日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編)

FEATURE本誌記事
2019.09.17

OSG
プロジェクトTの製作に使用されたOSG製の工具。ごく一般的なドリル刃から、エングレービングに用いる極細のエンドミルまでさまざま。

 OSGはプロジェクトTを通じて、貴重なデータを蓄積することにも成功した。一例は地板の切削だ。浅岡は地板にジャーマンシルバーを用いるが、これは時計産業以外では切削材として用いられるケースはほとんどない。OSGは、回転数や刃送りといった加工条件のデータを蓄積できただけでなく、時計産業で用いられる極小工具のニーズを把握することにも繋がった。また浅岡が特注した工具の数々は、製品化のためのプロトタイプでもあった。例えばジャーマンシルバーのコート・ド・ジュネーブ用に製作したエンドミルは、軽合金用のハイヘリカルタイプにDLC加工を施したもの。ネジ溝の面取りに使う超硬タガネは、直径6ミリのブランク材から、シャンク径4.7ミリにまで削り出された力作である。これはスイス製のポンス台が、なぜか4.7ミリ径だからだ。

浅岡がOSGに特注した工具。右は軽合金の切削に用いるハイヘリカルタイプのエンドミルにDLC加工を施したもの。浅岡はこれで、ジャーマンシルバーにコート・ド・ジュネーブを“切削”する。浅岡にとってのコート・ド・ジュネーブは単なる装飾ではなく、本来の目的に合致した、受けの最終的な高さ合わせ。ジグに固定する際の微妙なテンションの差や接着剤の厚みなどで発生する20~30ミクロンといった誤差を、2枚の受けを同時に切削することで修正する。これは19世紀に一般的だった工法で、加工母材のレシピも19世紀懐中時計の雰囲気を優先して選んでいる。左は“OSG渾身の力作”と浅岡が評価する超硬製のタガネ。

地板などのネジ切りに使用されたプラネタリータップ。ネジの形状を“転写”するハンドタップと異なり、ネジひと山分の歯を順に刻んでゆく。刃送りはCNC制御で、下穴よりも工具径が小さいため、破損時のリスク回避につながる。

 浅岡は過剰とも思えるほどに切削加工にこだわるが、聞いてみればそれぞれに意味がある。例えばCNC用のプラネタリータップを使ったネジ切り。通常のハンドタップは下穴径よりもツール径が大きいため、もしタップが折れたらリカバリーは利かない。CNCでネジピッチを制御するプラネタリータップは下穴径よりも細いため、折れてもひっくり返すだけだ。また歯車の歯切りを切削で行う例はほとんどないが、これもカッターマークの方向を考えれば理に適っている。ホブカッター(歯切り旋盤)で切った歯は、切削痕が摺動抵抗となる向きに入るため、歯を入念に磨き出す必要がある。対してエンドミルで切った歯は、切削痕自体は抵抗を生まない。加えて中心軸を同時に削り出すため、歯車の偏心も生じない。

歯車を含む、切削部品の大半は由紀精密の担当。しかし3軸の切削加工で最も難しいのは、厚さを決めるZ軸の調整だと浅岡は言う。これはCNCのオペレーションより、ジグへの固定方法が大きく影響するからだ。なお厚み方向の公差が最も厳密なテンワ(公差±5ミクロン以内)の切削は浅岡自身が行ったが、由紀精密ならばさらに正確な加工も可能だったはずだ。しかし切削時の微妙なニュアンス(ジグに固定した際のごくわずかな傾きなど)を浅岡自身が把握していないと、調整時の追い込みがやり難いのも道理である。歯車はカッターマークの方向から、切削加工の恩恵が強く出ている部分。なおウルフティース歯車は、実質的にはサイクロイド歯車とも問題なく噛み合うが、浅岡は中間車への接続を、ウルフティースとサイクロイドの2層構造として設計した。

 プロジェクトTの機構的特徴は、香箱部分をまとめた〝パワーパック〞と、キャリッジを含む輪列部分に分かれるデタッチャブル構造である。アッセンブルとメンテナンスにも有利な構造だが、浅岡が最重要視したことは、キャリッジの受けを一体成形することであった。これはパーツ単体で受けの水平垂直をキッチリと出すことで、キャリッジ真のズレを極力なくすことが目的である。また同様の理由で、浅岡は稼動ヒゲ持ちを搭載していない。ヒゲ持ちを動くようにしておけば、ビートエラー(片振り)の調整は簡単に行えるが、重いヒゲ持ちを動かすことで、キャリッジの重心位置も容易にズレてしまう。3DCADで行った重心計算(各パーツの比重データがあれば、回転の中心軸は計算で出せる)を反故にするくらいなら、試運転と調整を繰り返す手法を浅岡は選択したのである。

浅岡が愛用する1960年代のオリンパス製マイクロスコープ。「性能的にはこれで十分。安いし」とは浅岡の談だが、そのスタイリングに惚れ込んで使っていることは間違いない。

浅岡自作のCNCフライスに追加されたコントロールパネル。工程の最後にヘッド部分のリフトを組むことで、自動で電源を落とせる仕組み。パネルのデザインにも浅岡のこだわりが見える。

 菊野も浅岡も、その作品は十分にオートオルロジュリとして世界に認められる資質を備えていよう。では日本の〝高級時計〞は、彼ら独立時計師たちの独壇場になってしまうのか?

 気を吐いたのはシチズンである。同社はミラノサローネの凱旋展示に、ひっそりとトゥールビヨンを展示した。説明は一切なし。ただマニュファクチュールたる矜持を示すために、数名の有志が開発に取り組んだと聞いた。優れたテクノロジーを〝高級時計〞として世界に示す実践者は、彼らのような〝有志〞の中から生まれるのかも知れない。

過日行われたミラノサローネの凱旋展に展示されたシチズン製トゥールビヨン。詳細は一切不明だが、どうやらダブルバレルのようだ。什器内のパーツからは、本来はここに「ザ・シチズン」のCal.0910が置かれるものと思われるが、今回は同ムーブメントの発表に合わせて“マニュファクチュール宣言”を行ったシチズン内の技術者有志が手掛けた“社内プロトタイプ”が展示されたのである。裏押さえの面取りひとつを見ても分かるように、とにかく仕上げが素晴らしい。なお一部のインターネットメディアでは、ラ・ジュー・ペレとの関連を示唆する発言もあったが、それはないと断言しておきたい。