世界のウォッチパーソン紳士録 2020年度版

FEATURE本誌記事
2021.03.20


Catherine EBERLÉ-DEVAUX
カトリーヌ・エベルレ-デュヴォー[タグ・ホイヤー/ヘリテージ ディレクター]

カトリーヌ・エベルレ-デュヴォー

1973年11月15日/フランス生まれ。
①フランスのエデック ビジネススクールでマーケティングを専攻。卒業後15年間、高級ハンドメイドのフットウェア業界に従事する。2014年にタグ・ホイヤーへ入社。
②タグ・ホイヤーのアーカイブ、タグ・ホイヤー ミュージアム、展示会、ヴィンテージウォッチ修理工房、そして自社の時計製造の技術を伝えるコミュニケーション全般を統率。「モナコ」50周年やブランド創立160周年などの節目に貢献。
③6歳の頃に祖父からプレゼントされたケルトンの紺色の機械式時計。今でも時々身に着けています。
④ ――


Oliver EBSTEIN
オリバー・エブシュタイン[クロノスイス/オーナー兼CEO]

オリバー・エブシュタイン

1975年3月5日/スイス、チューリヒ生まれ。
①チューリッヒの高校を卒業した後、ローザンヌの大学と、スペイン、マドリードのIE大学で学び、MBAを取得。マドリード企業財務を手始めに、数多くの国際的な製造を行う中規模企業、特に医薬品の分野で管理職を歴任する。2012年より現職。
②クロノスイスのCEOに就任後、本社をスイスのルツェルンへ移転。ブランドのイメージを鮮明にすることに注力し、モットーである「モダン・メカニカル」に基づいて伝統的なレギュレーターダイアル式モデルをコレクションの中心に据える。
③ユニバーサル・ジュネーブ。
④ロックダウンの間、私たちはルツェルンの本社工房で働くことができませんでした。この解決策として、時計職人たちがそれぞれの自宅で仕事ができるように作業場を設けました。これは組織的にはかなり困難なことでしたが、それが功を奏し、製造工程を維持することができました。


Hiromitsu ENDO
遠藤弘満[ノット/CEO兼代表取締役]

遠藤弘満

1974月8月3日/東京都生まれ。
①ウォッチプロデューサーとしてルミノックスを日本に定着させ、スカーゲン、ヌーン、ベーリングといった北欧ブランド時計を年間20万本の市場へと成長させた。2011年、「デンマーク輸出協会賞及びヘンリック王配殿下名誉勲章」を受章。14年、メーカーズ ウォッチ ノットを設立。
②14年、クラウドファンディング「マクアケ」で当時の史上最高額500万円を調達。翌年2回目には1000万円を達成。15年、経済産業省プロデュース「MORETHAN PROJECT」、日経ビジネス「次代を創る100人」に選出される。2020年10月現在、国内13店舗の直営店を構えるほか、台湾、シンガポール、タイなど海外5カ国に展開。
③G-SHOCK「AW-500」。
④モノだけではなく、サービスを充実させたメンバーシッププログラムの運用でユーザーとのコミュニケーション強化および越境Eコマースの強化。


Louis FERLA
ルイ・フェルラ[ヴァシュロン・コンスタンタン/CEO]

ルイ・フェルラ

1975年1月17日/ベルギー生まれ。
①2001年、リシュモン グループに入社。香港、台湾、アラブ首長国連邦で海外勤務を経験する。カルティエ中国のCEOを経て、17年より現職。
②ヴァシュロン・コンスタンタン全体において、「勝利」そして「協調性」につながるマインドセットを育て、顧客中心型の戦略を実現。常に最良のアイデアが採用される組織を構築した。
③大学卒業時に手に入れたカルティエ「タンク」。
④ヴァシュロン・コンスタンタンにとっての最優先順位は、社員、顧客、取引先の健康と安全です。これまで戦争、経済危機、感染症、革命なども経験して乗り越えてきました。現在、世界各国における厳しい状況下でも、私たちのモットーである「可能な限り最善を尽くす」を体現しています。それは、常に前を向いて一番美しい時計を作り続け、顧客に向けたベストなサービスを提供することです。


Laurent Georges FERRIER
ローラン・ジョルジュ・フェリエ[ローラン・フェリエ/創業者]

ローラン・ジョルジュ・フェリエ

1946年12月19日/スイス、ジュネーブ生まれ。
①時計職人の家に生まれ、ジュネーブ時計学校で訓練を受ける。卒業後、パテック フィリップに入社し、37年間勤める。この頃にレースドライバーとしてのキャリアも並行し、ル・マン24時間耐久レースにも出場。2008年、自身の名を冠したブランドを設立し、2年後のバーゼルワールドでファーストモデルを発表。
②シンプルさ、正確さ、古典的な美しさを備えた時計を追求し、構想からキャリバー開発、生産に至るまで、息子クリスチャンとともに手掛ける。
③父親からの贈り物のスティール製のORATOR。8歳くらいのことですが、昨日のことのように覚えています。
④ポストCOVID-19の環境で人々はより多くの真正性を求め、積極的に自分の富を見せない、いわゆる「ステルス」エレガンスへシフトする人も増えるでしょう。ローラン・フェリエは、そのエートスを表現するのに完璧なブランドだと感じています。


Romain GAUTHIER
ローマン・ゴティエ[ローマン・ゴティエ/創業者兼オーナー兼CEO]

ローマン・ゴティエ

1975年2月2日/スイス、サンティミエ生まれ。
①技術学校で精密工学を学んだ後、時計部品メーカー「フランソワ・ゴレイ」に入社し、プロダクション・マネージャーを務める。2002年にMBAを取得し、05年にローマン・ゴティエを設立。
②有能なウォッチメーカーを迎え入れ、工房設立から間もなく、ファーストキャリバー2206HMを搭載した「プレスティージHM」を発表。13年、ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリにて「ロジカル・ワン」がメンズ複雑時計賞を受賞。
③12歳の時に両親から贈られたセクターのクロノグラフ。
④世界各国のオーナーや時計愛好家、メディア、販売店の皆様と直接顔を合わせることを重視し、事業を拡大してきました。コロナ禍の影響でそうした機会が制限されていますが、その中でもつながりを保ち続ける方法を模索中です。しかし自粛生活によって、今後のプランについて熟考する時間が生まれたことも事実です。


Christoph GRAINGER-HERR
クリストフ・グランジェ・ヘアー[IWC/CEO]

クリストフ・グランジェ・ヘアー

1978年2月27日/ドイツ、フランクフルト・アム・マイン生まれ。
①2006年にIWCに入社。16年からは小売/海外営業取締役も兼任し、17年より現職。
②17年、アメリカでEコマースの運用をスタート。18年からは、IWCの公式webサイトで「インヂュニア クロノグラフ」の素材をユーザーが自由に組み合わせることができるオンラインツールサービス「IWC コンフィグレーター」を開始した。また同年、時計製造を1カ所に集約した最先端の生産拠点を完成させる。
③04年に購入したSS製ケースのIWC「アクアタイマー・クロノグラフ」。
④Time well sharedというプロジェクトはまさにIWCらしいプロジェクトです。各国が最短で最大限にさまざまなプロジェクトを実現しました。これは常に大切にしている「信頼関係」だと思います。Eブティックもしかりで、ブランドを深く理解いただいていることで成り立つビジネスです。


Frédéric GRANGIÉ
フレデリック・グランジェ[シャネル/時計・宝飾部門社長]

フレデリック・グランジェ

1969年10月9日/フランス、バニェール=ド=ビゴール生まれ。
①1992年にパリのスプ ドゥ リュクスを卒業後、21年間LVMHグループに勤務。2010~16年、ルイ・ヴィトンジャパンCEOを務め、16年7月、現職に就任。
②17年「プルミエール カメリア コレクション スケルトン」、18年「ボーイフレンド スケルトン」、19年「J12」で、ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリのレディス部門を受賞。20年にはケースからブレスレットまでサファイア製の「J12 X -Ray」や、ブラックとホワイトのセラミックを組み合わせた「J12 パラドックス」を発表し、20周年を迎えたJ12を強化。
③1980年代初めのカシオのカリキュレーターウォッチ。
④この難局においてはクリエイションがすべての核であるということの重要性を今まで以上に感じています。組織として進化すること、顧客と新しい交流手法を持つことで、この局面を乗り越えることができると確信しています。


Ricardo GUADALUPE
リカルド・グアダルーペ[ウブロ/CEO]

リカルド・グアダルーペ

1965年3月5日/スイス、ヌーシャテル生まれ。
①1988~94年、ブルガリのプロダクトマネージャーを務め、95~96年、ブランパンのブランドマネージャー、97年、同セールス&マーケティングディレクターに就任。2001年に独立。04年よりウブロのマーケティングと製品コンサルタントを務める。05年、ウブロのマネージングディレクターに就任。12年より現職。
②08年、ジャン- クロード・ビバーとともにウブロのサッカー界進出を推し進めた。今ではワールドカップのオフィシャルタイムキーパーを務めるほどの地位を確立。
③ヌーシャテルで作られた「MICROMA」の時計。
④ ――


Dominique GUENAT
ドミニク・ゲナ[リシャール・ミル/共同経営者、ゲナ・モントル・ヴァルジン/CEO]

ドミニク・ゲナ

1952年11月15日/スイス、ル・ノワールモン生まれ。
①サン=モーリス大学を卒業したのち、1974年までヌーシャテルのビジネススクール、ジュネーブ大学では建築学を学ぶ。76年にサンティミエのロンジンに入社。79年からジュラ州の公共機関で財務を担当。86年、父のロジェ・ゲナが経営するゲナ・モントル・ヴァルジンに加わる。
②エンジニアや開発部門の増員、ウォッチメーカーの発掘と採用、管理部門の設置、品質管理部門の拡大、マーケティング部門の構築に尽力し、ブランドの成長に貢献。
③私の家系はモントル・ヴァルジンという名前で時計を製造していたので、父からもらったヴァルジンの時計以外にはありえません。
④私たちは従業員を守るために最善を尽くし続けます。平常が戻るよう心から願っていれば、生産スケジュールの失った時間を2021年半ばには取り戻すことができると予想しています。


Alexander GUTIERREZ DIAZ
アレクサンダー・グティエレス・ディアス[ラング&ハイネ/CEO]

アレクサンダー・グティエレス・ディアス

1978年7月20日/ドイツ、ローゼンハイム生まれ。
①2013~20年、ボーム&メルシエのゼネラルマネージャーに就任。17~19年にリシュモン グループのスペシャリスト・ウォッチメーカーとして、A.ランゲ&ゾーネ、ヴァシュロン・コンスタンタンなど8ブランドを担当。19~20年に中古時計オンライン販売「Watchfinder」のGMに就任。20年7月より現職。
②21年第2四半期に発表予定の新コレクション計画を開始。時計メーカーと仕上げ部門のための新社屋建築プロジェクトも担当。
③パネライ。直径44mmチタンケースの「サブマーシブル」。
④以前より需要が生産数より多いため、常に在庫が不足しているような状態でした。従って、売り上げへの大きな影響はありません。新作を準備し、職人技を発展させ、専門知識を完成させています。規模の拡大を目指し、現在、新規採用をしながら、21年末に完成する新社屋の建設に取りかかっています。


Haruhisa HANDA
半田晴久[ヤーマン&ストゥービ/オーナー社長]

半田晴久

1951年3月18日/兵庫県西宮市生まれ。
①同志社大学経済学部と武蔵野音楽大学特修科を卒業。エディスコーエン大学芸術学部大学院修了。清華大学美術学院博士課程修了。浙江大学大学院博士課程修了。1978年、26歳でミスズを創業。教育事業に加え、腕時計の卸と輸入事業を展開し、オリジナルウォッチも手掛ける。髙島屋で20年以上直営店を経営した後、専門店「HANDAWatch World」を全国展開。2017年にヤーマン&ストゥービのオーナー社長に就任。
②ISPS(国際スポーツ振興協会)会長として、世界中でゴルフトーナメントを主催。時計とゴルフへの愛から、ゴルフ時計、ヤーマン&ストゥービのオーナーになる。
③中学の入学祝いに贈られたセイコー。
④完璧なコロナ対策をした営業で、昨年より業績が伸びた。ハイエンドの顧客は、コロナに関係なく購入する。今後もその顧客層を開拓する。


Shinji HATTORI
服部真二[セイコーホールディングス/代表取締役会長兼グループCEO兼グループCCO、セイコーウオッチ/代表取締役会長兼CEO]

服部真二

1953年1月1日/東京都生まれ。
①1975年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、三菱商事へ入社。84年、精工舎入社。2017年にセイコーウオッチ、20年にセイコーホールディングスにおいて現職に就任。
②12年、世界初のGPSソーラーウォッチ「セイコー アストロン」を発売する。14年、「グランドセイコー メカニカルハイビート36000 GMT限定モデル」でジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリの「小さな針賞」を受賞。17年、グランドセイコーを独立したブランドとして確立させる。20年、グランドセイコースタジオ 雫石を開設。
③中学1年の頃に初めて手に入れた「セイコースポーツマチック5」と、父から譲り受けたグランドセイコー。
④海外各都市でのロックダウン、国内緊急事態宣言、世界的な移動制限による売上減。リアルとデジタルで適切なアプローチによるグランドセイコー、プロスペックスを軸としたブランディング強化を継続。


Marc A.HAYEK
マーク A.ハイエック[ブレゲ/社長、ブランパン/社長兼CEO、ジャケ・ドロー/社長、スウォッチ グループ/取締役]

マーク A.ハイエック

1971年2月24日/スイス、ルツェルン生まれ。
①1988年に米国、南カリフォルニア大学修士課程に入学し、91年にビジネス・マーケティング修士号を取得。翌年、家族が経営するスウォッチ グループに入社し、PR・マーケティング部門において広報活動やイベントを担当する。94年、サーチナのマーケティング・スポンサーシップマネージャーに就任。その翌々年にはチューリヒにレストランを開業。2001年にスウォッチ グループに再び加わり、ブランパンのマーケティングマネージャーに着任。その翌年、社長兼CEOに就任。10年、ブレゲ、ジャケ・ドローの社長兼CEOに就任。
②人材、生産設備、研究開発に対する投資に力を注ぎ、スウォッチ グループのプレステージブランドをリードし新たな推進力を与えた。
③ ―― 
④ ――


Francisco A. HERRERA
フランシスコ・A・ヘレラ[ボール ウォッチ/CEO]

フランシスコ・A・ヘレラ

1945年/エルサルバドル生まれ。
①シティグループのシティコープ、シティバンクにて30年以上のキャリアを経験し、その後、現職。
②過酷な環境下でも耐えうる頑強さや性能を備えた機械式時計の開発に専念し、顧客から喜ばれるような製品を数多く提供。
③ ―― 
④マーケットシュリンク。顧客の潜在ニーズに応える製品開発とレギュラー製品の品質向上。


Naoya HIDA
飛田直哉[NH WATCH/創設者兼代表取締役]

飛田直哉

1963年5月27日/京都府生まれ。
①1990年より複数の外資系専門商社においてセールスやマーケティングを担当。F.P.ジュルヌやラルフ ローレン ウォッチの日本における代表を務め、2018年に自身のブランド「NAOYA HIDA &Co.」を設立。豊富な経験を基にしたコンサルタント、販売員対象のトレーナーとしても活躍中。
②19年3月に最初のプロダクトであるNH TYPE 1Bを発表。20年4月にはNH TYPE 1CとNH TYPE 2Aを発表。
③中学の時に叔母からもらった全日空のロゴが文字盤に入った手巻き時計。
④我々は限られた顧客のために、極少数多品種の趣味性の高い時計を作ることを目標としています。このような状況下ですが、海外のお客様が大きく増えたこともあり販売は順調です。本来、私自身が香港を訪れて開催する予定だった7月のトランクショーは、ビデオ通話によるリモート形式で開催し、大きな成功を得ることができました。


Christine HUTTER
クリスティーネ・フッター[モリッツ・グロスマン/グロスマン・ウーレン創立者兼CEO]

クリスティーネ・フッター

1964年2月4日/ドイツ、アイヒシュテット生まれ。
①ミュンヘンで時計職人としてのトレーニングを受けた後、ヴェンペ、モーリス・ラクロア、グラスヒュッテ・オリジナル、A.ランゲ&ゾーネでキャリアを積む。2008年にグロスマン・ウーレン社を設立。
②ムーブメントの約90%の自社生産に成功。自社に設計部を設け、自社製キャリバー開発のためのプロトタイプ部門を設立。「ベヌー」「テフヌート」の開発や約20種類のコレクションなどの製作。
③祖母から譲り受けた手巻きの小径ムーブメントモデル。
④さまざまな制約の中、現在ごくわずかながらイベントを開催することができていますが、やはり私たちにとっては顧客との個人的なコミュニケーションが大切です。オンラインプレゼンテーションやウェブでのセミナー、そしてオンラインミーティングも積極的に取り入れ、またソーシャルメディアでの存在感を高め続けています。


Stefan IHNEN
ステファン・イーネン[IWC/研究開発副所長R&D部門責任者]

ステファン・イーネン

1973年8月18日/ドイツ、オーリッヒ生まれ。
①1992年より時計師としてのキャリアを積み、2002年、IWC入社。06~09年までムーブメント研究開発責任者を務め、10年より現職。
②IWC初の自社製クロノグラフムーブメントCal.89360の開発に深く関わる。ムーブメント研究開発責任者就任後は、「ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー・デジタル・デイト/マンス」や「ポルトギーゼ・トゥールビヨン・ミステール・レトログラード」など、複雑機構を搭載したモデルを開発。現職就任後は、チタンアルミナイドや炭化ホウ素などの新素材の採用や、セラミックス、チタンといった既存の素材のリバイバルを推し進める。
③子供の頃に祖父からもらったタイメックス。
④変わらないもの、変えなくてはいけないもの、どんな状況でもこの両輪は、大切であると痛感しました。


François-Paul JOURNE
フランソワ-ポール・ジュルヌ[モントル・ジュルヌ/代表]

フランソワ-ポール・ジュルヌ

1957年3月22日/フランス、マルセイユ生まれ。
①マルセイユとパリの時計学校を卒業後、叔父のもとでアンティークウォッチの修復に携わる。1982年にトゥールビヨン懐中時計を完成させ、99年に「F.P.ジュルヌ」を設立。
②ブランドの創設者兼代表として、全コレクションの設計からデザインに至るまですべてひとりで行う。2004年、06年、08年のジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリでは、最高の栄誉である「金の針賞」を受賞。年間製作本数は約850本と小規模ながら、ケース、ダイアルなどの工房を自社で所有し、ダイアルは受注生産も行う。
③5歳の時に持っていた懐中時計。その時計を「ベベ・ガダム」(石鹸の銘柄)と呼んで大切にしていた。
④新型コロナウイルスの感染拡大の前後で大きな影響(変化)は感じていません。今後もブランドとしてより一層、精進して期待に応えられるような良い時計を製作することだけを考えています。


Kazuhiro KASHIO
樫尾和宏[カシオ計算機/代表取締役社長

樫尾和宏

1966年1月/東京都生まれ。
①1991年にカシオ計算機入社。2001年にカシオコミュニケーションブレインズ社長に就任。カシオアメリカ副社長、取締役専務執行役員 コンシューマ・システム事業本部長などを経て、15年より現職。
②大規模な組織改革に着手し、事業戦略本部の設置、BU制の導入や、創業以来初となる中期経営計画発表などを行う。直近1~2年における中国でのG-SHOCKの爆発的な売り上げ拡大を成功させる。
③初めて所有した時計は、1976年発売の「でんクロ CQ-1」(時計機能を搭載した複合電卓)。初めての腕時計は、83年発売のG-SHOCK初号機「DW-5000C」。
④消費者マインドの変化とユーザーとのタッチポイントの変化があった。デジタルマーケティングを駆使し、オンラインとオフラインの新たな融合を進め、ユーザーと直接のタッチポイントを築くことで、ユーザーひとりひとりに必要とされるモノやコトを提供していく。


Georges KERN
ジョージ・カーン[ブライトリング/CEO]

ジョージ・カーン

1965年1月25日/ドイツ、デュッセルドルフ生まれ。
①2000年、リシュモングループ入社。02年、当時最年少の36歳でIWCのCEOに就任。17年よりブライトリングのCEOに就任し、株主のひとりともなる。
②ユーザーターゲットの幅を広げ、広告キャンペーン、新しいコンセプトのブティックや正規販売店を通して、新たなブランドイメージを確立。中国市場とEコマースの強化。より質の高い全世界的なディストリビューション網を構築するとともに、製品展開を包括的に再構築した。
③父がデュッセルドルフのジュエラーであったため、時計に触れる機会が多く、若くしてさまざまなブランドの時計を身に着けていた。
④コロナ禍で消費行動や価値観に変化が見え始め、サステナビリティを大事にするブライトリングの姿勢は快く受け入れられている。オンラインとオフライン、どこからでもアクセスできるブランドを目指しオムニチャネル戦略を継続する。


Yusuke KIKUCHI
菊池悠介[KIKUCHI NAKAGAWA/設計者、共同創業者]

菊池悠介

1987年1月14日/兵庫県尼崎市生まれ。
①東京大学建築学科卒業後、連結会計ソフトウェアベンダーに就職。退職後に渡仏、パリ時計学校を卒業。帰国後に個人製作のためのブランドChronomètre創業。2018年に同ブランドは発展的解消をし、中川友就氏とKIKUCHI NAKAGAWAを創業する。
②第1作目の「MURAKUMO」。
③小学5年生の時に親に買ってもらったG-SHOCK。
④新型コロナウイルスによる世界的な景気後退で、時計が売れない時代になっていくのかもしれない。そのような中でも人々に魅力を感じてもらえるデザインをしていきたい。


Masahiro KIKUNO
菊野昌宏[独立時計師]

菊野昌宏

1983年2月8日/北海道深川市生まれ。
①自衛官を経て、ヒコ・みづのウォッチ&ジュエリーカレッジで時計修理を学ぶ。その後、独学で時計製作に取り組み、2011年に不定時法を自動表示する世界初の腕時計「不定時法腕時計」を製作。12年より自身の時計の販売を始め、独立時計師協会(AHCI)準会員になる。13年にAHCIの正会員になる。
②「不定時法腕時計」「トゥールビヨン2012」「木目」「折鶴」「和時計改」「朔望」を製作。これらの時計をベースとして、顧客と1対1で向き合い、唯一無二の時計を製作している。
③オリス「BC3 クロノグラフ」。
④バーゼルワールドなどの展示会がなくなり、お客様との直の交流ができなくなったこと。工房を出て人々と交流することは良い刺激だったので非常に残念。今できることは、オーダーをいただいている時計を完成させることと、新作の開発に取り組むことです。


Christian KNOOP
クリスチャン・クヌープ[IWC/クリエイティブセンター所長]

クリスチャン・クヌープ

1970年5月16日/ドイツ、ハルターン生まれ。
①ドイツのデュースブルク・エッセン大学を卒業後、デザイナーとしてキャリアを積み、2009年、IWCに入社。入社時からクリエイティブセンターの副所長を務めた後、14年より現職。リシュモン グループのボーム&メルシエ、ロジェ・デュブイ、ダンヒルなどのコンサルタントも務める。
②IWCが持つ6つのファミリーラインの再生に取り組む。最大の成果は、ポートフィノの再設計であり、IWCの製品ライン中で最も成功した製品のひとつへと導いた。
③8歳の時に初めて時計をもらったが、どのブランドか覚えていません。
④自分自身の中、組織、社会など、それぞれの視点で、さまざまな概念が変わったと思います。