世界初の五大陸最高峰登頂をはじめ、北極圏1万2000kmの犬ぞりによる単独走破、グリーンランド3000km縦断といった輝かしい功績を持つ冒険家、植村直己。彼の冒険において、セイコーが1968年に発表したダイバーズウォッチ、通称“セイコー セカンドダイバー”の、1970年発売モデルが携行されたというのは、とても有名な話だ。しかし実際は、セカンドダイバーが「どの冒険に連れていかれたのか?」そして「それは一体どのモデルだったのか?」を明らかにする記録はなく、ちまたではさまざまなエピソードが飛び交っている。これを確かめるべく、今回、モータージャーナリストであり、自身もセカンドダイバーマニアを自認する山田弘樹が、独自の取材を行った。それはまさに、“植村ダイバー”を巡る冒険譚だ。
Text by Kouki Yamada
Special thanks to Tsutomu Sato(ZENMAI WORKS)
[2026年3月27日公開記事]
植村直己の冒険を振り返る
希代の冒険家である植村直己が北極遠征時に使った時計として名を馳せ、その後、"植村ダイバー"とまで呼ばれた「セイコー61MC」(「6105-8000」、1970年より「6105-8110」。1975年以降、セイコー61MCから名称が変わることから、本記事では通称の“セカンドダイバー”をこの時計の総称として用いる)。長らく曖昧だったこの時計が関わる冒険譚は、ここまでのインタビューでまず、1971年にセイコーから植村直己本人に渡され、南極視察の旅を経て、「北極圏犬ぞり1万2000km単独行」に携帯されたところまでの足跡が明らかにされた。

もう少し細かく述べれば、植村直己は1971年12月から翌年初頭まで南米に滞在しており、南極・ベルグラーノ基地(アルゼンチン)を視察。このあと、かつて1968年2月に登頂した、南米最高峰「アコンカグア(6960m)」の未登頂ルートである南壁を狙ったが、落石などもあり5400mまで試登するにとどめ、いったん日本へと帰国している(なお、1980年の冬期にノーマルルートで2回目の登頂を果たす)。
その後1972年9月、犬ぞりの訓練と極地順応のために、グリーンランドへ渡航。そのまま約1年間を過ごし、1973年2月4日に予行演習とも言える犬ぞりによる3000kmの単独行を達成。同年7月に、再び日本へと戻った。公子夫人と出会ったのはこの頃で、翌年5月に結婚している。
そして1974年11月22日に日本を発ち、再びグリーンランドへ。西部の村「ケケッタ」で準備を整えたあと、12月29日~1976年5月8日の期間を経て、カナダ北西部を経てアラスカ ・コツビューへ到着、「北極圏1万犬ぞり1万2000km単独行」を完了させた。

ここで興味深いのは、1万2000kmの予行演習として1973年に行われたグリーンランド3000kmの初犬ぞり単独行をカウントすれば、“セカンドダイバー”がふたつの冒険に携行されたということだ。さらに言えば、1974年3月8日~5月12日にかけて行われた、ヒマラヤ遠征偵察隊によるネパール・ダウラギリV峰偵察にも、携行された可能性がある。
期間的にもセイコーから渡された1971年から1万2000km単独行を終えた1976年まで、約6年間にわたって使用されており、単なるプロモーションや計器である以上に“セカンドダイバー”は、植村直己に愛用された時計だったと言えそうだ。その後“セカンドダイバー”が新たな冒険へと連れ出された公式な記録はないが、「北極圏1万犬ぞり1万2000km単独行」に携行されたツールとして、板橋区にある「植村冒険館」に保管されている。

〒173-0003 東京都板橋区加賀1丁目10-5。10時~18時開館(毎週月曜日および年末年始は休館。月曜日が祝日の場合、休館は翌平日に変更)。入場料無料。
HP:https://www.uemura-museum-tokyo.jp/
さて本記事からは、筆者がセイコーウオッチ 商品企画二部の花村翔太郎氏とプロダクトデザイン部の松榮(まつえ)純平氏に、“いちマニア”として投げかけた、セカンドダイバーそのものへの質問とその答えをご覧いただくことにしよう。
さらに“セカンドダイバー”の変遷を、セイコーウオッチ監修のもと、体系立ててみようと思う。
通称“セイコー セカンドダイバー”の歴史をひもとく
山田弘樹(以下山田):通称“セイコーセカンドダイバー”は、1968年に発売された「前期型」と、1970年からの「後期型」、さらに言えばその後期型も微修正されていることから、ちまたでは「中期型」と「後期型」に分けられていますが、正確な区分があれば教えてください。
花村翔太郎氏(以下花村):セイコーとしては、ケース番号で「8000番」(6105-8000)、「8110番」(6105-8110)としか分けておらず、「8000番」が前期、「8110番」が後期。つまり前期と後期のみで、中期の分類はありません。時計自体の名称は、時期ごとに変更されています。
デザインが違っても同じ?
山田:一般的に認識されている「中期型」と「後期型」では、ダイアルと裏蓋のデザインが大きく変わっています。それでもケース番号が同じであれば、特に区別はされていないということでしょうか?
花村:されていません。あくまで「同一モデル内のマイナーチェンジ」という扱いになります。ですがもちろん、微妙な仕様の変遷があったことや、ファンの間で区別されていることは認識しています。
山田:では、なぜ1971年製からダイアルの表記が「WATER 150m PROOF」から、「WATER 150M RESIST」へと変わったのでしょうか?

花村:1964年に ISO(国際標準化機構)に 時計技術委員会が設けられ、1960年代後半~1970年代初頭にかけて、腕時計に関する国際規格を制定しようという動きがありました。そのなかには時計の防水性に関する検討もあり、1972年の国際規格 ISO 2281(編集部注:腕時計の防水性に関する国際規格。なお、プロユースのダイバーズウォッチ向けに定められたのがISO 6425である)の発行により結実します。セイコーでは当時の委員会の検討状況を踏まえ、ISO発行を待たずに、1971年より「WATER RESIST」表記を開始しています。おそらく、当時拡大していた海外輸出に有利と判断したものと思われます。今でしたら、ダイアルの表記を変えたら品番も変わるのが当たり前ですが、大らかな時代だったのだと思います。
“セカンドダイバー”の名称は「61MC」だけじゃない!?
山田:小売店や卸業者向けのカタログである仕入れ便覧を見ると、61MCの名称が、後期になって変わっています。どうしてですか?
花村:1975年のカタログ Vol.1までは61MCで、1975年のカタログVol.2では「YAH028」に変わっています。それまではリファレンスという概念はなく、1975年以降、体系化され、そのなかで増えすぎたリファレンスをその都度整理したのだと考えられます。
山田:ということは、私の所有するモデルは1976年製造なので、「YAH028」となるわけですね!
花村:カタログ上では、そうなりますね!
“セカンドダイバー”は8110番になり、「新しい時計」として発売された
山田:当時のユーザーは、8110番が8000番の後継モデルだと、理解できていたのでしょうか?
花村:恐らく一般的には、別モデルとして認識されていたかと思います。セイコーとしても8110を、「新しいダイバーズウオッチを発売いたしました」と紹介していました。
山田:8110番は当時、セイコーの腕時計としてはどのような立ち位置だったのでしょうか?
花村:同じ時期に発売されていた上位モデル「6159」系と比べれば、一般的には買いやすいレンジのモデルでした。というよりも、当時は6159系と(“セカンドダイバー”である)6105系の2型しか、ダイバーズウォッチのリファレンスはありませんでした。また、ダイバーズウォッチという呼び方もまだ一般的ではなく、カタログ上では、“特殊腕時計”という項目に掲載されていました。
8110番は、セイコーのダイバーズウォッチにとって過渡期のモデルだった

山田:どうして8110番は、リュウズロックピンを採用したのですか?
花村:セイコーとして初めてねじ込み式のリュウズを採用したのは、6215系の「セイコーダイバー 300m防水(1967年発売)」からです。まだこのときは、ねじ込み式リュウズも試行錯誤の段階で、押し込み式リュウズの方が製造しやすかったようです。そのため、より普及価格帯の8110番は押し込み式リュウズとし、リュウズの動きを固定するために、リュウズ回転止めピンが採用されたのだと思います。
山田:その後、1978年にリリースされた「ダイバー150m」(いわゆる“サードダイバー”)からリュウズはねじ込み式となってますもんね。
松榮純平氏(以下松榮):潜水中の誤作動を防ぐため、ろう付けしたピンでリュウズをロックする必要があったので、セカンドダイバーのケースがこうした形になったのだろうと推測できます。
山田:なるほど!
松榮:当時のデザイナーが、リュウズガードも兼ねたピンが付けられる形状を考えて、このデザインにしたのだと思われます。
山田:つまりピンのアイデアがなければ、この形にはならなかったのですね!
松榮:おそらくそうだと思います(深く頷く)。
山田:ですから復刻デザインは、ねじ込み式だけれどこのリュウズデザインを踏襲してくれたんですよね。
松榮:はい。ですが矢印の向きだけは構造に合わせて、ねじを締める方向に変更しています。
ウレタンバンドにも変遷あり!?
山田:“セカンドダイバー”と言えば、ファンの間で「タイヤトレッド」と呼ばれる2本溝タイプのバンドが有名ですが、その他にもバリエーションはあったのですか?
花村:8000番には、「6159」系(セイコーダイバー 300m 6159-7000/6159-7001)と同じピラミッド形状のものが使われていました。8110番では、「ワッフル」などとファンから呼ばれているデザインのものがカタログ上に登場しますが、海外カタログなどではピラミッド形状のものが付いている写真も確認できます。そのため、同時期に違うバンドが並行して採用されていた可能性も考えられます。タイヤトレッドと呼ばれているタイプは、1972年に、ダイアルと裏蓋のデザインが変更になったとき(いわゆる後期型)に登場したものです。ですから2019年に発売した「1970 メカニカルダイバーズ」の復刻デザインモデルのバンドも、ピラミッド形状のタイプになっているのです。これは当時のデザイナーから聞いた話ですが、かつてのセイコーのバンドは、バンドメーカーから提案されたものから、商品企画部門が選んで決めていたそうです。だから、時計に合わせてデザインされたわけではなく、あるものの中から選んでいたということになりますね。

自動巻き(Cal.8L35)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約50時間。SSケース(直径45.0mm、厚さ13.0mm)。200m空気潜水用防水。世界限定2500本。生産終了。
正式なサイズはこれだ!?
山田:現代の計測基準に合わせて、8110番の正式なケースサイズを教えてください。
花村:ケースは全長(12-6時)が48mm、リュウズガードを含まない直径(3-9時)が44mm、厚さ12.5mm(実測12.54mm)となります。ちなみに復刻デザインモデルを企画するにあたって、オリジナルのあらゆる部分のサイズを測定しました。復刻デザインモデルではムーブメントがCal.8L35に変更となっており、かつ現在のダイバーズウオッチ規格に沿って見直されているため、オリジナルモデルから径や厚み、リュウズの位置などが変更されていますが、8110番はすべてではありませんが当時の図面が現存しており、当時の腕時計も動態保存できていたので、比較的進めやすかったです。
松榮:8110番は図面が残っていて、時計も動態保存できていたので、比較的リデザインしやすかったです。
復刻デザインモデルは高級機
山田:なぜ復刻デザインモデルでは、ダイアルの「SEIKO」ロゴをオリジナルに合わせてアプライドにせず、プリントしたのですか?
松榮:それは、たとえ復刻デザインモデルだとしても、ダイバーズウォッチとして現在のセイコーダイバーズウオッチ基準をクリアする必要があるためです。ダイアルのアワーマーカーをエンボス加工にするのは、衝撃を受けたときに外れないようにするためです。
花村:オリジナルに忠実にするか、現代基準を優先するのかは葛藤する部分なのですが、現在のダイバーズウオッチ基準に照らし合わせて細部の設計を見直しながら、そこに高級品で培った加工技術を組み合わせることで、「1970 メカニカルダイバーズ 復刻デザイン」は“高級機”になりました。
松榮:復刻デザイン専用に型を起こすなどをすればどうしても価格は上がってしまうんです。8110番は実用機なのに、価格が高くなってしまうんですね。そのため、「どうやって実用機を高級機として魅せることができるのか」については、かなり入念に打ち合わせをしました。ですから復刻デザインでは、部分的にザラツ研磨などを施し、価格に見合った仕上げなど加えました。
ラグ幅19mmのワケ
山田:8110番のラグ幅は、ケースの大きさに対してちょっと細すぎるように思えます。今となってはそれも特徴のひとつですが、どうして19mmを採用したのですか?
花村:当時としてはそれがポピュラーなサイズだったからです。だから復刻デザインも19mmにしています。
松榮:現代においては汎用性が低いので、ベルトを変えたいときにはちょっと不便かもしれないですね。でも復刻デザインでは、あえてヘッドとバンドのバランスにこだわりました!
山田:植村直己さんが純正のバンドではなく、メタルブレスレットを使った理由は何ですか?
花村:当時のバンド素材は塩化ビニールで、極寒の地では割れてしまうから、やむなくメタルブレスレットを着けていたのではないかと予想されます。素材がウレタンに変わったのは1975年からで、寒い場所でも、硬化しにくくなりました。
正式な記録は残っていないんです
山田:植村さんが8110番を過酷な状況下で使った経験を基にアドバイスをして、セイコーは腕時計にその声を反映して改良したという話がネット上では多々見受けられるのですが、具体的にはどのようなアドバイスがなされたのでしょうか? またそれは、どのようにその後の時計へ反映されたのですか?
花村:公式な記録としては、それは残っていません。「セイコーダイバー・プロフェッショナル600」の開発記(https://museum.seiko.co.jp/seiko_history/milestone/milestone_08/)を見ても分かりますが、セイコー開発陣は当時からかなり細かく入念な開発を行っており、なにかしら情報の共有はあったものと期待したいですね。
通称“セカンドダイバー”の年代ごとのスペック
ここまで読んでもお分かりの通り、インタビューの内容は非常に濃いものとなった。そしてここにも書き切れないほど、細かい内容までおふたりが調べてくださったことに、改めて感謝の意を表したい。
最後に、各モデルのスペックを表記しておく。基本的な記述は、当時の販売店向けのカタログ表記に基づく。ただし、筆者調べのスペックも加筆した。
●前期型(と呼ばれるモデル)
1968年発売
正式名称:61セイコーマチック カレンダー 17石
※61MCの表記有
自動巻き・150m防水・回転リング・ハードレックス風防・夜光塗料付き
SS・WP・LB(ステンレススティール・防水性・レザーバンド)
発売時の定価:1万4500円
備考
搭載ムーブメント:Cal.6105
セイコーニュースにはさらに、「新ダイバーの特徴としてクリック式回転リング付き」「固定式リューズ」と書かれている。
●中期型(と呼ばれるモデル いわゆる“植村ダイバー”初登場)
1970年発売
正式名称:61MC 17石 022
セイコーダイバー(これよりダイバーズウォッチ表記に)
自動巻き・秒針規制装置付き・150m防水・回転リング付き・ハードレックス風防・夜光
SS・WP
発売時の定価:1万7500円
備考
搭載ムーブメント:Cal.6105(ハック機能付き)
ダイアルのロゴ:WATER 150m PROOF
裏蓋の仕様は「WATERPROOF」(フォント連続)の蹄鉄デザイン。
カタログの写真は、リュウズがロックピンタイプではなかった。おそらく撮影までに間に合わなかったと推測される。
※セイコーとしては「中期型」の区別はしていないので、販売店用のカタログには備考に記載する一部情報の掲載はなし。
●中期型のマイナーチェンジモデル(正式な呼称なし)
1971年発売
正式名称:61MC 17石 022
セイコーダイバー
自動巻き・秒針規制装置付き・150m防水・回転リング付き・ハードレックス風防・夜光塗料
SS・WP
発売時の定価:1万7500円
備考
搭載ムーブメント:Cal.6105(ハック機能付き)
ダイアルのロゴ:WATER 150M RESIST ISO規格に先だって新しい表記に。
裏蓋の仕様:WATER RESISTANT(一角空き)
●後期型(と呼ばれるモデル)
1975~77年まで発売
正式名称:61MC 17石 022 セイコーダイバー※途中から「YAH028」へ変更。
自動巻き・秒針規制装置付き・150m防水・回転リング付き・ハードレックス風防・夜光塗料
SS・WR
発売時の定価:2万円 ※1975年より
搭載ムーブメント: Cal.6105(ハック機能付き)
ダイアルのロゴ:WATER 150M RESIST
裏蓋の仕様:シンプルバック WATER RESISTANT(一角空き)に変更。
途中から、型式名称から品番名称に変更。機械的には変更なし。





