世界を驚かせるグランドセイコー史上最高ムーブメント(後編)

FEATURE本誌記事
2020.08.06

既存スペックを凌駕する新型スプリングドライブCal.9RA5

星野一憲

Cal.9RA5と「スポーツコレクション スプリングドライブ 5 Days」に携わった人々。
(右)デザイナーの星野一憲氏。マイクロアーティスト工房の仕上げを量産モデルに活用したほか、Cal.9RA5の仕上げ手法を考案した。
(中)外装設計を行った松本賢一郎氏。2018年に改訂されたISOの新しいダイバーズウォッチの規格に準じて、以前より厳格化されたダイバーズ耐衝撃性基準を満たす外装を完成させた。
(左)ムーブメントを開発した平谷栄一氏。Cal.9R6系の設計にも携わった。

 キャリバー9R6系の開発に携わった平谷栄一氏は、新しい9R系ムーブメントの開発に際して、「今後30年以上使えるムーブメントであること」という目標を立てた。薄くすること、パワーリザーブを延ばすこと、コンプリートの外径は9R系ムーブメントと同じに留めること。テンプを持つ機械式腕時計の場合、テンプを小さくすればこういった問題はすべて解決する。しかし、精度をICとクォーツ(水晶振動子)で制御するスプリングドライブの場合、そのアプローチは取れない。スペースだけでなく、ムーブメント自体の効率を上げる以外の手段がないのである。

 セイコーエプソンの技術陣は、真っ当な手法で薄型化と大幅な性能の向上を両立した。平谷氏はこう語る。「主ゼンマイの形状見直し、歯形の変更、香箱から2番車への増速比を落とすことなどで、パワーリザーブを約120時間に延ばしました。企画初期では約100時間が限界でしたが、細かい改良の積み重ねで可能になりました」。改良点は多岐にわたる。ローターを支えるベアリングは転がり抵抗の小さなセラミックス製になり、自動巻きのマジックレバーは、薄型化のために中心からオフセットされた。しかし、設計の見直しにより、巻き上げ効率は既存の9Rと同じだ。

 ロングパワーリザーブの鍵となったデュアルサイズバレルは、メインとサブのサイズが異なる。理由は、一般的なツインバレルと構造が違うため。ムーブメントを駆動するのは大きなメインの香箱である。サブの香箱は、メインのトルクが下がった際に、チャージする役目を果たす。世間にふたつの香箱を持つ腕時計は少なくないが、これほどサイズの異なるツインバレルは、キャリバー9RA5しか存在しない。

Cal.9RA5

次世代の基幹ムーブメントたるべく開発されたCal.9RA5。受けの上面には梨地仕上げ、角には丸い面取りが施されており、開発地である信州で見られる霧氷と冷えて澄んだ星空の煌めきをイメージしている。また、メンテナンスがしやすいよう、1枚の大きな受けはピラーに固定されている。直径34mm、厚さ5mm。

Cal.9RA5

受けを外した状態のCal.9RA5。サイズの異なるふたつの香箱、自動巻き機構、輪列と発電用のトライシンクロレギュレーター、そしてICが同じ階層に置かれているのが分かる。無駄のない部品配置により、Cal.9RA5は薄さと頑強さを両立した。注目すべきは、主ゼンマイを押さえるコハゼがないこと。自動巻きのマジックレバーの爪をコハゼ代わりにすることで、潔くコハゼを廃止してしまった。大胆だが理にかなった設計である。

 9RA5の公式な精度は月差±10秒と、既存の9R系ムーブメントよりも大きく改善された。その一因は、9Fクォーツに同じく、スプリングドライブとしては初めて、ICに温度補正機能を加えたため。1日に540回、温度を検知し、水晶の振動数を補正することで、9RA5は温度変化に強くなった。また、心臓部に採用されるクォーツも9F同様、約3カ月かけてエイジングしたものが使われている。もっとも、温度補正機能の搭載は極めて困難だった、と平谷氏は語る。

 バッテリーを動力源にする9Fに比べて、主ゼンマイのほどける力で複数の針を動かし、自己発電する9RA5は駆動電圧が2分の1、消費電流が3分の1しかない。理論上は温度補正機能を加えられないが、平谷氏は先に述べた輪列やゼンマイ、自動巻き機構の改良によって成功した。これは、劇的な進化である。

 9R6系との違いはまだある。ムーブメント内部に「発電機」を内蔵するスプリングドライブは、理論上、磁気に弱い。対してセイコーエプソンは、ムーブメント外周に耐磁リングを噛ませることで耐磁性能を高めた。しかし、心臓部に磁気帯び対策をした結果、9RA5は耐磁リングが不要になったのである。

 9Rスプリングドライブの完成形とも言える9RA5。その薄さと非凡な基礎体力は今後、グランドセイコーを大きく変えていくに違いない。

オフセットマジックレバー

オフセットマジックレバー

セイコーエプソンの前身である諏訪精工舎が開発したマジックレバーは、部品点数が少ない上に巻き上げ効率が高く、摩耗しにくい。ただし、ローター軸の下に爪を固定したクランクを置くため、どうしても厚みは増してしまう。対して平谷氏はマジックレバーをローター軸の下からずらすことで薄型化を図った。ローターを支えるベアリングをセラミックスに変更して玉数を増やしたほか、稼動量を9R6系と同じにすることで、歯車が増えたにもかかわらず同等の巻き上げ効率を実現している。

デュアルサイズバレル

デュアルサイズバレル

Cal.9RA5が採用するのは、ふたつの主ゼンマイを持つデュアルサイズバレルだ。しかし、一般的な直列/並列の香箱とは異なり、メインとサブで香箱と、内蔵する主ゼンマイのサイズが異なる。時計を駆動するのはメインの主ゼンマイ。トルクが下がると充電器よろしく、サブの香箱がほどけ、自動的にメインの香箱の主ゼンマイを巻き上げる。この機構により、Cal.9RA5は約120時間という長いパワーリザーブを実現した。

ワンピースセンターブリッジ

ワンピースセンターブリッジ

薄いCal.9RA5をダイバーズウォッチに搭載できた理由のひとつは、ムーブメント自体の剛性を高めたため。一体型の受けに加えて、厚さ1.6mmのワンピースセンターブリッジで輪列を強固に固定している。また、ムーブメント自体の耐磁性能を高めたため、ムーブメント外周の耐磁リングが不要になった。


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