ノモス・グラスヒュッテ/タンジェント Part.1

FEATUREアイコニックピースの肖像
2023.09.23

1992年のリリース以来、ドイツ時計のアイコンとなった「タンジェント」。簡潔なデザインと、優れたムーブメントの組み合わせは、このモデルに驚くほど長いライフサイクルを与えることとなった。ではなぜ、創業間もないノモスが、タンジェントのような傑作を作れたのか?そしてなぜ、ノモスはマニュファクチュールに脱皮しようと考えたのか? 代表作であるタンジェントの歩みから、ノモスというブランドの成り立ちと、その驚くべき進化をひもときたい。

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2023年7月号掲載記事]


TANGENTE
シンプルを極めたノモスウォッチの縮図

タンジェント

タンジェント
1992年のオリジナルではなく、2023年製の最新版。しかし、ムーブメントが自社製に置き換わった以外、基本的な構成はほとんど変わっていない。手巻き(Cal.α)。17石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約43時間。SSケース(直径35mm、厚さ6.2mm)。3気圧防水。30万8000円(税込み)。

 いち早くドイツ時計の復興に引き金を引いたのは、実のところA.ランゲ&ゾーネではなくノモスだった。気鋭の起業家だったローランド・シュヴェルトナーは長年、グラスヒュッテに時計メーカーを再興することを考えていた。彼はベルリンの壁が崩壊したわずか2カ月後の1990年1月に、会社としてのノモスを登記し、2年後の92年には最初のコレクションをリリースした。それが「オリオン」「ラドウィッグ」「テトラ」そして「タンジェント」の4つである。これらは、直径35mm(テトラは直径29.5mm)という小さなケースに、プゾー7001を改良した手巻きムーブメントを加えた、ごくシンプルな時計だった。

タンジェント

写真は現行モデル。しかし、そのデザインは1992年のファーストモデルとほとんど変わらない。ただし、かつての文字盤はクリームがかっていたが、現行モデルはシルバーが強くなった。また、スモールセコンドに施された同心円状の彫り込みも、年代が新しいほど深い。ちなみに当初のモデルは6時位置に生産国名はなかったが、後にGERMANYとなり、現在はMADE IN GERMANYとなった。
タンジェント

シンプルなデザインを売りにしたノモスだが、明らかに生産性も考慮されていた。ケースはベゼルとミドルケースを一体化した2ピースであり、ドイツ時計に典型的な「シリンダーケース」を持つ。

 グラスヒュッテのアパートで3名の時計師と共に始まったノモス。しかし、90年代半ば以降、急激に成長するようになる。驚くべき躍進をもたらしたのは、ベーシックなタンジェントである。これは以降も変わらず、後にCEOとなったウヴェ・アーレントは、創業以来のベストセラーは変わらずタンジェントと語った。このモデルが人気を集めた理由は明快だった。1980年代を通じて、ドイツの市場では大きくてカラフルな時計が人気を集めていた(今もなお、大きな時計を好むドイツ人は少なくない)。そこに一石を投じたのが、シンプルで簡潔なデザインを打ち出したノモス、とりわけタンジェントだったのである。また、性別を問わず使えることも、女性のユーザーには好まれた。

タンジェント

ケースサイド。側面のデザインは、1930年代の時計に全く同じである。もっとも、ラグを下方向に曲げて、装着感を改善している

 1992年の発表以来、ノモスに留まらず、ドイツ時計のアイコンとなったタンジェント。今なお、オリジナルとほぼ変わらずラインナップに残っているのは、非凡な完成度があればこそだった。もっとも、ノモスの進化と共に、タンジェントはさまざまなバリエーションを加えるようになる。

タンジェント

ケースバック。裏蓋から覗くのは、自社製のCal.αである。ほとんどのコンポーネンツは自社製となったが、基本的な設計はトリオビス緩急針を含め、プゾー7001の改良版から変わっていない。今時珍しいスナップバックケースは、ケースを薄くし、製造コストを抑えるためか?
タンジェント

タンジェントの個性が、細くて長いラグである。現在の基準からすると明らかに長すぎるが、あえてノモスは全く手を加えていない。


タンジェントはバウハウス的なプロダクトか?
ノモスとランゲの意外な邂逅

 しばしば「バウハウス的」と称されるノモスのデザイン。しかし同社の関係者たちはバウハウスから注意深く距離を置いている。そこから浮かぶのは、ノモス・デザインの数奇な成り立ちと、時計を通して新しいドイツデザインを打ち立てようとする、ノモスの真摯な姿勢だ。

1990年代初頭のタンジェント

1990年代初頭のタンジェント。極めてシンプルなデザインは、1937年のA.ランゲ&ゾーネ製腕時計に範を取ったものとされる。デザインを強調した時計だったが、6方向で調整された高精度なプゾー7001を搭載していた。

 筆者はかつて、スイスのジャーナリストであるティム・デルフスが、ノモスのデザインの起こりについて書いた文章を読んだことがある。『ノイエ・チューリヒャー・ツァイトゥング(NZZ)』紙の記事中で、デルフスはこう記した。「(デザイナーのスザンヌ・ギュンターが)参考にしたのは、戦前のA.ランゲ&ゾーネのカタログに載っていたモデルだった」。

 今やノモスも、デザインの出所を明確にするようになった。ウェブサイトにはこう記されている。「グラスヒュッテのA.ランゲ&ゾーネに買収された、フォルツハイムのウェーバ&バレル社が作った1937年の文字盤が(中略)ノモスが初めて製作した腕時計のインスピレーションになった」。正しい経緯は次の通りである。90年、ノモスを創立したローランド・シュヴェルトナーは、スザンヌ・ギュンターと時計のデザインを模索していた。彼らが見つけたのが、その37年製のA.ランゲ&ゾーネだったという。ギュンターは書体などに微調整を加え、そこにミカエル・マルゴスの手掛けたロゴを加えたものが、タンジェントの原型となった。

1992年に発表されたノモス・グラスヒュッテのコレクション

1992年に発表された最初のコレクションには、ふた型のタンジェントが含まれていた。それがシルバーメッキのホワイトダイアルと、1937年製ランゲへのオマージュだったグレー/ホワイトのツートーンダイアルである。

 実業家のシュヴェルトナーは、時計産業とは全く無縁の環境に育ってきた。その彼が、なぜA.ランゲ&ゾーネのデザインを見出せたのか? 前述のデルフスはそのヒントを記している。「シュヴェルトナーは、ビジネスのセンスに長けていた。(ノモスを起こす前に)彼がしたことは、かつては偉大だった時計ブランドの名前を買い取ることだった。そのひとつがノモスだった」。しかし本誌に対するノモス側の回答は一層示唆に富む。

「ローランド・シュヴェルトナーは1990年3月にランゲブランドを含むいくつかのブランドの商標を登録した。数カ月後、この伝統ある会社が復活し(中略)ウォルター・ランゲの下、グラスヒュッテで時計を再生産することが明らかになると、シュヴェルトナーはランゲの商標権を現在のA.ランゲ&ゾーネに無償で提供した」

 勝手な推測を許されたい。グラスヒュッテの時計産業に可能性を見出したシュヴェルトナーは、37年のデザインを使ったA.ランゲ&ゾーネ銘の腕時計を作るつもりだったのだろう。しかし彼は商標権をA.ランゲ&ゾーネの復興に奔走するギュンター・ブリュームラインに無償で譲り、代わりに彼の助力を得た。これが時計作りに経験が全くなかったシュヴェルトナーが、創業からわずか2年で、素晴らしいコレクションをリリースできた理由だろう。

タンジェントのタイポグラフィー

ノモスが公式に認める通り、タンジェントの基本的なデザインは、1937年の時計に影響を受けたものだ。しかし、タイポグラフィーは全くの別物である。デザインを統括するジュディス・ボロウスキーは「20年代の書体をベースに、スザンヌ・ギュンターとミヒャエル・マルゴスが完全に作り直したもの」と語る。

 経緯はさておき、シュヴェルトナーが見出し、スザンヌ・ギュンターが磨き上げたタンジェントのデザインは、多くの人が指摘するように、かなり〝バウハウス的〞であった。しかしシュヴェルトナーが37年のデザインを見出した理由はちょっと異なる。「ローランド・シュヴェルトナーは、機能的でドイツ工作連盟の美学を取り入れた文字盤の本作を気に入った」(ノモスからの公式回答)。ノモスの公式サイトにもこう記している「薄型で機能的で必要最小限の機能に焦点を絞った姿はバウハウス精神とともにドイツ工作連盟の精神にもあふれている」。2001年に経営陣に参画した共同創業者のジュディス・ボロウスキーも、「ノモスの時計はドイツらしいが、厳密な意味でのバウハウスではない」と明言した。

 彼女の言葉をもう少し引用したい。「かつてのドイツはキッチュなものを好んだ。しかし最近ドイツ人は、ドイツ的なものを打ち出すようになった」。ボロウスキーは明言しないが、そのひとつがおそらくバウハウスではないか。「戦後のドイツには資源がないため、デザインを起こすしかなかった。そしてウルマン・ミューレをはじめとする、かつてバウハウスにいたアーティストたちが戻ってきて、バウハウスは少しずつ復権していった」。戦後の環境がバウハウスに光を当てた、という認識に立つとノモスがバウハウスに距離を置きたがる理由もわかる。そしてこれが、ノモスのデザインスタジオが、バウハウスの本拠地だったデッサウではなく、ベルリンにある理由だろう。「グラスヒュッテでは、最良の時計師たちと仕事ができる。一方のベルリンは国際都市だから、優れたデザイナーやフォトグラファーたちとすぐに会える」。今のノモスは、原型を尊重しつつも、バウハウスという枠組みに収まらない努力を続けているわけだ。毎年のように追加されるカラフルな文字盤とは、その表出に違いない。

タンジェントのデザインに関する資料

タンジェントのデザインに関する資料。写真が示す通り、当初の数字にはヒゲ(セリフ)が含まれていない。仮にこの書体を採用していたならば、ノモスの時計はかなり「バウハウス的」に見えただろう。しかし、書体を見直すことで。ノモスは新味を加えることに成功した。ただし細くて極端に長いラグや、側面を裁ち落としたシリンダーケースは、極めて1930年代的だ。

 もっとも、ノモスの人たちからは賛同を得られないだろうが、機能とデザインが密接にリンクしている点で、タンジェントを含むノモスの時計はかなりバウハウス的だと言えそうだ。それを象徴するのがケース構造である。多くの機械式時計は、ムーブメントに中枠を被せ、そしてムーブメントに取り付けた機留めをケースに引っかけてムーブメントを固定する。対してノモスは、ムーブメントを中枠に固定し、それをケースにはめ込むというシンプルな構成を持っている。中枠とムーブメントを固定するのは、裏蓋から飛び出したバネのみ(タンジェント スポーツ以降はバネではなく、ラバー製のOリングで押さえる場合もある)。シンプルなデザインが簡潔な構造を求めたのか、あるいはその逆なのかはさておき、時計の成り立ちだけを見るならば、やはりノモスは極めてバウハウス的なのだ。

 世に傑作と言われる時計は少なくない。しかし、オリジナルのデザインを今に引き継ぐものは、数えるほどしかない。1992年に誕生し、今なおカタログに変わらず残り続けるタンジェントとは、本当の意味でのアイコニックピースであるに違いない。その数奇な成り立ちを考えれば、なおさらだろう。



Contact info: 大沢商会 Tel.03-3527-2682


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