世界のウォッチパーソン紳士録 2020年度版

FEATURE本誌記事
2021.03.20


Nazanin LANKARANI
ナザニン・ランカラーニ[フリージャーナリスト、ラグジュアリーコンサルタント]

ナザニン・ランカラーニ

1965年8月18日/イラン、テヘラン生まれ。
①国際弁護士を経て、コミュニケーションコンサルタントとして、またニューヨークタイムズ、ヴァニティ・フェアー、GMTマガジン、ドイツ版クロノスなどの著名な出版物の寄稿者として、ラグジュアリー業界に転向。
②キャリアの途中で進路を変更する挑戦の末、カルチャーとラグジュアリー業界で独立系ジャーナリストが国際的に活躍する機会を確立することに貢献。
③ハイスクール卒業の際に父がくれたカルティエ「サントス」。
④国際的なサプライチェーンと店舗内販売に加え、Eコマースの可能性を拡大する時計ブランドは、中古とグレーマーケットでの熾烈な競争に直面する必要があるだろう。


Christian LATTMANN
クリスチャン・ラトマン[ジャケ・ドロー/CEO]

クリスチャン・ラトマン

1969年10月20日/スイス、ビエンヌ生まれ。
①1989年、ロンジンに入社。95年、オメガに入社。2002年、プロダクトマネージャーならびに取締役会メンバーとしてブレゲに入社。06年、ブレゲ副社長兼プロダクトマネジメント部門のトップに就任。09年にはジャケ・ドロー運営委員会のメンバーを兼任する。12年、ジャケ・ドローの上席副社長に就任。16年よりブレゲの役職を辞任し、ジャケ・ドローのCEOに就任。
②創造性を高めるため、部門間の壁を取り除き、社内を取りまとめる。
③ロンジン「リンドバーグ」とオメガ「スピードマスター ムーンウォッチ」。
④多くのビジネスモデルや組織の再考を余儀なくされました。しかし、この危機の中でも投資を続け、新製品を発表し続けます。特に日本はジャケ・ドローにとって重要です。職人の専門技術やオートマタ、「グラン・セコンド コレクション」などを高く評価してくださるユーザーがいるからです。


Franz LINDER
フランツ・リンダー[ミドー、ユニオン グラスヒュッテ/CEO]

フランツ・リンダー

1967年/スイス、ベルン生まれ。
①金融業界でキャリアをスタートし、1995年、ミドーに入社。2002年よりミドーCEOを務める。
②CEOに就任後、ビジネスの規模を15倍に拡大する。高品質な機構とタイムレスなデザインを組み合わせた機械式時計を、適正な価格で提供することで、10万~30万円の価格帯における確固たる地位を確立。
③エドックスの時計。
④ほとんどの国で数週間から数カ月間にかけて小売店がクローズすることになり、結果として、消費者は商品の情報を集めたり、時計を購入したり、修理したりすることができなくなりました。Eコマースでの購入や、ネットで情報検索をしたことがなかった多くの人々がその習慣を変えることになりました。新型コロナウイルスの影響は、私たちと消費者とのコミュニケーション方法や、また製品の流通、サービスの提供の仕方への変容を加速させていると言えます。


Eric A. LOTH
エリック・A・ロト[グラハム/創業者および代表取締役社長]

エリック・A・ロト

1958年12月29日/スイス、ビエンヌ生まれ。
①ヌーシャテル大学大学院で金属物理学を、ローザンヌのIMDビジネススクールで経営学を修める。1980年、デザイン部門開発エンジニアとしてラドーに入社。86年、スウォッチ グループ製品開発部門のジェネラルマネージャーに就任。94年にザ・ブリティッシュ・マスターズ社とP2Mコンサルティング社を設立。
②1995年に時計製作の専門家から協力を得て、レ・モン社を設立。2001年8月に社名をザ・ブリティッシュ・マスターズ社と改め、クロノグラフを発明した時計師ジョージ・グラハムの名を受け継ぐ時計コレクションの創作をスタートさせた。
③ティソ。
④ ――


Serge MAILLARD
セルジュ・メイラード[時計専門誌『ヨーロッパスター』発行人兼編集長]

セルジュ・メイラード

1985年10月3日/スイス、ジュネーブ生まれ。
①ジュネーブとウィーンで外交を、そしてロンドンとヌーシャテルでジャーナリズムを学び、その後、スイスのメディアエージェンシーで5年働く。2014年より現職。
②1927年に祖父がジュネーブで設立した出版社の4代目。編集品質の向上とグローバルチャネル(印刷、ウェブ)を拡大する。50年より時計アーカイブをデジタル化。メディアと時計産業の激しい変化の時代に適応しつつ、『ヨーロッパスター』の評判とDNAを維持する。
③スイスの多くの子供たちと同じように、6歳の時に手にした「フリック フラック」。
④スイスの時計産業が2005年から15年の間に、その規模を2倍にしたグローバル化の波が止まりかけています。時計産業は、インターナショナル・ツーリズムではなく、国内マーケットと地元の消費者・常連に再び焦点を合わせる必要があります。


Edouard MEYLAN
エドゥアルド・メイラン[H.モーザー/CEO]

エドゥアルド・メイラン

1976年11月27日/スイス、ジュウ渓谷生まれ。
①スイス連邦工科大学で機械工学を学んだ後、フィラデルフィアのウォートンスクールでMBAを取得。経営コンサルティングを経験し、2013年よりH.モーザーに携わる。
②「ベンチャー」「パイオニア」「スイス アルプ ウォッチ」「ヘリテージ」「ストリームライナー」の5つのコレクションを新たに展開。「Very Rare」のコンセプトの下、斬新な色使いや素材、時には挑発的なコミュニケーションも駆使し、時計製造の伝統と現代をつなぐ懸け橋を目指す。5年前に比べて3倍の生産量と利益を達成。
③7歳の時に父親からもらったSS製、青文字盤のレマニアの時計。
④Eコマースが4月に大きな成功を収め、SNSを中心とするデジタルチャネルでも強い存在感を示しています。8月にはゲスト数が限られたジュネーブ・ウォッチ・デイズに参加しました。雰囲気は非常にポジティブで、結果は驚くべきものでした。


Serge Alexander MICHEL
サージュ・アレクサンダー・ミシェル[アーミン・シュトローム/オーナー]

サージュ・アレクサンダー・ミシェル

1978年5月1日/スイス、ブルクドルフ生まれ。
①ホテル運営と経済の学位を取得した後、広告代理店へ就職しコンサルティングを担当。2007年、アーミン・シュトロームを引き継ぐ。
②マニュファクチュールを設立し、09年に自社製キャリバーARM09を発表。16年、世界初のレゾナンス・コレクションを発表、特許を取得。同年、ミニッツリピーターとレゾナンスの複雑機構を併せ持つモデルを発表。
③大学卒業時に贈られたジャガー・ルクルト「レベルソ」。初めて自分で購入した時計はタグ・ホイヤーの自動巻きダイバーズウォッチ。
④閉鎖中、時計コレクターからSNSで質問や要望を受け取りました。彼らとの直接的な関わりを得て、透明性がイベントより大事であるということを学びました。人々の購入動機はマーケティングのバブルによるものではありません。今後は顧客をオンラインおよびオフラインで、スイス、ビエンヌにある工房へ招待していきます。


Richard MILLE
リシャール・ミル[リシャール・ミル/CEO]

リシャール・ミル

1951年2月13日/フランス、ドラギニャン生まれ。
①1970年代より大小の時計ブランドに携る。90年代にモーブッサンのウォッチ部門およびジュエリー部門のCEOを務めた後、2001年にリシャール・ミルを設立。
②ブランドの創業と発展に尽力し、現在は数百人の従業員を率いて年間約5000本の時計を製造する。「エクストリームウォッチ」をコンセプトとし、革新的な素材の開発や採用、堅牢で使いやすく洗練されたデザインで高級時計の概念を覆す時計を打ち立てた。
③8歳か9歳の頃、カチカチという音がどこから聞こえるのか知るためにこじ開けようとして壊した時計があったことを覚えています。
④製造工場で働く従業員をCOVID-19から守るために対策を講じ、生産量の約20%を失って遅延が生じた際にも、キャンセルが少なかったことを大変うれしく思っています。時計が届くのを待ってもいいと言ってくれることは私にとって最高の褒め言葉です。


Benoit MINTIENS
ベノワ・ミンティエンス[レッセンス/創業者]

ベノワ・ミンティエンス

1972年8月8日/ベルギー生まれ。
①工業デザインのコンサルタントとしてキャリアをスタート。12年間勤務した頃にレッセンスを創業する。2010年のバーゼルワールドで3つのプロトタイプを発表。その後、勤めていた会社を退職し、レッセンスに専念する。
②限られた予算のスタートから機能的な試作品の製作に取り組み、オイルを内蔵した機械式時計「タイプ3」や、IOTを搭載した「タイプ2」などを発表。
③緑と赤の文字盤と金メッキのグッチのクォーツウォッチ。
④スイスの工場と世界中の小売店が約3カ月間閉鎖された影響を大きく受けました。危機的状況の中、7月にはオークションハウスのサザビーズとともに「レッセンス・ウォッチデザイン・コンテスト」を実施。集まった約500枚の時計の絵の中からひとつを選び実装、その販売収益をベルギーの大学が行うCovid-19研究プログラムの支援へと充てました。


Sascha MOERI
サーシャ・モエリ[カール F. ブヘラ/CEO兼ブヘラグループ執行役員]

サーシャ・モエリ

1972年12月6日/スイス、ベルン生まれ。
①ニューヨーク州立大学オールバニ校でマーケティングと経済を学び、MBAを取得。その後、スウォッチ グループ、ミシェル・ジョルディ、マイラスなどで幅広い業務に従事する。
②2010年にカール F. ブヘラへ入社後、製造能力の向上に注力し、年間売り上げを当時の5倍にあたる3万本以上へと伸ばす。レディスラインの強化をはじめ、コレクションの幅を拡張するとともに、「ヘリテージ トゥールビヨン ダブルペリフェラル」のような伝統と技術力を打ち出すモデルも発表。
③スイス製ではラドー。
④この2年でEコマース、特に中国でのJD.comとT-mall、ブヘラショップとトルノーでのオンラインセールスのプラットフォーム構築に投資をしてきたことが奏功。今後もオンライン、オフラインでのタッチポイントをバランスよく整え、製品をエクスクルーシブかつパーソナルな方法でプレゼンできる機会も増やします。


Franck MULLER
フランク・ミュラー[フランク ミュラー ウォッチランド/創立者]

フランク・ミュラー

1958年7月11日/スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれ。
①ジュネーブ時計学校を卒業後、世界中の著名なコレクターから複雑時計の修復を任される。1986年のバーゼル・フェアにて「フリー オシレーション トゥールビヨン」を発表。91年にヴァルタン・シルマケスと出会い、テクノウォッチ社を設立。92年にブランドとしてユニークピース以外で初のコレクションを発表し、98年に社名をフランクミュラー ウォッチランドに改め、独自の展示会WPHHを開催。
②フランク ミュラー ブランドとして、24種類以上の「世界初」と50種類以上の特許を取得。
③7~8歳頃に、父から「インカブロック(アンチショック)だから壊れない」と教わった時計。
④ ──


Tomonari NAKAGAWA
中川友就[KIKUCHI NAKAGAWA/時計師、代表取締役]

中川友就

1979年4月14日/長野県長野市生まれ。
①2010年にシチズンマイクロ、12年にシチズン時計、16年に東京時計精密へ入社。18年、菊池悠介氏とともにKIKUCHI NAKAGAWAを創立。
②1本目の代表作となる「MURAKUMO」を発表できたこと。
③10歳くらいの時に親に買ってもらった、カシオのBM-100WJ。
④国内およびスイスの部品サプライヤーと取引があるため、景気後退によって時計ブランドから注文が減るなどの影響を受けたサプライヤーの減少を一番心配しています。対策として、新たなサプライヤーの開拓などを視野に入れています。


Michel NAVAS
ミシェル・ナバス[ラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトン/創業者、時計職人]

ミシェル・ナバス

1962年5月29日/スペイン、サラマンカ生まれ。
①時計職人の家系に生まれ、ブザンソンの時計学校で学ぶ。時計職人としてオーデマ ピゲ、ジェラルド・ジェンタ、パテック フィリップ、フランク ミュラーにて働く。2007年に主として複雑機構を手掛ける工房、ラ・ファブリク・デュ・タンを、エンリコ・バルバシーニとともに共同で設立。11年、ルイ・ヴィトンの傘下に収まり、現在に至る。
②さまざまなブランドへのハイウォッチコンセプトの製作。
③父親が組み立てた機械式時計。
④新型コロナウイルス感染には気を付けながら工房で引き続き新しいモデルの開発を行っています。対策としては、在宅の時はビデオカンファレンスを使ってスタッフとコミュニケーションを取っています。


Chabi NOURI
シャビー・ノウリ[ピアジェ/CEO]

シャビー・ノウリ

1969年5月9日/フランス、リヨン生まれ。
①カルティエと、ロンドンのタバコメーカー「BAT」を経て、2014年にピアジェへ入社、インターナショナル・マーケティング&セールスマネージャーを務める。17年より、リシュモン グループの時計部門初となる女性CEOとしてピアジェ インターナショナル CEOに就任。
②世界最薄機械式時計の「アルティプラノ アルティメート コンセプト」を発表し、ピアジェの創造性と伝統的な価値の融合を体現する。
③母からの贈り物のピアジェのヴィンテージウォッチ。ゴールドのブレスレットが付いた美しい時計でした。
④私たちは、働き方、コミュニティーとの関わり方、創造物を共有する方法を再考するようになりました。20年4月には、ウォッチズ&ワンダーズのデジタルプラットフォームを通じて時計への情熱を共有することができました。これにより、世界中のより幅広い視聴者にリーチできるようになりました。


Gerhard J. NOVAK
ゲルハルト・J・ノヴァク[ポルシェデザイン/ジェネラルマネージャー]

ゲルハルト・J・ノヴァク

1968年4月1日/オーストリア、ウィーン生まれ。
①コマーシャル・アカデミーで経営管理およびマーケティングの学士を取得。卒業後、ブライトリング、セイコー、カルティエのセールスを担当。1994年にオメガへ入社し、セールス&マーケティングとしてウィーン、ビエンヌを経て、ロシアにおける副社長に就任。スワロフスキーなどを経た後、2005年よりポルシェデザインに参加し、11年に副社長就任、13年より現職。
②14年にスイスで時計専用の自社工場「ポルシェ・デザイン・タイムピーシーズ」を設立し、革新的なスポーツカー関連のコレクションを展開。20年には時計のパーソナライズサービスを開始、150通り以上の組み合わせを提供。
③セイコーのクォーツのクロノグラフ。
④交通量減少の影響で消費者需要が落ち込んだが、「スポーツ・クロノ」などのスポーツカーと関連するプログラムを拡張して、時計購入のための新しい理由付けを創出します。


Yasunori OGAWA
小川恭範[セイコーエプソン/代表取締役社長]

小川恭範

愛知県生まれ。
①1988年にセイコーエプソン入社。ビジュアルプロダクツ事業部長などを経て、2020年4月より現職。
②長年プロジェクターの開発設計に携わり、1994年にはエプソン初のビジネスプロジェクターの商品化を実現。2018年からは技術開発本部長として研究開発・生産技術開発を担い、19年にはウォッチ事業を含めたウェアラブル・産業プロダクツ事業セグメントを統括。
③諏訪精工舎製のセイコークォーツ。
④ウォッチ市場は引き続き厳しい環境が続きそうだが、総原価低減、固定費削減を徹底していく。また、現場の人たちのモチベーション向上を重視し、組織風土改革を全社で進めている。チームで難関を突破する風土を浸透させた上で、楽しく、わくわくするような個性的なウォッチを生み出し続けたい。20年には、オリエント「キングダイバー」の復刻モデルの発売や、新機構スイングジェネレーター搭載モデルの充実などを予定。


Giulio PAPI
ジュリオ・パピ[オーデマ ピゲ ル・ロックル/テクニカルディレクター]

ジュリオ・パピ

1965年5月22日/スイス、ラ・ショード・フォン生まれ。
①ラ・ショー・ド・フォン時計学校で時計師・修復師の課程を修了し、1984年にオーデマ ピゲへ入社。仕上げと装飾のスキルを活かして、スケルトンワークショップでキャリアをスタート。86年にルノー・エ・パピを設立し、数年後、拠点をル・ロックルに移す。同社はオーデマ ピゲの全面的なサポートの下、後にオーデマ ピゲ ル・ロックルに改称。92年に現職へ就任。
②2008年、ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリの最優秀時計師賞を受賞し、15年には起業家精神をたたえるガイア賞を受賞。11年には職人技に対する認知向上を目的とした『Horological finishingand decoration(時計の仕上げと装飾)』という本を出版。
③子供の頃、最初にもらった時計はフランス製のオジバル。10代の頃はコルムで、大人になってからはIWCです。
④ ――


Michel PARMIGIANI
ミシェル・パルミジャーニ[パルミジャーニ・フルリエ/創業者、時計師]

ミシェル・パルミジャーニ

1950年12月2日/スイス、クヴェ生まれ。
①1976年、スイス時計産業が危機を迎えていた時代にアンティークの芸術作品を中心とした時計修復工房を設立。80年代、モーリス・イブ・サンドコレクションのメンテナンスを受注。96年、パルミジャーニ・ムジュール・エ・アール・デュ・タン社を立ち上げ、ブランドを設立する。
②96年に発表した「フルール・オリエント」の置き時計。ルネッサンス期の時計や「ペンデュル・シンパティック」時計など、歴史的名品の修復。
③26年にフルリエで製作されたオルマ。10代の頃に父から贈られました。
④今回の経験は私たちを普遍的に考えるように導いています。慌てず冷静に対応しなければなりません。それはまだ、巨大な未知であります。その先にあるチャンスに敏感でいるべきです。75年にも私は、誰もがこの仕事をしないように忠告するような危機的な状況にありました。時計業界は、その年に9万人分の職を失いました。


Jupp PHILIPP
ユップ・フィリップ[フォルティス/オーナー兼CEO]

ユップ・フィリップ

1976年7月6日/ドイツ、レーゲンスブルク生まれ。
①1997年より、ミュンヘンで社会教育学を学ぶ傍ら、プロのドラム奏者となる訓練を受ける。2001年より果汁飲料メーカーを経営。18年より現職。
②会社システムの再構築を敢行するとともに、新しい社風を取り入れ、営業システムと販売ネットワークを改善する。フォルティスブランドを再定義する。
③フォルティス「オフィシャル・コスモノート・クロノグラフ」のチタン製モデル。
④新型コロナウイルスの影響下で、ブランドの本質的な部分を再考し、ブランド戦略や画期的な新商品を開発するきっかけとなりました。販売拠点がすべて閉鎖したロックダウンの最中、フォルティスの新しいウェブサイトでEコマースの販売促進を行い、成果を実感しています。


Antoine PIN
アントワーヌ・パン[ブルガリ・グループ/ウォッチ部門マネージングディレクター]

アントワーヌ・パン

1970年9月23日/フランス、ナント生まれ。
①HEC経営大学院を卒業。1994年、DFSおよび中東のタグ・ホイヤーにてキャリアをスタート。その後、ブシュロンを経て、2002年にLVMHグループ ゼニスに入社。LVMHウォッチ&ジュエリーUKのマネージングディレクターに昇進し、タグ・ホイヤー ジャパンと韓国のジェネラルマネージャー、ブルガリ グレーターチャイナ マネージング ディレクターを歴任した後、ベルルッティの副社長に就任。2019年より現職。
②ウォッチ関連全般のビジネス戦略の立案を担当。同部門トップとして商品開発に従事。ウォッチ部門に関わる数百名のスタッフを統括。
③ ―― 
④新型コロナウイルスがビジネスに与える影響は、供給する側と流通側の双方でパートナービジネスが減少することによって生じるリスクです。今後の対策としては、幅広い世代へのアプローチと時計開発を支援する強力なエコシステムが必要だと考えます。


Jean-Marc PONTROUÉ
ジャンマルク・ポントルエ[パネライ/CEO]

ジャンマルク・ポントルエ

1964年5月12日/フランス、ヴァンヌ生まれ。
①ナントビジネススクールで経済学を専攻。LVMHグループのジバンシィなどを経て、2000年にモンブランへ入社。商品戦略開発副社長を務めた後、11年にロジェ・デュブイのCEOに就任。18年より現職。
②サブマーシブルを独立させるなど、プロダクトのカテゴライズを明確にする。ルミノールのケースにハイテク素材を採用。購入商品の国際保証を最大8年まで延長できる「PAMガード」を開始。
③毎日のランニングにG-SHOCKを着けています。
④私たちは変化に適応し、新しいデジタルの領域に踏み込んでいます。2020年4月、オンライン上で開催されたウォッチズ&ワンダーズで新作を発表。ブランドアンバサダーと双方向でコミュニケーションできる#OWNYOURTIMEのローンチのほか、バーチャル旅行やパネライプロダクトの舞台裏を紹介するコンテンツPAMCASTを始動。


Patrick PRUNIAUX
パトリック・プルニエ[ユリス・ナルダン、ジラール・ペルゴ/CEO]

パトリック・プルニエ

1970年6月12日/フランス、パリ生まれ。
①パリのHECとロンドンビジネススクールでMBAを取得し、スタンフォードビジネススクールを卒業。ロンドンの酒造企業へ入社。2000年、LVMHマイアミに参加。05年、タグ・ホイヤーに移動すると同時にLVMHグループのリテールコミッティーの一員となる。14年にアップル社の特別プロジェクトチームに参画し、アップルウォッチの発表などに携わる。17年にユリス・ナルダン、18年にジラール・ペルゴのCEOに就任。
②2ブランドの個性や伝統を保持しながら生産の改善を図る。Eコマースを強化する。
③6歳の時に父がくれたミッキーマウスの時計。
④コロナウイルスの出現と経済的影響による時計業界への大きな衝撃は数年続くものと考えています。我々は長期的に生き残り、敏捷に競争に耐えうるため2ブランドともに効果的に運営し、ブランド価値を保ちながら前へ進みます。


Pascal RAFFY
パスカル・ラフィ[ボヴェ1822/オーナー]

パスカル・ラフィ

1963年7月20日/レバノン生まれ。
①パリの大学で国際関係法の学士号を取得。2000年に投資家を探す多くの企業の中から、ボヴェを発見。02年にボヴェのオーナーとなる。
②複雑機構を自社一貫製造できる体制を整え、現在、アマデオ®システムなど17件の特許を保持。16年には、巻き上げ機構のシステムに搭載された球面デファレンシャルギアにより約22日間のパワーリザーブを生み出すムーブメントを開発。同年、この機械技術と非対称ケースを組み合わせた「ボヴェリサイタル 22 グランドリサイタル」を発表。この年から3年連続で「天文3部作」を製作する。
③祖父からもらった1930年製のクロノグラフウォッチ。
④最も決定的なのは、旅行が不可能に近いことです。状況に適応する方法を常に知っておく必要があるので、既存のコミュニケーションツールを使って、私たちの時計に込められた情熱をパートナーやコレクターに伝えていきます。


Catherine RÉNIER
カトリーヌ・レニエ[ジャガー・ルクルト/CEO]

カトリーヌ・レニエ

1975年1月19日/フランス、ラヴァル生まれ。
①1999年にボストン大学を卒業後、カルティエよりキャリアをスタート。2003年にヴァン クリーフ&アーペルへ転籍、13年に同社の環太平洋地域の社長に就任。2018年、ジャガー・ルクルトのCEOに就任。
②1200以上のキャリバーと180の職種のノウハウを持つブランドとして、時計の複雑さとデザインの両立を追求。2020年はクロノグラフとトリプルカレンダー搭載機のほか、4つの特許技術を組み合わせたキャリバー945などを発表。また「サウンド・メーカー™」を公開。
③8歳になった時の叔父からの贈り物。赤いストラップが付いた手巻き式の時計。
④ビジネスモデルを時代に適応させ、コミュニケーション方法の変更や、デジタルの新しいチャネル開発などに取り組みます。187年の歴史が語る信頼性と専門知識は、私たちに回復力を与え、この時間を着実に歩んでいけると感じさせます。


Carlos A. ROSILLO
カルロス・A・ロシロ[ベル&ロス/共同設立者兼CEO]

カルロス・A・ロシロ

1965年4月10日/フランス、パリ生まれ。
①フランスのHEC経営大学院卒業。ブリュッセル・ランベール銀行、コンサルティング会社に勤めた後、1992年、学生時代からの友人であるブルーノ・ベラミッシュとともにベル&ロスを立ち上げる。一貫してミリタリーウォッチにまつわるコレクションを発表。
②20年間でブランドを世界的な規模に成長させた。2012年、その功績によりフランス政府からレジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を受章。
③18歳の誕生日にもらった、祖父のものだった1930年代のジャガー・ルクルトの時計。
④必然的にEビジネスの活動が再強化されましたが、我々には特にファンとカスタマーとのダイレクトなコミュニケーションに入った点が発見でした。さらにつながりは深くなり、同じ情熱を共有しています。この経験は些細なものではなく、これからはこの方法でコミュニケーションを図っていきます。


Christelle ROSNOBLET
クリステル・ロスノブレ[スピーク・マリン/CEO]

クリステル・ロスノブレ

フランス、フレンチ北アルプス生まれ。
①若い頃から、熱心な時計ファン、コレクターであり、2012年にピーター・スピークマリンと出会ったことがきっかけで、スピーク・マリンへ投資するチャンスを得る。現在はスピーク・マリンのCEOを務める。
②新コレクション「Jクラス」「ワン アンド ツー」を発表。ブランドを強化するため、15年から設計・組み立てを自社内で行うためのムーブメント開発戦略を推し進める。
③子供の頃に購入したスウォッチ。
④最も強い影響は時計業界内でのデジタル化の加速。スピーク・マリンはウェブサイトの新バージョンを立ち上げたばかりで、フィナンシャル・タイムズ紙にデジタル広告を数回掲載するなど、デジタルへのメディア投資を大幅に増やしました。新しいライフスタイルの写真撮影を行い、多くの新しいブランド・コンテンツを開発しました。


Philippe ROTEN
フィリップ・ロテン[ファーブル・ルーバ/CEO]

フィリップ・ロテン

1966年8月3日 /スイス、ブリーグ生まれ。
①時計業界に18年間従事し、スウォッチ グループ、LVMHグループにおけるリテール、セールス部門のマネージメントを担当する。2020年より現職。
②新しいマーケティング戦略の立案や、プロダクトレンジの拡充計画を遂行中。
③タグ・ホイヤー「リンク」。
④ラグジュアリー業界は、以前の水準に戻るのが最も早い産業でしょう。アフターコロナの状況下でも、私たちはうまく立ち回る自信があります。例えば、デジタルへのシフト。当社におけるオンラインでの売り上げは、コロナ前は全売り上げの5%ほどでしたが、今後は25~30%を見込んでいます。これに伴い、プロモーション戦略も紙媒体からSNSなどに移行します。また、新型コロナウイルスの影響は各国間の断絶にもつながり、サプライチェーンに大きな影響を及ぼしましたが、ファーブル・ルーバはそうした影響を受けることなくスイス製であり続けます。