タグ・ホイヤー/モナコ

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.03.26

異例の4社共同開発から生まれた
自動巻きクロノグラフの始祖
[クロノマティック再考]

1969年に発表され、わずか数年しか生産されなかった初代モナコ。その理由のひとつに、搭載するクロノマティックの高いコストと、ベースムーブメントに選ばれた、マイクロローターの供給停止があった。しかしその設計は、後に大きな影響を与えることとなる。

Cal.12 クロノマティック

Cal.12[Chronomatic]
1972年にリリースされた、第2世代のクロノマティック(写真は共同開発グループの1社であったブライトリングが用いたもの)。最も大きな変更点は、1万9800振動/時から2万1600振動/時にハイビート化された点。石数が17石しかないのは、おそらく、アメリカの輸入関税を回避するためだろう。なお、仕様違いにGMT付きのCal.14もある。パワーリザーブ約42時間。

 各社が開発を競い合った自動巻きクロノグラフ。19609年には、3つのムーブメントが発表された。1月にひっそりと発表されたのは、ゼニスの「エル・プリメロ」だった。もっとも地方紙の片隅で紹介されただけで、まったく注目を浴びなかった。1月にお披露目なったのはホイヤー、ブライトリング、ハミルトン-ビューレンが共同開発した「クロノマティック」こと、キャリバー11だった。ジュネーブとニューヨークで行われたお披露目には著名なジャーナリストたちが招聘され、これが世界初の自動巻きクロノグラフ、という印象を与えることになった。だが実際に、初めて市販された自動巻きクロノグラフは、セイコー(諏訪精工舎)のキャリバー6139である。製造開始は69年5月で、少なくとも同年の2月にはアメリカで広告が打たれていた。

 何が世界初の自動巻きクロノグラフかという議論はさておき、この3つのムーブメントには、それぞれ明確な個性があった。自動巻きを小型化することで、クロノグラフの自動巻き化に成功したのがエル・プリメロである。対して、垂直クラッチというコンパクトなクロノグラフ機構を載せたのは6139だった。現在、6139の採用した垂直クラッチは、自動巻きクロノグラフが使うクラッチ機構の世界標準となっている。対してキャリバー11は、薄いマイクロローター自動巻きをベースに選び、その上にクロノグラフモジュールを被せる〝荒ワザ〞を選んだ。とはいえ、この設計だと、クロノグラフ機構に十分なスペースを割けるため、設計に無理がない。この設計はやがて、文字盤側にモジュールを被せる、モジュール型クロノグラフへと発展進化を遂げることとなった。

 1960年代後半、スイス製クロノグラフの売り上げは停滞していた。対してスイス時計協会は、スイスクロノグラフ製造連盟に財政的な支援を行い、古典的、つまりは手巻きクロノグラフの優位性を謳うキャンペーンを展開させた。しかしジャック・ホイヤーは、いっそ自動巻きクロノグラフを作るべきではないか、と考えたのである。彼がよったのは、ビューレンのマイクロローター自動巻きを使って、自動巻きクロノグラフを作るという、父シャルル・ホイヤーの思いつきだった。67年、ジャック・ホイヤーはムーブメントメーカーとして著名なデュボア・デプラに連絡を取り、ビューレンの薄いマイクロローター自動巻きに被せるクロノグラフモジュールの設計を依頼した。ジャック・ホイヤーにとって、「モンテカルロ」ストップウォッチで共同開発をした同社は、気心の知れたパートナーだったのである。

Cal.11

Cal.11[Chronomatic]
1969年初出。ビューレン製のマイクロローター自動巻き(Cal.1280系)に、デュボア・デプラ製の8510モジュールを重ねた自動巻きクロノグラフムーブメント。ムーブメント全面を積算輪列に割けるため、通常文字盤側にある12時間積算計機構が、ムーブメント側に置かれた。直径31mm、厚さ7.7mm。17石。1万9800振動/時。パワーリザーブ約42時間。

 その半面、デュボア・デプラがホイヤーに提示した50万スイスフラン(とジャック・ホイヤーは記している)という開発費は、途方もないものだった。そこで彼は、知己であるブライトリング社主のウィリー・ブライトリングに声をかけ、ホイヤー、ブライトリング、ビューレン(68年以降はその親会社であるハミルトン)の共同開発とした。コードネームは「プロジェクト99」。なおその際、ジャック・ホイヤーはこの新しいムーブメントは左リュウズであるべき、と提案した。彼は、それが自動巻きのアピールになる、と考えたのである。もっとも、左リュウズを主張したのは、当時のマーケティングマネージャーだった、という説もある。

 デュボア・デプラでプロジェクト99の開発を指揮したのは、同社現会長のジェラルド・デュボアだった。かつてデュボアは、筆者に対して、設計の眼目をこう説明した。「可能な限りクロノグラフにスペースを割くこと。そして生産コストを抑えること」。デュボア・デプラはさまざまな傑作を作り上げたが、最も得意としたのが、量産に向くカム式のクロノグラフだった。200万個以上が製造されたランデロン49は、同社を代表するカム式クロノグラフのひとつだ。また同社は、プレス部品の曲げを抑えることで、製造コストを下げる手腕にも長けていた。

 当時のカム式クロノグラフにはブレーキレバーを付けられないという問題があったが、デュボアはスペースを捻出して、カム式にもかかわらず強固なブレーキレバーを与えた。また、スペースを要するキャリングアーム式ではなく、よりコンパクトなスイングピニオンの水平クラッチを選び、その余白に12時間積算計の中間車を置いてみせた。それ以前のクロノグラフは、12時間積算計に関わる部品は、例外なく文字盤側にあった。しかしコストダウンと設計簡素化のため、ジェラルド・デュボアは、12時間積算計機能をムーブメント側に置いたのである。ちなみにこれは、1980年代以降の自動巻きクロノグラフが、好んで採用するレイアウトとなった。

Cal.11

Cal.11[SELLITA-Based]
クロノマティックが採用したモジュール化という着想は、後に大きな花を咲かせることになる。これは、現行モナコが搭載するCal.11/12系。文字盤側にデュボア・デプラ製のクロノグラフモジュール、2000系を搭載する。59石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。

 1968年の夏に、ブライトリングとホイヤーはデュボア・デプラから試作機を受け取った、とジャック・ホイヤーは記す。いくつかのトラブルはあったものの、問題はないと判断したホイヤーとブライトリングは、計画を続行させた。68年9月18日、デュボア・デプラ、ホイヤー・レオニダス、ブライトリングの3社は、「独立してマウントできるクロノグラフメカニズムを持つクロノグラフウォッチ」で特許を出願。書面には〝自動巻きクロノグラフのモジュール〞とはひと言も書いていなかったが、これが自動巻きクロノグラフであることは一目瞭然だった。

 しかし、鳴り物入りでリリースされたクロノマティックことプロジェクト99は、関係者が期待したほどの成功は収められなかった。また、ベースムーブメントを製造したビューレンが、72年にムーブメントの製造を中止したこともクロノマティックの足を引っ張った。しかし、その野心的な設計は、後の自動巻きムーブメントに影響を与えることとなる。好例は、デュボア・デプラのクロノグラフモジュールだ。