時計経済観測所/依然として消えない「資産インフレ」で時計市場を牽引する米国

LIFEIN THE LIFE
2023.11.13

中国経済の大幅な減速は、時計業界関係者にとって、もはや織り込み済みだ。むしろ、米国経済の減速懸念に、多くの関係者はやきもきしているに違いない。果たして、米国経済の現状と、その行方はどうなるのだろうか?気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が、米国経済に焦点を当て、分析・考察する。

磯山友幸:取材・文 Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2023年11月号掲載記事]


依然として消えない「資産インフレ」で時計市場を牽引する米国

 米連邦準備制度理事会(FRB)は9月20日に開いた公開市場委員会(FOMC)で政策金利を据え置いた。据え置きは2会合ぶりで、いよいよ米国の利上げが終わりを告げるかに思われたが、同時に公表された参加者による経済見通しでは19人中12人が年内の追加利上げを予想。米国で進む高いインフレが簡単には沈静化しないと見ていることが明らかになった。

 8月の米国の消費者物価指数は前年同月比3.7%上昇となった。上昇率は7月には3.2%にまで鈍化していたが、再び上昇ピッチが高まった。依然として人手不足が続いており、これに伴って賃金も上昇、旺盛な消費が物価上昇をもたらしている。

 猛烈なインフレに対してFRBは2022年3月から利上げを開始、政策金利は0.25%から引き上げが続き、現在は5.25%から5.50%に誘導されている。当初は大幅な金利引き上げによって米国経済は不況に突入するとの見方もあったが、実際には物価上昇と賃金上昇が続く「景気過熱」状態が続いている。

 こうした景気過熱を背景に、世界の高級時計市場も米国が依然として牽引する状態が続いている。大幅な金利上昇で消費に急ブレーキがかかると見られたが、今のところ杞憂に終わっている。スイス時計協会(FH)が発表しているスイスから世界各国・地域へのスイス時計の輸出額を見ると、7月の米国への輸出額は前年同月比5.2%増にまで減速していたものの、8月は13.5%増と再び2ケタの伸びとなった。全世界向けの輸出額は4.0%の増加で、これを大きく上回っており、世界の時計需要を米国市場が引っ張っている姿が改めて鮮明になった。

一段と鮮明になった中国の景気減速

 一方で、中国の景気減速が一段と鮮明になっている。8月のスイス時計の中国本土向けは27.3%減と大幅な減少になった。中国では不動産バブルの崩壊が鮮明になり、失業率が急激に上昇。消費が冷え込んだために、デフレに突入したと見られている。

 特に高級時計や宝飾品などの需要が一気に減少している。不動産価格が上昇することによる「資産効果」で高級品が買われていたものが、不動産バブルの崩壊で、「逆資産効果」とも言える状況になっている。

 米国では大幅な金利上昇にもかかわらず、株式相場などは底堅い展開になっている。ニューヨーク・ダウは利上げが始まる前の2021年11月に3万6432ドルの最高値を付けた後、下落しているものの、9月のFOMC後でも3万4000ドル台を維持している。金利上昇期には通常、金利が上がる国債などに資金がシフトして株式市場には大きくマイナスになるが、新型コロナウイルス感染症流行期に通貨発行を増やす量的緩和政策を採った結果、ドルの価値自体が下落するインフレが深刻化した。通貨価値が下がるということは他の実物資産のドル建て価格が上昇するということを意味する。株価が思ったほど下落していない背景にはドル価格の下落が大きく影響している。

 通貨価値が下がるインフレに対抗するために、富裕層などが優良な不動産物件や株式、金といったインフレに強い資産に資金をシフトしている。

スイス時計の輸出総額は過去最高になる見通し

 そうした資金が高級時計などに向かう傾向も続いている。ヴィンテージ・ブランドものの中古時計の価格が大幅に上昇したのも、こうした通貨をモノに変えておく動きに連動している。インフレがなかなか収束しないとなると、高級時計市場への資金流入は続くと見ていいだろう。

 スイス時計の世界向け輸出総額は、2023年1月から8月までの累計で、前年同期間を9.2%上回っており、年間でも2022年を上回って過去最高になる見通しだ。中国が大きく減速する中で、米国の牽引役としての存在感が一段と大きくなっている。スイス時計の市場規模としては米国に中国大陸が肉薄していたが、ここへきて大きく差が開き、米国ひとり勝ちの様相を呈している。

 そうした中で日本の高級時計市場も堅調だ。物価上昇が鮮明になる中で、円安が続いており、「円の価値の下落」が誰の目にも明らかになっている。株価が33年ぶりの高値水準を付けるなど好調なのも、実態価値が上がっているというよりも、円価値が下落している影響が大きいと見ることができる。

 資産を保全するために、都内一等地の不動産に資金が流入するなど、実物資産化の動きも激しくなりつつある。高級時計にも同様に資金が流入し続けている。生活必需品の消費に力強さは見えないため、日本銀行はなかなか利上げに踏み切れない。よって、当面は資産価格の上昇は続きそうな気配だ。日本国内での時計販売にも追い風が続くことになるだろう。


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