ジン創業60周年に見る“特殊時計”の足跡

FEATURE本誌記事
2022.02.07

2021年に創業60周年を迎えたジン。元ドイツ軍のパイロットが起こしたささやかでニッチな時計メーカーは、今や年産1万7000本を超える一大メーカーに成長を遂げた。にもかかわらず、ジンの個性は何ひとつ変わっていない。ユニークさと成長を両立してきたジン。その豊かな歩みを振り返りたい。

ジン

NaBo 17 ZM(左)
1961年にコックピットクロックのNaBo(Navigations-Borduhren)を完成させたジン。当初はバルジューのCal.VJ5を搭載していたが、後に60分センター積算計を持つCal.VJ 558に改められた。これは、1970年代後半に、ドイツ空軍のトルネード計画のために設計したコックピットクロック「NaBo 17 ZM」。現在も採用されている傑作だ。フライバック付き。
717(右)
「NaBo 17 ZM」のデザインを、腕時計で再現したのが「717」である。搭載するのは、ジンの独自設計でセンター60分積算計が追加されたCal.SZ01。ケースの素材も、耐食性の高い904Lを採用する。自動 巻き(Cal.SZ01)。28石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約46時間。SS(直径45mm、厚さ15.3mm)。20気圧防水。88万円(税込み)。
吉江正倫:写真 Photographs by Masanori Yoshie
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2022年3月号掲載記事]


1961–94:元パイロットが起こした「プロフェッショナル」向けブランド

103.A

103.A
おそらくは1960年代後半にリリースされた、ジンによる最初期のパイロットクロノグラフ。同時代のパイロットクロノグラフに同じく、バルジューのCal.72を、ピケレ製の防水ケースに収めている。最初期の「103」は、60年代後半から74年まで製造されたとされる。手巻き(バルジュー72)。17石。1万8000振動/時。SS。参考商品。

 ドイツ空軍でパイロットを務めたヘルムート・ジンは、ラリードライバーなどをしつつ、カッコウ時計などの販売を行っていた。その後も定職を見つけられなかった彼は、1961年に「ヘルムート・ジン特殊時計社」を起こした。最初に手掛けたのは、工業用タイマーとストップウォッチの販売。続いてジンは、コックピットクロックの「NaBo」(Navi-gations-Borduhren)を完成させた。

NaBo 17 ES

ルフトハンザドイツ航空は、コックピットクロックにジンの「NaBo」を採用した。写真は、ボーイング727のコックピットに固定された「NaBo 17 ES」。戦闘機用ではないため、積算計が6時位置に置かれている。このレイアウトは、現行モデルである「NaBo 56/8」に踏襲された。

 当時、ドイツの航空機が採用していたコックピットクロックは、主に第2次世界大戦中に設計されたもので、明らかに時代遅れだった。対してジンは、バルジューのキャリバーVJ5をベースにした、新しいクロックを完成させた。後に同社は、さらに改良を加えたキャリバー558を採用。60分センター積算計を持つ、新しいNaBoは大ヒット作となり、600個がルフトハンザドイツ航空に納入されたほか、ドイツ空軍の航空機にも制式採用されたのである。

 この成功を受けて、ジンは腕時計パイロットクロノグラフの「103」を完成させた。基本的な構成は、フランス空軍のタイプ規格に準じていたが、ヘルムート・ジン自身による入念な品質管理は、103に高い名声をもたらした。

103.B ムーンフェイズ

103.B ムーンフェイズ
ヘルムート・ジンがおそらく最後に手掛けたのが、1993〜95年にかけて600本作られたと言われる限定モデル。手巻きと自動巻きが存在し、一部のモデルは、当時としては極めて珍しいサファイアクリスタル製の風防とケースバックを備えていた。自動巻き(Cal.バルジュー7758)。25石。2万8800振動/時。SS。参考商品。

 以降、ジンは、信頼性の高いエボーシュを使った、堅牢な腕時計を製造するようになる。そのひとつが、レマニア5100を搭載した「142」だ。85年には、ドイツ人宇宙飛行士のラインハルト・フラーがこのモデルを着けて宇宙に飛び、ジンに名声をもたらした。また、ETA7750を採用することで、傑作103も継続。ジンはコックピットクロックメーカーからの脱皮を果たしたのである。

142.S

ジンに名声をもたらしたのが、レマニア5100を搭載した142.S(ドイツ名140.S)である。1985年には、西ドイツ航空宇宙局が中心になって行われたNASAのスペースラブミッションD1で、ドイツ人宇宙飛行士のラインハルト・フラー博士が着用(上写真)。92年には、ロシアで実施された宇宙計画ミール92に加わった、ドイツ人宇宙飛行士のラインホルト・エヴァルトとクラウス=デートリッヒ・フラーデが、142.BSを着用した。後日、フラーデはジンに礼状を出し、142を「信頼できる仲間」と記している(下写真)。いずれも使用されたのは特別仕様ではなく、通常モデルだった。


1994-2021:工学博士が導いた「ハイテク」ブランドへの脱皮

ローター・シュミット

ローター・シュミット
ジンを飛躍させたのが、現社長のローター・シュミットだ。ボッシュなどを経て、IWCに入社。「オーシャン2000」などの開発に携わった後、1994年にヘルムート・ジンから経営権を取得した。以降、エンジニアと して、数多くの傑作やユニークな機構をリリースする。

 腕時計クロノグラフの成功で成長を遂げたジン。しかし、1990年代に入ると、創業者のヘルムート・ジンは、引退と会社の譲渡を考えるようになった。彼は家族にビジネスを継承させたかったが、残念ながら、家族とは良い関係ではなかったようだ。人づてにヘルムート・ジンが引退すると聞いたIWC出身のエンジニア、ローター・シュミットは、彼に直接コンタクトを取り、やがて説得に成功した。

 94年9月1日に経営を引き継いだローター・シュミットは、社名をヘルムート・ジン特殊時計社から「ジン特殊時計会社」に変更し、さらなる拡大を目指した。かつてIWCで「オーシャン 2000」や「インヂュニア50万A/m」といった高機能ウォッチの開発に携わったシュミットは、ジンをパイロットウォッチ専業メーカーに留まらないメーカーにしようと考えたのである。まず94年に発表されたのが、チタンケースと8万A/mの耐磁性能を持つクロノメーターの「244Ti」だった。続く95年には、ケース内の湿気を除去する「Arドライテクノロジー」を開発。97年には、初のミッションタイマーである税関特殊戦闘部隊向けモデル「EZM1」を発表した。

Arドライカプセル

厳密な品質管理で知られたジン。その伝統は今も受け継がれている。右はジン特殊オイル66-228を使用したモデルの+80°Cから-40°Cまでの温度テスト。ロットごとではなく、全数検査を行っている。また、社内には最大1600気圧まで測れる圧力計があり、5000m防水のダイバーズウォッチ「UX」は実際にその数字までテストしたとのこと。左はケース内の湿気を吸収するArドライカプセル。ケースや文字盤にはめ込まれたカプセルは湿気を吸収すると青に変色し、ケース内の変化を知らせる。もともとエンジニアだったローター・シュミットは、さまざまなアイデアを盛り込むことで、ジンの個性を確立した。

EZM1

EZM1
EZMとは、出撃用計測機器を意味する「Einsatz Zeit Messer」の頭文字を取ったもの。視認性に特化したデザインが与えられた。30気圧防水のチタンケースにArドライカプセルを加えたほか、ムーブメントには、60分同軸積算計を持つレマニア5100を採用する。自動巻き。17石。2万8800振動/時。直径40mm、厚さ16.5mm。参考商品。

 ヘルムート・ジンの時代、ジンはサプライヤーの提供する部品を購入して時計を組み立てていた。事実、傑作の「103」といえども、基本的な部品は他社のパイロットウォッチに同じだった。対してシュミットは、ケースの内製化に取り組んだ。99年、同社はグラスヒュッテにあるケースメーカーのSUGに出資。2002年には株式の74%を取得し、完全な子会社とした。以降のジンは、ケースを中心にさらなる進化を遂げていく。

 好例が、1999年に発表された「フランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチ」だろう。ポリッシュ仕上げのケースとブレスレットを持つ本作は、ジンとしては初となるラグジュアリーへの試みだった。また、耐食性に優れ、磁気を帯びにくい「Uボート・スチール」の一部モデルへの採用も、SUGの優れた加工技術を反映したものだった。そしてもうひとつ、大きな進化を挙げたい。長年ジンは、ケースの気密を保つOリングに、時計業界の標準であるニトリル製のパッキンを使用していた。しかし、シュミットはパッキンをフッ素カーボン系の素材であるバイトンに改めた。これはニトリルゴムに比べて高価だが、ムーブメントの油を劣化させるガスが出にくいほか、化学薬品や燃料などにさらされても劣化しにくいというもの。ジンがミッションタイマーのEZMを進化させ、後にパイロットウォッチの技術基準である「TESTAF」を実現できた一因には、この優れたパッキンがあった。

フランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチ

ジンの多様性を示すのが、フランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチことモデル6000だ。フランクフルト経済界の依頼で開発された本作は、上質な外装とUTC機能に特徴があった。自動巻き。SS(直径38.5mm、厚さ15.5mm)。10気圧防水。68万2000円。

 SUGを傘下に収めることで、シュミットのアイデアを具現化できるようになったジン。もっとも、上質さを盛り込んだフランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチが示す通り、シュミットは、時計の機能だけに関心があったわけではなかった。最近の好例が、外装すべてをダマスカス鋼で作り上げた「1800.DAMASZENER」である。文字盤を含めて一体成形という手法は、性能を上げるためではなく、見た目のユニークさを強調するもの。また、近年では、黒以外の、ポリッシュ仕上げの文字盤を採用するようになった。

 そんなジンの集大成が、「NaBo」をモチーフにした「717」と、次世代のベーシックウォッチの「105」だ。長年自動巻きクロノグラフとして、ジンはレマニアの5100を採用してきた。その生産中止後、ジンはサプライヤーと協力して、ETA7750やコンセプトC99001をベースに、レマニア5100と同じ60分センター積算計を再現してみせた。

105.ST.SA.UTC.W

105.ST.SA.UTC.W
2020年に追加されたベーシックモデルが、3針の105。写真は、白文字盤にUTC針を備えたもの。マット仕上げの文字盤に、ジンとしては珍しく、楕円形のインデックスを採用する。ハードさを抑えた見た目は、普段使いにうってつけだ。自動巻き(Cal.SW330-1)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SS(直径41mm、厚さ11.9mm)。20気圧防水。31万9000円(税込み)。

 このSZ01を用いて、NaBoのデザインを腕時計で再現したのが717である。ケース素材には、普通の316Lではなく硬くて耐食性に優れる904Lスティールを採用。その上から硬化処理のテギメントとPVD加工を施している。

 105は、傑作103のケースデザインを踏襲した3針モデルだ。SUG製のケースは明らかに質感が良くなったほか、マット仕上げのピュアブラックの文字盤に、楕円形のインデックスはジンでは珍しい。いわゆる高級時計とは違うが、最近のジンらしい、丁寧に作り込まれた実用時計らしさが際立っている。

105.ST.SA

105.ST.SA
こちらはデイデイトを備えたモデル。左モデルに同じく、回転ベゼルには硬化処理のPVDとテギメント加工が施されている。11.9mmという袖口を邪魔しないケースの薄さも本作の魅力である。自動巻き(Cal.SW220-1)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約38時間。SS(直径41mm、厚さ11.9mm)。20気圧防水。27万5000円(税込み)。

 この年で、さまざまなジャンルに進出し、時計の質も大きく高めたジン。しかし、驚くべきは、会社のスタンスがなにひとつ変わっていないことである。シュミットはこう語る「。ドイツ国内では一切宣伝をしていませんし、私たちの主な顧客は、あくまで時計が好きな方ですね。私たちが作るのは、実用時計が中心なのです」。


ジン創業60年 年表

1961 ヘルムート・ジンがドイツ・フランクフルトにて創業
1960s 1960年代後半に「103」シリーズが登場
1980 コックピットクロックと腕時計の販売比率が4:1になる
1985 ドイツ人宇宙飛行士ラインハルト・フラーが142.Sを着用し、宇宙へ
1992 ふたりの宇宙飛行士によって、142.BSが宇宙へ飛び立つ
1994 ローター・シュミットがヘルムート・ジンより会社を引き継ぐ
1995 Arドライテクノロジーが開発される
1997 ジンにとって初のミッションタイマーであるEZM1が発表される
1999 フランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチが発表される
2002 ケースメーカーSUGが発行する株式のうち74%を取得し、傘下とする
2012 パイロットウォッチの技術基準であるTESTAFをアーヘン応用科学大学と制定
2021 創業60周年を迎える


ジン・デポ渋谷

ジン・デポ渋谷

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営業時間:11:00~19:30(月~土)、11:00~18:30(日)
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