時計経済観測所/インフレと金融危機の同時発生は高級時計需要に追い風?

LIFEIN THE LIFE
2023.05.04

世界的に、いわゆる“コロナ禍”が落ち着きを見せ、人の動きが活発化し始めた矢先、米国のシリコンバレー銀行に端を発する金融不安で、欧米の経済が揺れている。日本は、4月に日本銀行総裁の交代を控え、金融政策の行方に注目が集まっている。不透明感を増した2023年の世界と日本の経済、そして、“時計経済”を、気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析・考察する。

磯山友幸:取材・文 Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2023年3月号掲載記事]


インフレと金融危機の同時発生は高級時計需要に追い風?

磯山友幸

 米国の中堅銀行で総資産全米16位のシリコンバレー銀行(SVB)と同29位のシグネチャー銀行が相次いで経営破綻した。さらに欧州ではスイス2位の国際的大手金融であるクレディ・スイスが経営危機に直面、同国最大手のUBSが買収して救済する事態になった。リーマン・ショックのような金融システム危機が世界を襲うのではないか、という不安が渦巻いている。

 米国の中堅銀行が破綻に追い込まれたのは、世界的な金融の流れが逆転したことが大きい。新型コロナウイルスによる未曾有の経済危機を乗り切るために続けてきた大幅な金融緩和を、米FRB(連邦準備制度理事会)が見直し、金利を大幅に引き上げ始めたことから、世界的な「カネ余り」の状況が一変したのだ。

 背景にはジャブジャブの資金供給の結果、猛烈なインフレが米国を襲ったことがある。FRBは2022年初めまで0.25%だった政策金利を立て続けに引き上げた。その副作用として体力のない銀行が破綻する事態に直面したわけだ。最もFRBは2行が破綻した後の3月も政策金利を0.25%引き上げ、誘導目標を4.75%から5.0%とした。物価上昇率はいくぶん鈍化したものの、まだまだインフレは収まっていないことから、インフレ抑制の姿勢を崩していない。

インフレを追い風に増えるスイス時計輸出額

 高級時計の動向を見る上で、ひとつの指標になるスイス時計協会のスイス時計輸出額統計を見ると、2023年1月と2月の累計の米国向け輸出額は、6億6490万スイスフラン(約950億円)と前年の1-2月累計に比べて20.5%も増えた。米国の消費がいまだに過熱していることを示す高い伸び率である。金利を引き上げれば、通常は株価が大きく下落するが、ニューヨーク・ダウは一進一退を繰り返しながら、3万2000ドル前後を維持している。まだまだカネ余りの余韻は残り、消費が一気に冷え込む気配には乏しいことを物語っている。

 さらに、猛烈なインフレが高級時計消費に追い風になっている面もある。インフレというのは貨幣の価値が下がることだから、劣化する貨幣を持っていては資産が実質的に目減りしていく。貨幣ではなく、不動産や高級宝飾品といった「実物資産」に財産をシフトしておこうという流れが続いているのだが、そのひとつとして高級時計にも資金が向いている。

 スイス時計協会の2月の価格帯別の輸出統計では、200スイスフランから500スイスフランの価格帯、日本円で2万8500円から7万1000円の価格帯の輸出額は18.9%も減少、一方で、200スイスフラン未満と500スイスフラン以上は2桁の伸びとなり、「二極化」が鮮明になった。中でも3000スイスフラン(43万円)超の高級時計は13.7%も増えている。つまり、高額な高級時計は売れ続けているのだ。

 1-2月の全世界向け輸出額は前年の同期間に比べて10.6%増となっている。主要30カ国中26カ国が前年を上回っており、世界的にもまだ消費増の余波が続いていると見ていい。1月は前年比マイナスだった中国本土向けも2月にはプラスに転じている。

一方、日本向け輸出は鈍化

 そんな中で若干気がかりなのが日本だ。1-2月累計の日本向けの輸出額は3.4%増にとどまっている。昨年は一時期急ピッチで円安が進んだこともあり、円建て価格が上昇する前に購入しておこうという前倒し需要や、日本の国力低下や「円」の信用力への不安から「実物資産」にシフトしておこうという動きが強まった。百貨店の貴金属売り場や高級ブランドショップが絶好調だったのは周知の通りだ。

 それが、円安が一服していることもあってか、日本向け輸出の伸びが鈍化している。日本銀行総裁の交代などを控え、日本経済の先行きを見極めたいという思惑が強まっているのかもしれない。仮に日本でも金利が上昇(国債価格が下落)することになれば、地方銀行などの財務体質が悪化する懸念もある。一方、本格的なインバウンド需要の増加に期待する向きもあり、先行きへの見方も交錯している。


磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
http://www.isoyamatomoyuki.com/


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