【88点】グランドセイコー「60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003」のスペックをテスト

FEATUREスペックテスト
2021.07.16

60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003

スーパーヒーローにふさわしいメカニズム。新型ムーブメント、キャリバー9SA5は装飾も美しい。

 グランドセイコーのムーブメントを分解するのは悪役になったようで心が痛む。「鉄腕アトム」をご存じだろうか。1952年に連載が始まった日本の漫画の主人公は子供の姿をしたロボットで、ドイツでは「アストロボーイ」と呼ばれている。ひとりの天才科学者によって設計され、世界初の心を持つロボットとして誕生したこのアンドロイドが、邪悪なロボットやエイリアンから世界を守るというストーリーを展開する、日本で最も愛されるスーパーヒーローのひとりである。今回のテストウォッチに搭載されているムーブメントであるキャリバー9SA5も、日本の技術者が開発した特別な機能を備える小型マシンである。開発者たちは最高のムーブメントを作り上げるべく、従来のものから全面的な見直しを行い、革新的な新型脱進機も生み出した。

 構造を観察するために分解をするキャリバー9SA5は、2020年に発表された100本限定のゴールドモデル(リファレンスナンバーSLGH002)で初めて搭載されたムーブメントである。レザーストラップ仕様で495万円という価格は、パテックフィリップやA.ランゲ&ゾーネなどの同クラスのモデルよりもはるかに高額で、グランドセイコーが持つ誇りと、自らに課した要求度の高さを示すものだった。今回のテストウォッチSLGH003はステンレススティール製で、世界限定1000本である。価格は110万円と、オメガの同クラスの3針モデルと比較すると約2倍で、入手困難なために定価より高額で取引されるロレックスのデイトジャストよりも20%ほど高い。つまり、価格においても「スーパー」という言葉がふさわしいモデルなのである。

 今回、我々はこのスーパーヒーローを悪の研究所のソファに縛り付け、ありとあらゆる拷問器具で責めてみた。クラスのモデルよりもはるかに高額で、グランドセイコーが持つ誇りと、自らに課した要求度の高さを示すものだった。今回のテストウォッチSLGH003はステンレススティール製で、世界限定1000本である。価格は110万円と、オメガの同クラスの3針モデルと比較すると約2倍で、入手困難なために定価より高額で取引されるロレックスのデイトジャストよりも%ほど高い。つまり、価格においても「スーパー」という言葉がふさわしステンレススティールで出来た鋼鉄のよろいは、水深100mの圧力に耐える防水性を備え、リュウズは潜水時の高い水圧に耐えられるよう、ねじ込み式になっている。視認性を高めるため、内側に反射防止コーティングを施した風防は、傷に強いサファイアクリスタル製である。専用の工具を必要とする、ねじ込み式のトランスパレントバックの中央には、グランドセイコーの獅子がプリントされている。

堅牢性、高精度、審美性

60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003

美しいステンレススティール製の“よろい”。トランスパレントバックにはグランドセイコーのシンボル、獅子がプリントされている。

〝よろい〞を開けると、このメカの最も重要な部分である革新的なエンジンが姿を現す。堅牢性、高精度、そして審美性を重視して開発されたことがひと目で分かる。まず堅牢性だが、これまでのグランドセイコーのムーブメントに搭載されていた片持ちのテンプ受けに代わり、両持ちのバランスブリッジにしたことで確保されている。高精度に貢献するのはフリースプラングを採用したグランドセイコーフリースプラングテンプである。テンワに配された4本の調整ネジで微調整を行う方式は、グランドセイコーでは初めて取り入れられた。ムーブメントは、大きくスケルトナイズされたサンブラッシュ仕上げのローター、ストライプ装飾が施され、エッジを面取りとポリッシュで仕上げた受け、ペルラージュ装飾が与えられた地板など、見どころ満載である。これに加え、グランドセイコーは輪列全体を大きな受けで隠すという近年の傾向には従わず、一定の間隔でブリッジを分割している。その結果、輪列の多くが鑑賞できるようになった。だがこれは同時に、より多くの仕上げが必要になり、時計師の作業量が増えることを意味する。

 このムーブメントは、メンテナンス性の高さにも配慮されている。一見分かりづらいが、同じサイズのネジが多く使用されており、両持ちのバランスブリッジで支えられた天真の縦方向のアガキ調整はふたつのネジで調整可能である。すべてのパーツへ簡単に手が届くように設計されているが、作業するにはもちろん、適切な工具が必要である。例えば、ボールベアリングで支持されたローターを分解する作業には、3本のピンが付いたグランドセイコー専用のドライバーが必要である。装飾にも手を抜いておらず、部品の見えない部分にまで丁寧に仕上げが施されているのはさすがである。ヘアライン仕上げに加え、複数のグランドセイコーの「GSロゴ」を規則的に刻印した文字盤側の受けもその一例で、針と文字盤を外さないと見ることができない。

60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003

スーパーヒーローの自信にあふれた姿。ステンレススティール製のケースはもちろん、ブレスレットの仕上げも秀逸だ。

 最高の精度を実現するためにグランドセイコーが選んだのは3万6000振動/時のハイビートムーブメントである。これは、同ブランドが1968年以来、10振動/秒の高振動の技術において追求してきたノウハウである。しかも、新型ムーブメントでは約80時間のパワーリザーブが確保されているため、手首から外して3日間経過しても止まらない。3万6000振動/時という高振動と約80時間のパワーリザーブにはより多くのエネルギーが必要になる。しかし、エネルギーを貯蔵するため、単に香箱を大きく設計することはできなかった。新型ムーブメントではこれまでのグランドセイコーのハイビート機よりも15%薄くすることが目標に掲げられていたからだ。そのため、設計者はこのムーブメントにトリックを使うか、あるいは新しい技術を開発するしかなかったのである。

デュアルインパルス脱進機の革新性

 グランドセイコーは相反する要件を満たす難問を、主ゼンマイのエネルギーを約2倍にしたツインバレル、水平に配置された輪列、そして革新的なデュアルインパルス脱進機を採用することで解決した。デュアルインパルス脱進機は、半導体やチップの製造技術を応用したMEMS技術(Micro Electro Mechanical Systems)で成形されている。これはエッチングで作られた型の中に金属材料を電気分解により蓄積させる手法である。これまでのグランドセイコーでも、MEMS技術を用いて部品をスケルトナイズすることで、脱進機の大幅な軽量化と高効率化が実現しているが、同時にグランドセイコー独自のメリットももたらしている。ガンギ車の歯の先端に段差を設けることで、潤滑油が保持されやすくなっている点である。ガンギ車とアンクルの摺動部分の耐久性は、ハイビート機では特に重要だ。この点を除き、新型ムーブメントの脱進機はまったく新しい設計を持っており、一般的なスイスレバー脱進機とは構造が異なっている。スイスレバー脱進機では、振動するごとにアンクルがガンギ車を止め、ガンギ車からの衝撃をテンプへと間接的に送ることで、テンプは振動を続ける。デュアルインパルス脱進機の場合、往路の振動でテンプへ間接的に衝撃が与えられるのは同じだが、復路の振動ではガンギ車を通じて、直接衝撃が与えられる。その結果、動力の伝達効率が理論上約20%向上し、エネルギー消費が低減された。

グランドセイコーフリースプラングテンプ

デュアルインパルス脱進機とグランドセイコーフリースプラングテンプ。ヒゲゼンマイは独自の合金「スプロン」で出来ており、新たに開発されたエンドカーブを持つ。

 デュアルインパルス脱進機は、オメガのコーアクシャル脱進機に肩を並べる技術である。コーアクシャル脱進機の方が構造がやや複雑だが、ガンギ車を介して脱進機に第2の衝撃を与えることで高効率化を実現している点は同じである。デュアルインパルス脱進機ではコーアクシャル脱進機よりも軽量化が図られており、よりエネルギー効率が高い傾向にある。スケルトナイズされた脱進機のパーツを手に載せると、容易に理解できる。ロレックスのクロナジーエスケープメントでも軽量化が図られているが、グランドセイコーのデュアルインパルス脱進機ではガンギ車だけでなく、アンクルもスケルトナイズされているのが特徴だ。

 先述したが、グランドセイコーはテンワにある4本の調整ネジで微調整を行うフリースプラングテンプを採用している。これはムーブメント自体のポテンシャルが向上し、精度を出しやすくなったことで可能となった。調整ネジは四角いネジ頭を持つため、微調整には専用工具が必要である。調整ネジは、緩まないように溝を切った枠に取り付けられているのが特徴だ。テンワを分割し、内側に調整ネジ用の土台を設けたことで、ネジを出し入れする調整によって気流の乱れがなるべく発生しないように配慮されている。これもハイビート機では重要な要素である。

 主ゼンマイ同様、ヒゲゼンマイもセイコーが独自に開発した合金「スプロン」で出来ている。それまでは平ヒゲが採用されていたが、今回グランドセイコーは特殊なエンドカーブを開発した。最適な形状が見つかるまで、開発チームは8万種類に及ぶさまざまな形状で動的シミュレーションを行った。エンドカーブが精度に良い影響をもたらすことは、アブラアン-ルイ・ブレゲが発見した。テンワが動いてヒゲゼンマイが伸縮すると、重心が外側に移動することでつり合いが取れず、等時性に悪影響を与える。その結果、振り角と密接に関係する精度が悪化する。これを大きく改善するのがヒゲゼンマイのエンドカーブである。

 加えて、グランドセイコーは、独自の精度基準を規定している。17日間という検査日数は、スイス公式クロノメーター検定機関(C.O.S.C.)が行うテストよりも2日長い。さらに姿勢差は5つではなく、6つのすべての姿勢で検査される。そして合格ラインはC.O.S.C.で規定されている数値よりも厳しく設定されている。グランドセイコーでは、平均日差がマイナス3秒/日〜プラス5秒/日の間でなければならないのだ。C.O.S.C.がクロノメーターとして認定するのはマイナス4秒/日〜プラス6秒/日なので、グランドセイコーが課している基準の方が厳しいが、許容値を0秒/日〜プラス5秒/日以内とするオメガや、マイナス2秒/日〜プラス2秒/日としているロレックスの規定は、これをさらに凌駕するものである。

歩度測定器の限界

60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003

ゴールド、青、赤のカラーコンビネーションはスーパーヒーローの証し。

 しかし重要なのは時計が実際にどう動くかであり、数多くの規定が精度向上に貢献しているかどうかである。今回のテストウォッチは、歩度測定器で測定するのが難しい。脱進機が従来のスイスレバー式ではなく、時を刻むチクタク音が従来の時計とは異なるため、音響原理を用いて測定する装置ではテンプの歩度や振り角などを測定することができないのである。歩度測定器で測定する場合は、セイコーが測定器メーカーにあらかじめ必要な情報を提供しておかなければならない。歩度測定器メーカーはこの情報に基づき、測定器のソフトウェアに独自のテストプログラムを事前に追加する。これはオメガのコーアクシャルムーブメントの検査でも行われたが、時間のかかる作業である。だがその甲斐があり、最も重要な6つの姿勢差をすべて測定することができた。グランドセイコーの平均日差はプラス3.5秒/日で、それぞれの姿勢差も0秒/日〜プラス5秒/日にとどまり、良好である。着用時も納得の精度を見せてくれた。腕の動きが大きくても小さくても、プラス4.5秒/日と安定していた。姿勢差が小さいこともさることながら、外部環境の影響をあまり受けないのはハイビート機ならではの強みだ。

 キャリバー9SA5が、現代のムーブメントの持つ利点の多くを備えているのは言うまでもない。リュウズを引き出すと秒針が止まり、時刻を正確に合わせることができる。日付もリュウズで素早く合わせることができ、午前零時になると瞬時に切り替わる。ねじ込み式リュウズは大きくて扱いやすく、フォールディングバックルはセーフティーボタンで簡単に操作できる。

限定モデルの証しであるゴールドプレート

 ステンレススティール製ブレスレットは手首の毛が挟み込まれないように設計されており、トランスパレントバックの滑らかな表面とともに、心地よい装着感に貢献している。ケースとブレスレットの質が高く、面取りとポリッシュを施したエッジが、サテン仕上げの表面と美しいコントラストを生んでいる。グランドセイコー誕生60周年を記念した限定モデルであることは、バックルに付いているグランドセイコーのロゴを刻印したゴールドプレートで見分けることができる。また、ゴールドのブランドロゴは文字盤にも配されている。グランドセイコーブルーの文字盤も、アニバーサリーエディションの証しである。

 幅の広い針とインデックスはシルバーカラーで、コントラストが明瞭である。ただ、蓄光塗料が塗布されていないため、暗所での視認性にはやや難がある。赤い秒針はさらなるカラーアクセントを与えている。グランドセイコー誕生60周年記念限定モデルは、ゴールド、青、赤という、スーパーヒーローの色をまとっている。これが行き過ぎかどうかは好みの問題だろう。カラーコンビネーションを除けば、今回のテストウォッチはこれまでのほぼすべてのグランドセイコーと同様、1967年に発表された44GSの様式を踏襲しており、ひと目でグランドセイコーと分かる審美性を備えている。全体的に美しい時計である。

 グランドセイコーは、ドイツではまだ若いブランドである。そのためドイツの時計愛好家には、30万円台のグランドセイコーの年差クォーツウォッチなのか、50万円を超えるスプリングドライブ搭載モデルなのか、あるいは、110万円の機械式のスーパーヒーローモデルなのか、即断することは難しい。デザインコードが共通し、違いが一目瞭然ではないところが、このブランドの難しさかもしれない。

価格の比較

60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003

文字盤に隠された日の裏輪列受けに刻印された「GS」の文字のように、見えない場所にも装飾が施されている。

 価格の面ではどうだろうか。革新的な脱進機を備えた新型ムーブメントは、技術においてはオメガのコーアクシャルムーブメントに肩を並べるものである。コーアクシャル脱進機はシーマスター アクアテラにも搭載されており、ステンレススティール製ブレスレットを備えたモデルで67万1000円と、グランドセイコーよりも安価なうえ、1万5000ガウスの超高耐磁性も備えている。その一方でグランドセイコーは3万6000振動/時という高振動でオメガを凌駕する。クロノグラフを搭載していないハイビート機は今日では数少ない。品質の面では、80万9600円から手に入るロレックスのオイスター パーペチュアル デイトジャスト 41に比肩し得る。ロレックスのムーブメントは近年、大幅な改善が加えられたとはいえ、革新性という点においてデュアルインパルス脱進機には及ばない。グランドセイコーの新型ムーブメントが搭載されるのは、今回のアニバーサリーモデルだけではない。2021年の春には、キャリバー9SA5を搭載した非限定モデルが発表された。そのため「グランドセイコー誕生60周年記念限定モデル」という付加価値をあまり重要視しないのであれば、今回のアニバーサリーモデルが手に入らなくても、デュアルインパルス脱進機を搭載した新型ムーブメントをより安価に入手するチャンスはある。

 グランドセイコーの新しいスーパーヒーローは確かに、悪を打ち負かす力を持っているようで、これまで知られていなかった多くの技を披露してくれた。新型ムーブメントの開発には約9年かかったが、ここから複数の特許が生まれているのは素晴らしい成果と言えよう。果たして、若きニューヒーローはオメガやロレックスといったトップヒーローたちに勝てるだろうか。日本のスーパーヒーローは「アストロボーイ」と同じようにまだ若く、ドイツではあまり知られていないが、トップヒーローたちと同じフィールドで戦う実力を秘めていることは確かである。