マイクロアーティスト工房の黎明から最新コンプリケーションへと至る軌跡
2000年に発足したマイクロアーティスト工房は、以降、数多くの傑作をリリースしてきた。とりわけ06年発表のソヌリは、優れた仕上げとユニークな機構で、同工房の名を世界に轟かせた。その20年に及ぶ歩みを、当事者たちに振り返ってもらうことにしよう。
今や日本でというよりも、アジアで最高峰の時計を製造するに至ったセイコーエプソンのマイクロアーティスト工房。その起こりは実にささやかなものだった。
「当時セイコーエプソンの社長だった安川の薄型時計が壊れた際、修理に膨大な時間と労力を要しました。弊社は1999年にキネティック クロノグラフとスプリングドライブを発表しましたが、複雑な時計を触れる技能者がいなくなりつつあったのですね。では、職人の技能を残そうということで、塩原研治がひとりで始めました」。そう語るのは、同工房でムーブメントの設計に携わる茂木正俊だ。
最初に目指したのは機械式時計の再興で、取り組んだのはロードマーベルの再現だった。当初はささやかな試みだったが、徐々にメンバーが増えていき、2000年にはマイクロアーティスト工房が正式に設立された。理念ができたのは03年のこと。手作業で良い時計を作る、という方針が定まって、その方向性は明確になったのである。また優れた仕上げを施し、高い定価を付けた7Rと9T搭載モデルのヒットも、良い時計を作れば売れる、という自信を与えることになった。
マイクロアーティスト工房によるファーストコレクション。手巻きの7Rをベースに飾り板を加え、照井清が彫金を施している。また一部の受けには面取りが施された。手巻き。Pt。限定10本。他にも漆仕上げ(限定1本)がある。当時価格560万円。
まず同工房が手掛けたのが、スプリングドライブの7Rをベースにしたスケルトンモデルの製作だった。といってもノウハウはどこにもない。現在マイクロアーティスト工房の責任者を務める廣瀬信行は「東京・銀座のシェルマンでフィリップ・デュフォーのシンプリシティを見て、受けの磨きなどを研究しましたよ」と語る。操作感や仕上げなどを改良した3つのスケルトンモデルは即完売。自信をつけたメンバーたちは「クレドール ノードムーンフェイズ」の製作に取り掛かった。このモデルには、受けの面取りで新しい試みが行われ、初めて「コーナーR」が設けられた。
右モデルの仕上げを、手作業ではなくダイヤカットに改めたモデル。面取りなども彫金モデルに比べて簡素化されている。試行錯誤の時期にあったが、受けのジュネーブ仕上げなどには、手作業も加えられている。手巻き。18KWG。参考商品。
今やマイクロアーティスト工房のお家芸となった、手作業による仕上げ。改善に取り組んだのは2002年からと早くはないが、幸いにも、ふたりの偉大な時計師が、極東の時計師たちに手を差し伸べた。ひとりはロナルド・デ・カール。彼は仕上げの基本を教えただけでなく、シェラックストーンなどの使い方を伝授した。そしてもうひとりが、フィリップ・デュフォー本人である。彼はこう回顧する。
「もう10年以上前のことだったと思います(編集部注:2006年)。バーゼルワールドに日本人の時計師が訪ねてきました。時計師には国境というものがなく、出会うと自然に時計作りの話になります。彼らと話が弾んできて、私のアトリエを見学したいということになり、ジュウ渓谷の工房を訪ねてきました。アトリエで面取り加工をはじめ、仕上げ・装飾の技巧などを見せたところ、時計師のひとりからその作業机の上にあるものは何ですかと聞かれました。ジャンシャンのことでした。それをどう使うかを説明してあげたところ、少し分けてもらえないかと言われたので差し上げました」。ふたりの時計師に仕上げを教わって以降、マイクロアーティスト工房の仕上げは、控えめに言っても世界的なレベルに成長を遂げた。
2005年に発表されたノード限定モデル。量産モデルと異なり、手巻きムーブメントが採用されたほか、手作業による面取りなどが施された。手巻き(Cal.7R89)。30石。パワーリザーブ約48時間。18KWG(直径40.0mm)。限定10本。当時価格280万円。
併せて、マイクロアーティスト工房は、仕上げの改善だけでなく、オリジナルのムーブメント製作に取り掛かった。茂木は語る。「マイクロアーティスト工房で手掛けようと思ったのは、音の鳴る時計でした。98年の冬に『世界の腕時計』で見て以降気になっていましたが、どうやって作ればいいか分からなかった」。茂木は、WOSTEPの教科書を読み、セイコーミュージアムの図書館に通い、そして名著『Guide to Complicated Watch』を翻訳しながら、アイデアをまとめていった。
「最初作りたかったのはリピーターです。しかしゴングには日本の時計らしく、おりんを使いたかった。であれば、ソヌリの方がふさわしい、と思いました」。
マイクロアーティスト工房が、初のオリジナルムーブメントに選んだのは、最も複雑といわれるソヌリだった。しかも、ソヌリを調速するガバナーは、標準的な機械式ではなく、空気抵抗で制御するという、極めて凝ったものだった。「7Rのプロトタイプを製作した際、歯車と地板の間隔を詰めすぎたのです。結果、空気抵抗が増えて、歯車の回転速度は下がってしまった。では、それをガバナーに転用すればいい」。茂木はこともなげに語るが、第1作でエアガバナー付きのソヌリを作ってしまったのには恐れ入る。2006年に発表された「クレドール スプリングドライブ ソヌリ」は、その傑出した仕上げと機構で、マイクロアーティスト工房の名前を世界に轟かせた。
ソヌリを作り上げたメンバーたちは、彼らに影響を与えたシンプリシティのような時計を手掛けようと考えた。ベースムーブメントに茂木が開発・設計に携った7Rを使用し、可能な限りの手仕上げを盛り込んだのが、08年の「クレドール ノード 叡智」である。
ムーブメントの受けにはメッキを施さないジャーマンシルバーを採用。あえてメッキを施さなかった理由は、決して退色しないノリタケ製の磁器文字盤との対比を強調するためである。またすべての面には面取りが施されたほか、面取りでは「入り角」と「出角」が強調された。フィリップ・デュフォーは叡智を称賛する。「プラチナ製のケースに白磁の文字盤を備えた叡智は素晴らしいですね。この文字盤は、2時と4時、7時のインデックスが微妙に透けて見えるようになっていて、本当に感動しましたよ」。
叡智で、理想とする仕上げを盛り込んだマイクロアーティスト工房のメンバーたちは、続いて新たな複雑時計の開発に取り掛かった。茂木は回顧する。「叡智を発表したあと、何を作ろうか考えました。その折、カリ・ヴティライネンがデシマル式のミニッツリピーターを作ったのを知り、デシマルリピーターはいいなと思いました。それに、そもそも作りたかったのはリピーターでしたからね」。
ソヌリに比べれば簡単に思えそうだが、茂木はリピーターの設計を一新した。「ソヌリは裏蓋側におりんを備えたのでムーブメントが見られなかった。今回は、裏にハンマーとゴングを載せてムーブメントを見せたかった」。ムーブメントの外周に耐磁板があるスプリングドライブは、ムーブメントの外周にゴングを設けるのが難しい。対して茂木は、耐磁ケースを貫通する2本の突起を設け、それが耐磁ケース外周にあるゴングを叩く、というメカニズムを開発した。加えて音の作り込みは一層困難だった。「私たちは音に関するノウハウを持っていませんでした。そこで、エプソンでプリンター用のファンなどを設計するチームに話を聞き、音響工学を学びました」。
続いて発表されたのがシンプルな「クレドール 叡智Ⅱ」である。開発のきっかけは、クレドール ノード 叡智が生産中止になったため。磁器製文字盤はノリタケから供給されていたが、同社が製造中止にしたため、叡智自体もディスコンになったのである。しかし、マイクロアーティスト工房は、2013年に磁器製文字盤の内製化に成功。完成した叡智Ⅱは、より研ぎ澄まされたモデルとなった。
2011年に発表されたデシマルリピーター。ゴングは明珍製。素材は鍛造された鉄材である。時計用の動力源と、リピーター用のゼンマイを兼ねるというユニークな設計を持つ。手巻き(Cal.7R11)。112石。パワーリザーブ約72時間。18KPG(直径42.8mm)。3500万円。
06年のノード ソヌリ以降、世界的な時計工房となったマイクロアーティスト工房。しかし、ひとつだけ残念なことがある。理由を、フィリップ・デュフォーに語ってもらうことにしよう。「もったいないと思うのは、こういったクレドールの時計がほぼ海外で販売されないことです。世界で認められる作品なのに、なぜ日本でしか買えないのでしょうか?」。
(文中敬称略)