジナルウォッチは、今後いっそう伸び伸びとした成長を見せるに違いない。



Contact info: マサズ パスタイム Tel.0422-38-8744


ウォルター・ランゲ・ウォッチメイキング・アワード最優秀賞は日本の篠原那由他さんが受賞

https://www.webchronos.net/news/44323/