1957~62年の間の4年11カ月しか存在しなかった幻の国産時計ブランド、タカノが2024年5月に復活を果たした。仕掛け人は、東京時計精密を率いる独立時計師の浅岡肇。そのダイアルには、堂々と「CHRONOMETER」の文字を掲げている。新生タカノの初号機は、真のクロノメーターとしてデビューし、“世界的高級時計”にふさわしい高精度をかなえてみせた。
Photographs by Eiichi Okuyama
髙木教雄:文
Text by Norio Takagi
Edited by Yuzo Takeishi
[クロノス日本版 2025年11月号掲載記事]
伝説的ブランドの再生、発展によって具現化した21世紀初の国産クロノメーター
タカノは、名古屋に本社を置いていた高野精密工業が1957年に立ち上げた国産腕時計ブランドであった。掲げたコンセプトは〝世界的高級時計〞。同社は当時、日本では極めて稀だったスイス製の工作機械を導入し、またアメリカ・ハミルトンと技術提携して高性能なムーブメントを製作してきた。しかし伊勢湾台風による甚大な被害から立ち直ることができず、62年に理研光学や西銀座デパートを展開していた三愛グループに買収され、リコー時計(現リコーエレメックス)として再出発することとなった。
日本人初の独立時計師である浅岡肇は、かねてよりタカノのファンだった。国産時計最小や本中3針世界最薄を生み出したチャレンジ精神に惹かれていたのだという。そして短命に終わった幻の国産ブランドを復活させることを決意した。

浅岡は、時計製作に着手する以前、プロダクトデザイナーや精巧なCG製作者として活躍していた。2016年に東京時計精密を設立した彼はデザイナーに立ち返り、クロノトウキョウの名でマスプロダクトの製作に着手。どのモデルも浅岡が3Dデータを起こし、信頼する日本企業にケースやダイアルの製作を委託。ムーブメントにはシチズン傘下のミヨタ製や、セイコーグループのタイムモジュール製などを採用した純国産時計であるクロノトウキョウの腕時計は、日本の優れた技術を世界にアピールしたいとの浅岡の想いが込められている。それに続くタカノは、〝世界的高級時計〞という先達のコンセプトを継ぎ、純国産時計としてのさらなる高みを目指した。そのための手段が、クロノメーター取得であった。

リコーエレメックスと交渉して商標を借り受け、また当時の技術者にインタビューするなどして復活の準備を進めていた浅岡は、それと並行してフランス・ブザンソン天文台に自ら赴き、クロノメーター検定の契約を取り付けたのである。現在、クロノメーター検定を行っているのは、スイスのCOSCとタイムラボ、ドイツのグラスヒュッテ天文台、そしてブザンソン天文台の4つ。うち国外の検査を受け付けているのは、ブザンソン天文台だけだ。その試験・合格基準は、COSCと同じ。しかし取得のハードルははるかに高い。なぜならCOSCがムーブメント単体で検査するため軽く精度が得やすい仮針の使用が認められているのに対し、ブザンソン天文台では製品として完成した状態で試験を行うからだ。

24年5月にお披露目された新生タカノの初号機「シャトーヌーベル・クロノメーター」は、バーとドットの植字インデックスで構成されたシンプルなボンベのセクターダイアルやスカイスクレーパー型の時分針など、浅岡好みのディテールで構成されていた。そしてトランスパレットバックに姿を見せる自動巻きローターには、ブザンソン天文台クロノメーター検定合格の証しであるテット・ドゥ・ヴィペール(仏語で蛇の頭の意)の刻印が見て取れる。21世紀初の国産クロノメーター腕時計が、ここに誕生した。

搭載するのは、ミヨタ製ムーブメントをベースとしたキャリバーPWT。東京時計精密の技術者の手でテンプと脱進機は取り外され、再調整をかけている。テンワのリムを削って偏心を解消し、天真がテンワに対して垂直に入っているかを確かめ、ホゾ(軸先)も微調整する。また脱進機を戻す際には、爪石とガンギ車の噛み合いを調整し、アンクルのクワガタと振り石中心位置をキッチリと合わせている。ここまで入念に再調整しても、最初のクロノメーター合格率は30%ほどだったという。ブザンソン天文台の試験は、かくも難しい。しかし新生タカノは困難に挑み、高精度を武器に〝世界的高級時計〞を志す。
真の国産クロノメーターは、公式サイトを通じた抽選販売。メールマガジンに登録(無料)すると、販売スケジュールをいち早く知ることができる。モデル名にある“ シャトー”は、1959年に誕生した3.5mm 厚という当時世界最薄の本中3針腕時計の名に由来する。自動巻き(Cal.90T)。24石。2万8800 振動/時。パワーリザーブ約40時間。SSケース(直径37mm)。3気圧防水。各88万円(税込み)。