機械式時計復活後のグランドセイコーで絶対に知っておくべき名作モデルたち

FEATUREその他
2022.01.03

次世代自動巻きCal.9SA5を採用した「ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003」

 近年グランドセイコーは独立したブランドとして格上げされ、文字盤からは“SEIKO”のロゴが外された。代わりにドイツ文字の“GS”と“Grand Seiko”の文字を組み合わせたロゴが文字盤の12時位置に記されるようになった。これは「グランドセイコー」をセイコーから独立した、より上級のブランドとして認識させるためである。これによりSEIKO表記の重複がなくなった結果、文字盤はスッキリと上品になった。

 そして2019年には待望の特別なペットネーム、「V.F.A.」と「スペシャル」が復活を遂げた。このふたつは美しい外装を持つ、スペシャルでエクスクルーシブ、かつ魅力的な時計だったが、筆者のようなマニアから見ると、ふたつのポイントで物足りなかった。

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Photograph by Eiichi Okuyama
Cal.9S85に特別な選別と調整を施し、「V.F.A.」の名を復活させたモデル。自動巻き(Cal.9S85)。37石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約55時間。Pt(直径39.5mm)。完売。

 ひとつはその外装であった。確かにふたつとも美しく、グランドセイコーらしい造型を持っているが、45系や61系を搭載したオリジナルのV.F.A.のデザインを想起させるものではなく、むしろオメガのような「竪琴状」のラグや、毎度おなじみの笹針を用いていた。

 そしてふたつ目が従来ムーブメントの特別調整版だったことである。オリジナルのスペシャルやV.F.A.も量産ムーブメントの特別調整板を載せていたことを考えれば、スペシャルやVFAに用いることはおかしくない。しかし、性能は大きく進化しているとは言え、通常ラインのCal.9S55から連綿と改良を進めてきたムーブメントに対して、伝家の宝刀ともいうべき“V.F.A.”というペットネームを付けるのには若干の戸惑いがあった。「スペシャル」のあり方は極めて妥当と思っているし、個人的には継続を期待したいが、V.F.A.にはより特別なムーブメントを求めたいというのが個人的な心情だった。しかし、セイコーがV.F.A.という特別な名称を復活させたことを考えれば、内容を一新した特別なムーブメントの登場はまだ先になる、とも思っていた。

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Photograph by Eiichi Okuyama
V.F.A.が復活した2018年には、特別調整が施されたいわゆる“スペシャル”ムーブメント搭載機も再登場した。自動巻き(Cal.9S85)。37石。3万6000振動/時。18KYG(直径39.5mm)。10気圧防水。完売。

 しかし2020年、セイコーは全く新しい自動巻きムーブメントであるCal.9SA5を搭載したSLGH002をデビューさせた。このモデルは、筆者のようなマニアにとってはまさに青天の霹靂であった。

 Cal.9SA5はそれまでの9S5/6系とはまったく違うムーブメントであった。技術面で最も特徴的なのは、革新的なデュアルインパルス脱進機だろう。その解説は『クロノス日本版』などで度々行われているので参照されたい。しかし、筆者はそれよりも新しいCal.9SA5がそれまでのものより薄くなったことに注目している。

メイド・イン・ジャパンが到達した極北 グランドセイコー「ヘリテージコレクション メカニカルハイビート36000 80 Hours」

https://www.webchronos.net/features/45965/

 先のSBGW047の項で述べたとおり、より薄いムーブメントはデザインの自由度を高めるだけでなく、例えば対抗馬のロレックスに対して劣っていると言わざるを得なかった装着感をも高めることができた。

 国内のグランドセイコーの直接的な対抗馬である「ザ・シチズン」も、装着感に限って言えば、ケースの素材に用いられているスーパーチタンの軽量さもあって、特にソリッドバックのモデルは明らかにグランドセイコーに対して利がある。また国際的な競合と思われるオメガも、近年ケースやブレスレットの作りを急激に改良することで、装着感を改善してきている。「機械式でムーブメントが見えるから装着感はあまり考慮せずともよい」という、2000年代ぐらいにあった考えはもはや通用しなくなったのである。

 事実、グランドセイコーの価格帯では、盛大な裏蓋の盛り上がりによる雑な装着感に対策をするのが当たり前になってきた。以前の機械式グランドセイコーが付けていた30万前後というプライスタグの範疇ならともかく、現在の価格帯では、よりいろいろな面に気遣いが求められるもは当然だろう。逆に、そのような点に気を払わないで機械式時計を気楽に楽みたいならば、香港などで製造される数万円のマイクロブランドなどがある。これらのメーカーが使うETA2824/2892やセリタの同等品、あるいはシチズン82系や90系と、グランドセイコーを峻厳に分けるためにも、グランドセイコーは高性能なだけでなく、薄い自動巻きムーブメントを開発したと言えるだろう。

 Cal.9SA5で薄型化を実現するために、セイコーはふたつの香箱を並列に並べたツインバレルと、時計の輪列と自動巻きの輪列を同じ階層に置く薄型の設計を選んだ。詳しくはクロノス日本版ならびに上記転載記事にあるので省略するが、この考え方はロンジン最後の自社自動巻きである、名機Cal.L990と共通する点が多い。Cal.L990はその後レマニア8810として生産されたムーブメントだ。これは初期のダニエル・ロートやロジェ・デュブイが採用しただけでなく(これらは特に素晴らしいので手にする機械があったらぜひご覧になってほしい)、その後もモディファイを受けて、今でもブレゲがその改良版を用いるほどの傑作である。

 筆者が見る限り、自動巻きムーブメントに、真の意味での「汎用機」は少ないように思える。もちろんセイコーの9S5/6系や、ロレックス3100系やIWCの82000といった自社製自動巻きの傑作は存在する。しかし、その大多数は、ETA2824-2や2892A2、ジャガー・ルクルトの889と899や920、そして最近ではカルティエの1847MC/1904MCなど、実際には数少ないいくつかのムーブメントが、エボーシュとして用いられている。近年だとチューダー、ブライトリング、シャネルがなど用いるケニッシのムーブメントも同様だろう。それらの広く使われる名作のひとつが、ロンジンL990(レマニア8810)なのである。今回登場したCal.9SA5とは、グランドセイコーの伝統を継ぎつつも、ロンジンL990の精神的後継者として現れたムーブメントに思えてならない。

 Cal.9SA5は、本作のようなグランドセイコーの王道とも言える、日本らしいオン・オフ両方に使える万能時計に向く、極上のムーブメントであるのは確かである。しかし、その薄型さを活かせばよりドレッシーな場に向くドレスウォッチを作ることもできるし、逆に今流行りのラグジュアリースポーツを作ることもできるだろう。薄くて高精度という9SA5の特徴は、今後このムーブメントが、よりさまざまな展開ができるということを示している。

 実際18KYGケースを持つSLGH002は、価格帯的にはむしろパテック フィリップやA.ランゲ&ゾーネといったメーカーのドレスウォッチと同等以上の価格設定であり、それらと直接競わなければならない。

 セイコーのドレスウォッチとしては、スプリングドライブを搭載している「叡智II」のような優れた時計がある。これは機械式ではなく、スプリングドライブを載せているため、雫石ではなく塩尻製である。

 筆者の私見を言うと、叡智は非常に素晴らしい時計だが、セイコー独自の世界をムーブメントはともかく外装で確立しているかと言われると物足りないところがあるように感じる。その癖のない美しさこそが日本的な美とも言えるが……。

 残念ながら日本の時計産業は第二次大戦後の工業的・大衆的な方向性とともに成長したものであり、欧州のような宮廷時代からの伝統はない(和時計はまた別の物語であろう)。よってその成り立ちもより欧米のメーカーとは異なる。欧米の同価格帯の時計と真っ向勝負をするには、今の段階ではさらなる冒険が必要である、と筆者は思うのだ。

 日本でも独立時計師として活動をされている方を始め、外部にも多くの知見をもった人が多くいることを筆者は知っている。大メーカーとしては難しいだろうが、企画やデザインを詰める時に、そのような人の意見を求めるというのも、ひとつのありかたではないか。

 なお筆者は、セイコーが将来作るであろうラグジュアリースポーツウォッチについて、楽観的な見通しを持っている。なぜなら、先に書いたようなオリジナルのV.F.Aや「スーペリオ」などの上級クォーツといった、新しいラグスポのアイディア元がセイコーのアーカイブにはあるからだ。

 ただし近年のラグジュアリースポーツの傾向として、ブレスレット一体型の新しいデザインは必須だろう。グランドセイコーはダイバーに寄せるのではなく、(セイコーのダイバーがラバーバンドのものが特に優れているのもあるが)ここはより極めて薄く、ブレスレットと一体化した新デザインを作り上げればよいのではないだろうか。

 元々のセイコーのスポーツウォッチとしての世界的名声を考えれば、成功は約束されていると思うのである。あくまで余談だが、筆者はそのベースに61系を載せた、V.F.Aパラジウムのブレスレットモデルと強く希望する。

 個人的な希望はさておいて、実際のSLGH003に立ち返りたい。Cal.9SA5はこれまでの9S5/6系と異なり、マニアの目で見ても素直に美しいムーブメントである。トーキョーウェーブはその仕上げをさらに繊細なものとし、よほどうがった目で見なければ、スイスの高級機が採用するジュネーブコートに劣らない。

SLGH003

グランドセイコー「60周年記念限定モデル」ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003」
Cal.9SA5搭載モデル第2弾。高級機らしいムーブメントと、それに比肩する外装が併せられた意欲作だ。自動巻き(Cal.9SA5)。47石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約80時間。SSケース(直径40mm、厚さ11.7mm)。10気圧防水。完売。

 そして構造的に頑健で、歴史的にもセイコーがかつて採用していた両持ちのブリッジと、優れた精度と姿勢差を期待される巻き上げヒゲ、とスペック上は言うことがない。世界的に見ても最上のものとなった。あえてケチを付けるならば両持ちブリッジの形状は往年の様な直線的でないがゆえに、むしろオーデマ ピゲの41系との類似を感じさせる。またブリッジの形状は美しいが、ブリッジの外周と穴石の距離は特に自動巻き機構を覆うブリッジで、幾分バラバラな印象を与える、これはスプリングドライブを搭載し、極めて高額な叡智であっても同様である。

 セイコーのムーブメントはブリッジの外周と穴石の距離が近かったり遠かったりと一定していないが、ドイツやスイスの超高額(とはいっても今や18Kゴールドケースを持つCal.9SA5搭載機とほぼ同等の値段だ!)なムーブメントではむしろ多少曲がろうとも、ブリッジのデザインを合わせているのである。それは19世紀末にエケグレンが設計したパテック フィリップ用のクロノメトロ・ゴンドーロなどに見られる流麗な手巻ムーブメント以来の伝統であり、セイコーのデザインはまだ「デザインのためのデザイン」にとどまっている、と言わざるを得ない。またブリッジの外周に施されたダイヤカットの面取りも美しいが、このムーブメントのグレードを考えると、もっと幅広にとってもらいたかった。

 その点では同年に登場したスプリングドライブCal.9RA5の方は素晴らしい仕立てを持っている。メカニカルを作るセイコーウォッチは元第二精工舎、クォーツとスプリングドライブを手掛けるセイコーエプソンは元諏訪精工舎。そもそもの出自を考えると交流が難しいのは理解できるが、仕上げはセイコーの縦割り的なありかたを感じてしまう部分だ。将来の両社の交流とより良い時計の出現に期待したい。しかしこれらのポイントはあくまでもまさに重箱の隅をつつく些事に過ぎない。

Cal.9SA5

 SLGH003を手にしてすぐに印象付けられるのは「グランドセイコーブルー」の文字盤である。幾層にも重ね塗りされたつややかな青は本当に美しい。次に目を引くのは雄大で、現代の時計としては例外的な大きさを持つ立体的なインデックスであろう。

 鏡面と輝きを殺した部分を巧みに組み合わせた略字はグランドセイコーの再興当初から魅力的であったが、2001年のSBGM001で見直しを受け、より立体的で複雑な輝きを持ちながらも見やすい物となった。今回Cal.9SA5を搭載したSLGH002/003で、セイコーはまた新た略字を作り出したのであるが、これは積極的に斜めの面も取り上げた、現代としては例外的に大きく立体的なものとなった。これは同社の高級クォーツォッチとしてひとつの全盛期を築き上げた、グランドクォーツやスーペリアクォーツなどを思い起こさせる。

 これらは今のものよりずっと簡素で、単純な直方体状の略字であったけれども、オニキスがはめ込まれた極めて立体的なものであった。仮に製造が可能であれば、将来はオニキスを思わせるデザインの夜光インデックスを作っても良いかもしれない。

 さておき、SLGH003のインデックスはグランドクォーツやスーペリアクォーツを思わせる存在感のあるものだ。また新しいデザインが施された。特に目を引くのは非常に幅が広い時針であり、画像で見ると珍奇な印象すら受ける。しかし、実際の時計を手にすると、その幅は違和感を感じない程度に抑えられており、分針が重なったときにも全体が隠れることなく、しかし分針は直線的な部分にきれいに重なる。見やすさと美しさを両立したデザインと言えるだろう。時針の中央に設けられたヘアラインも、太い時針に効果的な表情の変化を与えることで、平板な印象を避けている。

SLGH003

 あくまでも個人的な意見を言うと、針はもう少し長く、尖っている方が好みではある。しかし、使うほどにこの新しい時分針の見やすさ、作りの良さには感心するばかりであり、大きなインデックスと組み合わせるならばこのような骨太な針がふさわしい、とうなずかざるを得ない。

 SLGH003には赤い秒針が用いられている。これは近年のグランドセイコーの記念モデルに同じだろう。その一方で、グランドセイコーのロゴは金色であるために、結果的に黄色(金)、文字盤の青、そして秒針の赤、といわゆるヒーローロボットに用いられる「三原色」がそろった形となった。クールジャパン的な要素を押し出せば欧米でも人気が出るだろうが、実用時計と考えると華美にすぎるように思われる。しかし、これはあくまでも素晴らしいムーブメントであるCal.9SA5の誕生を祝うモデルである、と考えれば、とこの華やかな組み合わせはありだろう。

 その後登場した量産版である「SLGH005」ではシンプルで日本らしい銀色の文字盤が用いられた。白樺の型押しは筆者にはちょっと押しが強いように思われるが、国際的な基準で考えれば、グランドセイコーらしさを引き立たせるには必要なのだろう。全体的にはより使いやすくなり、同一の針やケースのデザインを用いることでこのシリーズならでは存在をより確立することに成功したと思われる。

 筆者の考えとしては、確かに視認性を考えると赤い秒針は良い選択と思うが、本体価格100万円の時計としては少し明るすぎるきらいがある。値段に見合った存在との釣り合いを考えるならば、もっと暗い赤のほうがふさわしかったのではないだろうか。日本の国旗や神社の鳥居を意識したのかもしれないが、もう少し深い赤を用いたならば、機能性を損ねることなく、落ち着いた風情を出すことができたのではないだろうか。その一方で、針の塗装は側面まできちんと回っており、工作技術の高さは申し分ない。

 見返しのリングについても苦言を呈したい。この時計の価格帯であれば、高級時計として文字盤と見返しは限界まで狭められているのが定石である。もちろん、「グランドセイコー」であるがゆえ、また生真面目な日本のメーカーであるがゆえにこのモデルがリング状の見返しを持ち、また衝撃を受け止める余裕として隙間を広げるのは正当な処理ではあるだろう。事実、スイスメーカーのスポーツウォッチの中には、見栄え優先で見返しを薄く仕上げたため、耐衝撃性はあまり期待できないものもある。

SLGH003

 しかし、ツルッと光沢に仕上げられたその塗装は高級時計として求められる水準ではないし、普通の実用時計の水準でキレイに刷られたインデックスには感心できない。十分な仕上がりではあるが、文字盤や針、インデックスが別してよくできているのに対してこちらは凡庸に見えるからである。ここは例えばリング状のヘアラインを施すなどして光沢を殺したり、もしくは逆に際立たせて半透明に見せたりするなど(個人的には前者のほうが好みだが)より文字盤や針と釣り合うような仕立てが欲しかったところだ。

 視認性の点では仕方ないのかもしれないが、秒インデックスはより細く繊細であるほうが望ましいし、5分毎のマーカーについては逆にもっと盛り上がっていたほうが良かったのではないか。時計自体が大きく、どちらかというとスポーティーな外装を備えたこのモデルは、ドレスラインを目指しつつも、うまく蓄光塗料を実装する方策を模索しても良いかもしれない。というのは例えばロレックスでは、比較的ドレスウォッチ寄りで、グランドセイコーの対抗馬となりそうな「デイトジャスト」でもインデックスや針には夜光塗料が入っている。そしてよりドレス寄りであるが、実用性を考えているジャガー・ルクルトの「マスター・コントロール」もドーフィン針に夜光塗料を施している。デザインをなるべく邪魔しないよう蓄光塗料はか細く所どこされているが、実際使うと存外実用的なのだ(蛇足ではあるが『クロノスドイツ版』のテストだと、針やインデックスに蓄光塗料がないと点が下がる)。

【88点】グランドセイコー「60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003」のスペックをテスト

https://www.webchronos.net/specification/66307/

 あえて文字盤にもうひとつケチを付けるならば6時位置にあるスペック表記である。色こそ深い青とよく合っているが、ブロック体の“AUTOMATIC HI-BEAT36000 80HOURS” の表記はあまりにも散文的であり、悪い意味で日本の事務的なデザインといった印象がある。書体ももっと吟味してもらいたい(44GS以降のGRAND SEIKOのロゴで用いたれた書体でもよいのではないか?)し、AUTOMATICはともかく、他の表記は、むしろDUAL IMPULSE ESCAPEMENTの方が良かったのではないか? ロレックスの「SUPER」「CHRONOMETER」と強そうな言葉が並んでいるのも品はないが、わかりやすい希求力があると思うし、オメガのコーアクシャル脱進機を載せたモデルも、特に登場当初は「CO-AXIAL」の表記を強調していた。新しいSLGH005では表記を減らしてスッキリした見た目になったが、書体や表記にはさらなる研鑽を求めたい。またカーニング(文字詰め)も改良できるだろう。

 裏蓋の高さが抑えられ、ラグが薄く腕側に下げられたこのモデルは、時計としての装着感がこれまでのモデルよりも大きく前進した。「品」という点では、40mmの大きさはもうひと息小さい方が良いかもしれない。しかし、現在グランドセイコーのとりわけ限定モデルが、おおらかで迫力のある時計を好むアメリカで人気を得ていると考えれば(潜在的なマーケットになりうる中国市場も、同様の分かりやすさが求められる)、存在感が出せる40mmというサイズは必要だった、と言えよう。ラグが腕側に下げられたことに加えて、全長が押さえられていることは非常に効果的で、過剰な存在感や装着感の悪化を招いていないのは見事と言わざるを得ない。

 大きく変わった文字盤に比べると、ケースのデザインは、機械式復活以降のグランドセイコーの流儀から大きく跳躍していない。先に上げた「オメガ風」のラグの内側のえぐりや、ブレスレットのデザインは、旧来を改良したものであろう。もちろん作りは以前と比べてはるかに良くなり、ガッシリとしただけでなく存在感のあるものとなった。しかし、ブレスレッドのデザインは、オメガ「シーマスター」や「スピードマスター」に似たものに拘泥することはない、と考えるが……。我が国には素晴らしい腕時計の伝統はあるが、セイコーダイバーを除いて真に伝統と言えるストラップやブレスレットはないのであり、つまり、より自由なデザインを行ってもよいのではないだろうか。

 率直に言って2000年頃のブレスレットであれば、オメガやロレックス、セイコーを比較して大きな差はなかった。しかし、オメガは近年、スピードマスターのキャタピラブレスのように、1950−70年代のデザインを現代の構造に改めたブレスレットを採用するようになった。これはクラシカルな見栄えと現代ならではの確かな作りを両立していて素晴らしいものだ。

 ロレックスも、デザインだけを見ればずっと同じだが、21世紀初頭にパーツの外注をやめてからはクオリティの向上が著しい。特に本体と弓管の接続がピッチリしていて薄紙も入らないほど隙間がなく、ラグと一体化させることで、いわゆる近年のラグジュアリースポーツのような本体との統一感をもたらしている。

 グランドセイコーのケース/ブレスレットもたしかによく改良されているが、競合他社との間にはまだ差を感じてしまうのである。繰り返しになるが、筆者の希望としてはセイコーが新たなる“グランドセイコーラグジュアリースポーツ”を作り上げてほしい。先に書いた61GSを用いてくれれば喝采をあげたいが、例えばジェラルド・ジェンタデザインのクレドール「エントラータ」を、装飾的なラインを整理して基本的な構成を用いるなどをして転用したりデザインのエッセンスとするのも面白いのではないだろうか。ケースの方はイメージを確立するのに必要であろうが、ブレスレットはもう少し変化をもたせてもよいのではなかろうか?

 実際に手にとってから、ヘアラインの用い方には非常に感心させられた。というのも通常、ベゼルの上面にヘアラインを施すときは、風防に沿って円周状に入れる。しかしSLGH003のヘアラインはベゼルの上面を含めてすべてが垂直方向に施されている。画像で見た際、筆者は製造工程の容易さから選んだのかと思ったが、いざ現物を手にすると、垂直方向に施されたヘアラインが効果的に鏡面と対比されて浮き上がり、文字盤を、まるで額縁か窓枠のように見せるのである。筆者にとっては、ヘアラインの仕上げとインデックスがこの時計の外装面における最も新鮮な経験だった。

 ブレスレットなどについて要望を述べると、海外のレビューでも見かけの美しさよりもバネ棒穴を残した利便性を褒める声はあるものの、ここはヴァシュロン・コンスタンタンやIWCなどが採用する「クイックチェンジ」やそれに準ずる扱いやすい交換・調整機構の開発を期待したい。確かに90年代の割りピンと異なりネジ式となったことで安物感は払拭でき、その点については大抵のメーカーには伍せるようになった。しかし元の3倍(SBGR001は30万円であった)にも達する価格を考えれば、コンペティターが30−50万前後の時計であった時代よりも、もっと上を見据えたデザインや機構を取り入れていくべきではなかろうか。

 とはいえ、SLGH003は見えよく、装着感よく、使い勝手は最高である。ムーブメントは美しく、一番気に入っているのはその全容ではないとはいえ、デュアルインパルス脱進機の動作を見ることができることだ。その10振動のハイビートで刻まれるルビーの正確な動きは、我が国の高級時計に相応しい緻密さで楽しませてくれる。

 筆者の実使用では(先に書いたとおり左利きのため携帯精度が出にくい)、精度は+2.5〜4.5秒前後と極めて優秀な値を示した。始動性については「自動起動が優れている」とされているので少しリュウズを動かしただけで始動することを期待したが、さすがにそれは無理であった。きちんとゼンマイを巻く必要はあるが、スイスレバーではなく、ナチュラル系に属する脱進機がちゃんと起動し、停止せずにきちんと使えるのには驚愕させられた。オメガのコーアクシャル脱進機ですら、当初の8振動ではトラブルがあり、7振動に振動数を落としたことを考えれば、セイコーが初手から他を圧する10振動できちんと動作する時計を作り上げたのは見事だ。

 完全な新造ムーブメントにもかかわらず、初作から完璧に動作し、そしてそのパッケージングもコレクションケースにしまわれるのではなく、実際に使われるものとしてまとまっている点でこのSLGH003はあまりにも見事な時計であり、また日本メーカーならではの真面目さに満ちている。

 筆者は色々と書いたが、すべてグランドセイコーがさらなる世界的な発展を遂げると信じてのことである。これからのセイコーのますますの発展と新しい時計に期待しつつ、今後もSLGH003を使っていきたいと思う。


セイコーで学ぶ、腕時計のメインストリームがクォーツ式となった背景と機械式が復権するまで

https://www.webchronos.net/features/74622/
【88点】グランドセイコー「60周年記念限定モデル ヘリテージコレクション メカニカルモデル SLGH003」のスペックをテスト

https://www.webchronos.net/specification/66307/
伝説の「44GS」の正統なる後継者、グランドセイコー「SBGJ203」を着用して感じたこと

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