ハイウォッチメイキングの真髄を探る  ミニアチュール・エナメルで再現されたルーベンスの模写

FEATURE本誌記事
2023.08.27

ヴァシュロン・コンスタンタンとルーヴル美術館のパートナーシップは、2019年に始まっている。この関係から生まれたのが、ルーヴル美術館の収蔵する巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの傑作、『アンギアーリの戦い』を「レ・キャビノティエ」のダイアルにエナメルで再現した、前代未聞のマスターピースである。

レ・キャビノティエ-ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ

『アンギアーリの戦い』のハイライト、馬と人物がもつれるように絡み合うダイナミズムが、ジュネーブ伝統のミニアチュールで描かれた。彩画には3~4本の硬い毛だけが付いた筆や、サボテンの棘までもが使われている。さらにヴァシュロン・コンスタンタンのエナメル職人は、リモージュ・ホワイトによるグリザイユの技巧を追加し、奥行きある立体感を表現。力強い構図に同系色の淡い塗り重ねやセピアトーンの柔らかいタッチで与えられた深みまでも再現された。
並木浩一:文 Text by Koichi Namiki
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年9月号掲載記事]


VACHERON CONSTANTIN × MUSÉE DU LOUVRE

レ・キャビノティエ-ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ

レ・キャビノティエ-ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ
“A masterpiece on your wrist”(=「あなたの腕に傑作を」)の先駆けとして製作された「レ・キャビノティエ」のタイムピース。再現された絵画に関する真正証明書をルーヴル美術館が発行する。自動巻き(Cal.2460 SC)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。18KPGケース(直径40mm、厚さ9.42mm)。ユニークピース。

 何世紀も語り継がれることを確言できる腕時計は、そう多くはない。それでも「レ・キャビノティエ-ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ」には、間違いなくその資格があるだろう。

 ルーベンスはいうまでもなく、17世紀フランドル・バロックの巨匠と評される画家である。物語「フランダースの犬」の主人公ネロがその下で息絶えた、アントワープ聖母大聖堂のあの名画の作者だ。『アンギアーリの戦い』は現在ルーヴル美術館の収蔵品であるが、鑑賞するためには事前手続きを踏まなくてはならない。その秘蔵の作品が、新しい生命を得た。

アンギアーリの戦い

ルーヴル美術館収蔵、ルーベンス作『アンギアーリの戦い』。ダ・ヴィンチによる巨大な壁画は未完のまま、のちに失われたが、それ以前に模写された作者不詳のデッサンに絶妙の手を加えた傑作。タイトルの「戦い」とは1440年、イタリア・トスカーナ地方アンギアーリで、ミラノ公国軍に対してフィレンツェ共和国軍が勝利した攻防戦を指す。

 物語の始まりは、ルーヴル美術館に連帯して2020年に開催されたオークション “Bid for the Louvre” で、1本のカスタム可能な「レ・キャビノティエ」が落札されたことである。前年からルーヴル美術館とパートナーシップを結んだヴァシュロン・コンスタンタンは、全額を教育的ワークショップ〝Le Studio〞(ル・ストゥディオ)に寄付。一方、落札者には驚くべきオファーが用意された。ルーヴル所蔵の作品を選び、ダイアルに再現する権利が提供されたのだ。同美術館の学芸員らと意見交換の末に選ばれたのが、美術館の南西端にある版画・素描閲覧室(キャビネ・デ・デッサン)に保存された『アンギアーリの戦い』である。

 この名画はもともとレオナルド・ダ・ヴィンチが、フィレンツェの現ヴェッキオ宮殿に描こうとした大壁画である。未完のまま失われた下絵の模写を入手したルーベンスがインクやチョーク、水彩で加筆。その〝インスパイア〞が幻の大作の名声を継承した。いっぽう宮殿の下絵があった場所には、のちにヴァザーリによる別の壁画が描かれている。まだ下絵が存在することを伝えるメッセージがその絵に潜んでいるという伝承は、美術界ではよく知られている。そうした巨匠らのオーラが交錯する『アンギアーリの戦い』に、21世紀の生命が吹き込まれた。

レ・キャビノティエ-ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ

Cal.2460 SCのローターにはルーヴル美術館の東側ファサードがエングレーブされた。オフィサータイプのケースバックに刻まれた流麗なカリグラフィーの文字は“Cerca Trova”(=探せ、されば見つからん)。ヴァザーリが自作の壁画の中に書き込み、ダ・ヴィンチの絵の存在を伝えたという伝承があるこの言葉は、もともと新約聖書の「マタイによる福音書」に登場するもの。

 ヴァシュロン・コンスタンタンの熟練の職人が選んだのは、ジュネーブ伝統のミニアチュール(細密画)にグリザイユ・エナメルの技法を重ねることだ。透明の施釉ではなく、厚みを変えたリモージュ・ホワイトで施釉することで、躍動的な人物と馬の構図に、絶妙の奥行きを与えた。16世紀の壁画から17世紀の素描、そして「レ・キャビノティエ」のエナメル文字盤に。ヴァシュロン・コンスタンタンにより稀代の美は凝縮され、3度目の芸術作品になったのである。

広田ハカセの「ココがスゴイ!」

 ジュネーブの誇る伝統工芸のひとつが、精密画をエナメルで再現するミニアチュール・エナメルだ。カラフルな色をあしらうのが定石。対してヴァシュロン・コンスタンタンは、あえてセピアトーンで描かれた『アンギアーリの戦い』を題材に選び、ルーベンスのタッチも再現してみせた。不朽の傑作をエナメルで再現したのは、絵画に同じく、このユニークピースも永遠に残るという自信があればこそ。筆者が見たのは写真のみ。しかし、その完成度は群を抜いている。



Contact info: ヴァシュロン・コンスタンタン Tel.0120-63-1755


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