2025年を通して、時計好きたちを大いに沸かせてきたブレゲ。創業250周年を祝う同社が、ここまで多彩な新作を出すとは誰が予想しただろうか? そして、その極め付きであるブレゲ「エクスペリメンタル1」が、12月1日にリリースされた。史上空前の毎時7万2000振動トゥールビヨンを実現したのは、磁気を使った脱進機である。

ブレゲ創業250周年の最後を飾る超大作。磁気を利用したマグネティック・コンスタントフォース脱進機を使うことで、トゥールビヨンながらも7万2000振動/時という超高振動を実現した。「エクスペリメンタル」=「実験的」という名称が示す通り、ブレゲの蓄積した新技術が惜しげもなく盛り込まれている。手巻き(Cal.7250)。7万2000振動/時。37石。パワーリザーブ約72時間。18Kブレゲゴールドケース(直径43.5mm、厚さ13.3mm)。10気圧防水。世界限定75本。予価5348万円(税込み)。
Photographs & Text by Masayuki Hirota(Chronos-Japan)
[2025年12月2日公開記事]
ブレゲ創業250周年のフィナーレを飾るのは「エクスペリメンタル1」
2025年、創業250周年を迎えたブレゲは、春の「クラシック スースクリプション」に始まり、11月の「クラシック 7225」と「クラシック 7235」に至るまで、7つもの記念モデルをリリースした。その締めくくりとなるのが、徹底して精度を追求した「エクスペリメンタル1」である。「実験的な」という名前が示す通り、これは“市販される実験機”、と言ってよさそうだ。ブレゲCEOのグレゴリー・キスリングはこう語った。「アブラアン-ルイ・ブレゲの手掛けた野心的な時計は、『エクスペリメンタル』と言われることが多い。だから私たちはその名前を今回採用した。これはまず第1作目になるね」。
毎時7万2000振動の超ハイビートトゥールビヨンを実現した脱進機とは?

エクスペリメンタル1の大きな特徴は、7万2000振動/時という超高振動を、トゥールビヨンと合わせたことにある。大きく重いトゥールビヨンは、基本的にロービートで動かすのが定石だ。しかしブレゲは、新しいマグネティック・コンスタントフォース脱進機を使うことで、かつてないトゥールビヨンを作り上げてしまった。
筆者の知る限り、17世紀後半以降の機械式時計は、ほぼすべてが同じメカニズムを持っていた(電磁テンプやスプリングドライブのような例外は除く)。主ゼンマイの回転運動を、ガンギ車とアンクルで構成される脱進機で左右の運動に変換し、それでテンプを左右に振る、というものである。その完成形が、今の機械式時計のほとんどすべてが採用する、クラブトゥースレバー脱進機(スイスレバー脱進機)だ。これはショックに強く、生産性も高く、主ゼンマイを巻けば自動的に動き出すという、理想的な脱進機だったが、性能を上げるのが難しかった。というのも、今までの脱進機に同じく、ガンギ車とアンクルが物理的に当たることで回転運動を左右の運動に切り替えるため、抵抗が小さくなかったのである。現在のシリコン製脱進機とは、大雑把に言うと、素材そのものを軽くすることで、抵抗を小さくする一種の「対症療法」だ。
対してブレゲのマグネティック・コンスタントフォース脱進機は、すべての脱進機が担っている「進める」「止める」というアクションをふたつに切り分けた。そしてそのうえで、進めるという動作を、物理的な接触ではなく、磁力で行ったのである。例えるなら、磁石の反発力で進むリニアモーターカーのようなもの。止める動きは物理的な接触によるが、少なくとも進む動作は無接触のため、脱進機の抵抗は大きく減るだろう。抵抗が減れば、テンプの振動数を大幅に上げることができる。ブレゲが今回、7万2000振動/時のトゥールビヨンを作れた理由だ。

ちなみに同社は、2012年に公開した「クラシック クロノメトリー 7727」とその後継機である2025年のクラシック 7225に、磁石でテンプの軸(天真)を支えるというマグネティック・ピボットを採用した。これは、磁石の力でテンプを支えることで、テンプがずれて性能が落ちることを防ぐものだ。確かに、テンプがしっかり支えられていれば、重力の影響でテンプがずれることはないだろう。また、天真を磁力で浮かせるため、従来のような天真と穴石が接触することで生じる摩擦もなくすことができる。同社がこれを「21世紀のトゥールビヨン」と称する理由だ。振動数はエクスペリメンタル1に同じ、7万2000振動/時。その精度も、最新のクラシック 7225では±1秒以内と、機械式時計の水準をはるかに超えている。しかし、これをブレゲのお家芸であるトゥールビヨンに合わせるのは難しかっただろう。
時計の心臓部である脱進機とテンプを、大きな枠(キャリッジ)で囲み、それを1分間(昔は4分、7分などもあった)で1回転させるのがトゥールビヨンだ。時計の心臓部を回すため、理論上は立方向の重力の影響がキャンセルされる。対して、固定してキャンセルするのがマグネティック・ピボットだ。トゥールビヨンに載せたらさらに性能は上がりそうだが、小さい磁石で重いキャリッジを支えるのは難しい(おそらくはこれが、クラシック 7727とクラシック 7225が、テンプの小さな超高振動ムーブメントになった理由のひとつだ)。また、天真の上下に磁石が加わるため、見た目も損なわれる。対してブレゲは、脱進機に磁力を使うことで、超高振動と高い精度を実現したというわけだ。ブレゲが公表したエクスペリメンタル1の精度は、±1秒以内。7万2000振動/時という超高振動であると考えれば、実際手首に載せたときの精度も、同じ範囲に収まるのではないか。

ブレゲの開発チームは、マグネティック・コンスタントフォース脱進機のメリットを「慣性の大きなトゥールビヨンを、高振動で回せることにある」と説明する。確かに、止める以外の接触がほとんどないこの脱進機ならば、抵抗は大きく減らせるだろう。
脱進機の仕組みはかなり変わっている。普通のクラブトゥースレバー脱進機のように、アンクルと噛み合う歯車には、ガンギ車のような凹凸が設けられている。しかしこれはアンクルの左右の動きを止めるだけのもの。普通のガンギ車のように、進めるというアクションがない。ブレゲが「ストップ歯車」という、身も蓋もない名称で呼ぶ理由だ。対して進める動作は、ストップ歯車の上下に重ねられた輪っかと、左右に首を振るアンクルによっている。これらの部品はそれぞれ磁力を持っており、輪っかに挟まれた位置にあるアンクルは、輪っかの磁力と反発して動く。その動きは、軌道(ガイドウェイ)に埋め込まれた磁力に反発して進むリニアモーターカーのようなものだ。

ストップ歯車を挟み込む輪っかとアンクルに備わった磁石の磁力が反発することで進むマグネティック・コンスタントフォース脱進機。物理的に接触しないため、抵抗が減り、注油の必要がない(ただしアンクルを止めるためのストップ車には、その接触面に特殊なオイルを塗っているとのこと)うえ、磁力が一定のため、常にテンプに伝わるエネルギーも変わらないのである。これがテンプに一定した力を与えるコンスタントフォース脱進機である理由だ。しかも、脱進機そのものがコンスタントフォースのため、脱進機が動き続ける限りは、力が安定して供給される。主ゼンマイの力が弱くなるとキャンセルされる、一般的なコンスタントフォースとは全く別物と言ってよい。ブレゲの関係者も「3日間、完全にコンスタントフォースが効く」と説明する。
マグネティック・コンスタントフォース脱進機の実力
その性能は圧倒的だ。先述したように、1日の精度誤差は±1秒以内。しかも、理論上は主ゼンマイがほどけて力が弱まっても性能は変わらない。「テンプの振り角は常に260度、姿勢差誤差もほぼない」とブレゲの関係者が豪語する理由だ。しかも、この時計は動力源である主ゼンマイそのものも変わっている。「このモデルはダブルバレルだが、実はそれぞれの香箱に2個の主ゼンマイを収めている。理由は、長い主ゼンマイを使うことでトルクの出方が安定するため」。加えて、スウォッチ グループが好む、香箱の真を細くすることでより長い主ゼンマイを使える仕様としている。7万2000振動/時もの高振動クロノグラフが、約3日間ものパワーリザーブを持てる理由だ。
このモデルは、磁石を内蔵しているにもかかわらず、600ガウス(≒4万8000A/m)もの耐磁性能を持っている。普通の耐磁性能の約10倍だ。理論上はもっと上げられそうだが、キスリングは「この時計を着けてMRIに入る人はいないでしょう。だからこれで十分」と説明する。高い耐磁性能をもたらしたのは、非磁性の素材であるニヴァガウスだ。オメガの時計に1万5000ガウスもの耐磁性能をもたらしたこの素材を、ブレゲは天真などに使うことで、その耐磁性能を大きく高めた。
ちなみに素材から鉄の割合を減らせば、耐磁性能は上がる。半面、軟らかくなって耐久性は落ちてしまう。かつてのニヴァガウスは耐久性に難があったが(チューダーとロレックスが、天真をセラミックスで作るようになった理由と言われている)、新しいニヴァガウスは、7万2000振動/時で動くムーブメントに使ってももはや問題が起こらない。「この素材は、ブレゲだけでなく、スウォッチ グループでも広く使われていますからね」とキスリングは語る。
磁石も同様だ。かつての磁石は、磁束の中心が安定せず、生産性が低かった。マグネティック・ピボットがしばらく封印された理由だろう。しかし、今年のクラシック 7225以降、全く新しい磁石を採用することで、磁石に関する問題をクリアした。「私たちは長い時間をかけて、このプロジェクトを進めてきました。磁気を使った脱進機のプロジェクトは昔から存在しており、私が社長に就任したとき、この機構を発見して製品化を進めたのです。ですから熟成されていますよ。プロトタイプも多く作りましたしね」。

ムーブメントの仕上げや外装にも注目したい
このモデルは、ムーブメントだけでなく、仕上げや外装も新しい。ムーブメントの地板と受けは、250周年モデルに共通したブレゲゴールド製。そして、受けの一部にはDLCでもPVDやCVDでもなく、「ELD」という手法で、ブルーが施された。ちなみにPVDは発色は安定するが色は限られ、DLCは膜はより強固だが同様に色の種類に乏しく、CVDは色は出せるが発色が安定しない(少なくともビビッドな色は出しにくい)。対してELDは膜が薄くて硬く、しかもカバーできる面積が広いうえ、発色も良好だ。加えておそらくは柔軟性があるため、ブレゲはこの処理を、主ゼンマイにも施した。

「ELDはいい処理だけど、膜が硬い。そのため処理を施したあと、面取りのために膜を剥がすのがかなり手間になる。切削で削れば容易だが、ブレゲ・シールの付いたモデルは、面取りを手作業で行うためかなりの手間なんだ」(キスリング)。ちなみにこの処理は、先日発表された「Classique Grande Sonnerie Métiers d'Art 1905」のトゥールビヨンキャリッジの受けなどにも使われている。筆者はこれを青焼きと勘違いしたほど、発色は良く、膜もごく薄い。
このモデルの大きな美点は、優れた装着感にある。ケースサイズは直径43.5mm、厚さは13.3mmと決して小さくはないが、ラグを短くし、ソフトなラバーストラップを与えることで、腕馴染みはかなり良好になった。しかも重心が低いため、おそらくは長時間着けても苦にならないはずだ。7万2000振動/時のハイビートトゥールビヨンにもかかわらず、装着感に優れ、しかも10気圧防水もあるのだ。加えてインターチェンジャブルストラップのおかげで、シチュエーションを問わず使うことができるはずだ(ただし残念ながら、ストラップのバリエーションはまだ少ない)。


その価格は、32万スイスフラン、日本円にして予価5348万円(税込み)とのこと。確かに安くはないが、毎秒20振動トゥールビヨンの使える実験機で、ムーブメントがブレゲゴールド、そしてわずか75本限定と思えば、むしろ安価に思えてくる。なお、キスリングいわく「エクスペリメンタルコレクションは今後も継続される」とのこと。いよいよ250年周年のフィナーレを迎えようとするブレゲは、このモデルで、次の年の幕を開けたのである。その圧倒的な底力には、ただただ脱帽である。






