グランドセイコー初の機械式クロノグラフ「テンタグラフ」は見た目以上にスゴイ! これは精度を追求したGSの正統進化モデル

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2023.04.21

新型メカニカルクロノグラフムーブメントCal.9SC5の3つのポイント

 このCal.9SA5をベースにしたメカニカルクロノグラフムーブメントには、Cal.9SC5という名称が与えられた。この新型クロノグラフムーブメントのポイントは、大きく3つある。

Cal.9SC5

1.Cal.9SA5をベースムーブメントとしている点

 第1が、すでに述べたように、ベースムーブメントは、現在、グランドセイコーが誇る最も高精度かつ堅牢なムーブメントCal.9SA5をベースとしていることだ。

デュアルインパルス脱進機

Cal.9SA5が採用した新しいデュアルインパルス脱進機。動力の伝達効率が高いデテント脱進機と高い安全性によって広く使用されているスイスレバー脱進機の利点を併せ持つ。

 したがって、Cal.9SA5同様、デュアルインパルス脱進機に加え、グランドセイコーフリースプラングと独自の巻き上げヒゲゼンマイを持つ。これらによって、高い精度と安定した信頼性がかなえられているのだ。

グランドセイコーフリースプラング

Cal.9SA5で初めて導入されたグランドセイコーフリースプラングと巻き上げヒゲゼンマイ。ヒゲゼンマイをヒゲ棒で規制し、その有効長を変えることで歩度を調整する緩急針を廃したのが、自由振動式のフリースプラングである。歩度の調整はテンワにねじ込まれた4つのネジで行う。衝撃で動いてしまい、精度に影響を与える緩急針がないため、耐衝撃性に優れる。テンワには、独自の外端カーブを持つ巻き上げヒゲゼンマイを備える。

2.クロノグラフ機構を文字盤に配置している点

 第2が、クロノグラフ機構を文字盤側に配した点だ。実は、セイコーは2014年以来、文字盤側にクロノグラフ機構を配したムーブメントのノウハウを持つ。今回、グランドセイコー初のメカニカルムーブメントの開発にあたって、前出の江頭氏によると、一体型のクロノグラフも検討したという。

 しかし、あえてモジュール型を採用することで、ベースムーブメントとクロノグラフ機構を明確に切り分け、複雑になりがちなムーブメントの構造を整理し、かつクロノグラフ機構への負荷も低減した。

9SC5 クロノグラフ

2020年に登場したCal.9SA5をベースに、その文字盤側にクロノグラフモジュールを追加したのが新型クロノグラフムーブメントCal.9SC5の基本構成である。

 もうひとつ特筆すべき点が、セイコーが2014年以来、採用する三叉ハンマーの採用である。これは、秒・分・時を積算する3つのクロノグラフ車のそれぞれに付いたリセット用のハートカムを、1枚のプレートで構成される3つに分岐したリセットハンマーで一度に、確実にリセットするというものだ。

 これも10年近い熟成を経て採用されているだけあって、リセット時の安定性に加え、3つのリセットハンマーを1枚のプレートで構成することによる整備性の高さにも寄与していると思われる。

三叉ハンマー

クロノグラフの計測機能を担うセンターのクロノグラフ秒針に加え、インダイアルの30分積算計と12時間積算計の3つのカウンターを同時にリセットする三叉ハンマー。

3.現代クロノグラフを象徴する3つの要素を持っている点

 最後の第3のポイントが、「自動巻き」「垂直クラッチ」「コラムホイール」という、現代のメカニカルクロノグラフを象徴し、かつ不可欠な3つの要素をすべて備えている点だ。

 もちろん、クロノグラフ作動時においても約3日間(約72時間)という十分に実用的なパワーリザーブを誇る点も、ベースムーブメントにCal.9SA5を採用した恩恵であるが、それに加えて、自動巻きであるため、着用して使用し続けていれば、時計が止まる心配はほぼない。

 コラムホイールによるクロノグラフ機構の制御は、普及版の機械式クロノグラフムーブメントによく見られるカムによる制御以上に、スタート/ストップ/リセットの操作を確実にする。

 ただし、Cal.9SC5では、文字盤側にクロノグラフ機構を配したため、シースルーバックからは、このコラムホイールによるクロノグラフ機構制御の様子を観察することはできない。とはいえ、コラムホイールの回転によって、クロノグラフ機構を制御するこの仕組みは、クロノグラフの一連の操作を、不必要に大きな力でプッシュボタンを押さなくても効率良く采配してくれる。

コラムホイール

Cal.9SC5は、クロノグラフのスタート/ストップ/リセットの操作を制御する機構にコラムホイールを採用する。

 実際、今回のCal.9SC5では、クロノグラフを操作する2時位置と4時位置のプッシュボタンの操作感と押し心地にも配慮されており、これは体感的にではあるが、スプリングドライブムーブメントをベースとしたクロノグラフとほぼ同等か、より軽快であった。

 具体的には、『クロノス日本版』2018年11月号(第79号)の「最強クロノグラフ徹底インプレッション」特集において、グランドセイコー スプリングドライブ クロノグラフが搭載するCal.9R86(コラムホイール式)のスタート時のプッシュボタンの押し込み力を実測しているのだが、その重さは1687.50gだ。また、リセット時のプッシュボタンの押し込み力は1543.75gであった。

 参考までに、汎用エボーシュとして最も普及しているクロノグラフムーブメントのひとつとしてよく知られているETA 7750(カム式)のスタート時のプッシュボタンの押し込み力は約1000~1500gとされている。

 軽過ぎれば誤作動を起こし、重過ぎれば操作性が悪くなるうえ、正確な計測ができなくなるのが、クロノグラフのプッシュボタンの押し込み力である。

 かつて、セイコーの機械式ムーブメントの設計者が、「私たちの手掛けたクロノグラフの6Sは、発表当初、プッシュボタンを押す際の押し込み力が600gしかなかった。しかし誤作動を起こしかねないので、1kgまで増やした」(『クロノス日本版』2018年11月号より)と明言した。

 このことから推測するに、Cal.9SC5のプッシュボタンの押し込み力も1000g以上で、かつCal.9R86よりも軽快な重さに調整されているだろう。

 垂直クラッチは、文字通り、垂直方向の摩擦力で連結する。そのため、歯車の噛み合いで連結する水平クラッチが歯先と歯先が接触する際に、角度によっては秒クロノグラフ車を余分に回転させて針飛びを起こしてしまうことがあるのとは異なり、クロノグラフ機構の連結時に針飛びすることなく、スムーズに動力をクロノグラフ機構へ伝達できる。従って、より正確な計測が可能になった。

垂直クラッチ

Cal.9SC5は、クロノグラフ機構へ動力を伝達する際の連結・解除に、垂直クラッチを採用する。上の図は、秒クロノグラフ車を駆動する中間車に組み込まれた垂直クラッチの様子。ふたつのアームを両側から差し込むことで、摩擦車の連結が切れたオフの状態。

 現代の機械式クロノグラフに多く見られる垂直クラッチであるが、セイコーにとっては、歴史的な遺産ともいえる機構である。1969年にセイコーが発表した世界最初期の自動巻きクロノグラフムーブメントCal.6139(諏訪精工舎製)が採用していたのが、この垂直クラッチであったからだ。

 ゆえに、2007年に登場したグランドセイコー初のクロノグラフムーブメントCal.9R86(セイコーエプソン製)がクロノグラフの動力伝達機構に、スイスの高級機械式クロノグラフの多くが採用する水平クラッチではなく、あえて垂直クラッチを採用したのも道理である。

 また、スイスの時計業界においても、2000年代以降、力ある時計メーカーがこぞって自社開発するようになった“現代のクロノグラフムーブメント”の多くが、この「自動巻き」「垂直クラッチ」「コラムホイール」の3点セットを採用していたのは、明らかに当時の大きな潮流であり、クロノグラフ好きであれば、周知のことだろう。