【88点】パテック フィリップ/ カラトラバ・パイロット・トラベルタイム

FEATUREスペックテスト
2019.10.26

ツータイムゾーンの設定に技あり

 パテック フィリップはツータイムゾーンの設定方法に関してさらなる利便性を追求。ふたつのプッシュボタンによってセカンドタイムの針を前進と後退の両方向へ回せるようにした。さらにデイ&ナイトの表示をホームタイム用とローカルタイム用にそれぞれ設けることで時間表示をなくし、時間表示のみでふたつのタイムゾーンを読み取れるようにしたのだ。さらに針合わせの際は日付表示も一瞬にして前後に切り替わるようになっているので、日付がずれてしまうことはなく、修正の必要がない。前述の例のように1時間の時差のある土地へ移動する時、メインタイムの針とセカンドタイムの針が同じところを指していたら、左側のプッシュボタンを1回押すだけでセカンドタイムを正しい日付の状態で設定できるのだ。文字盤に時間表示を設けず時間表示のみに絞ったのも、旅に出ていない時などセカンドタイムの設定を必要としない日常的なシーンでは、ふたつの時針を重ねることで、すっきりして見やすいという利点がある。

 こうしたふたつのタイムゾーンを表示する機能を持つパテック フィリップのムーブメント自体は、このモデルで初めて採用されたわけではない。クラシックなカラトラバですでに使われたこともあり、アクアノートやノーチラスのクロノグラフモデルにも搭載されている。しかし改良を加え、ふたつの時間を同じ文字盤上で表すことの見づらさを解消したのは、このカラトラバ・パイロット・トラベルタイムが初めてだ。プッシュボタンはリュウズのように時計回りに4分の1回転回すとロックされて押せなくなり、反回転させるとロックは解除され、再び押して修正できる仕組みになっている。いかにもそれと判別できるセーフティーガードではなく、一見すると分からないようにしてあるあたり、実に気の利いた仕様だ。また、プッシュボタンは左側に付いているため、不用意に何かに当たって動いてしまうこともほとんどないだろう。ことにゴールドケースの腕時計では、ぶつかる危険をできるだけ避けられるに越したことはない。

ケース裏からは自社製ムーブメントのCal.324 S C FUSが姿を現す。製造工程は手作業によるものが多い。
ふたつの時間設定はごく簡単。数あるツータイムゾーンウォッチの中で、これほど操作が簡便なものはなかなか見られない。

 プッシュボタンを押したりロックを設定・解除したりする作業は普通、煩わしいものだが、このモデルでは独特な感触が楽しく感じられる。操作はスムーズに行え、パーツのガタつきもない。プッシュボタンはスムーズに押せるが、押した感触はしっかりしていて何回押したか明瞭に指先に伝わるため、必ずしも文字盤を目視しなくても針がジャンプして移動するのをはっきりと把握できる。また、日付の修正用にはケースに埋め込まれたボタンがあり、付属のスティックで押すと表示を切り替えることができる。しかし編集部としては、日付の修正は地道に針を動かして時を越えて表示を切り替える方法を推奨したい。少々時間が掛かってしまうが、スティックを持った手が滑って、繊細なゴールドケースに傷が付いたりするのを避けられるはずだからである。

 こうした機能があるため、リュウズは引き出すのが段階的になっていないワンポジション式で、操作は簡略化されている。しかし正確な針合わせに便利なストップセコンド機能は、残念ながら付いていない。この実用的な機能が組み込まれているのは、これより後に開発されたムーブメントなのだ。ふたつの時針と同様に、分針も視認性に 非常に優れた仕上がりなだけに、惜しいと感じざるを得ない。蓄光塗料をたっぷり使用した時・分針と太字のアラビックインデックスの組み合わせはコントラストがはっきりしていて、時間は素早く読み取ることができる。ふたつのデイ&ナイト表示にはローカルとホームの文字を添えて区別しやすいように強調され、日中は白、夜間はダークブルーに切り替わる。唯一、日付表示用の小さなサブダイアルだけは、注視して読み取る必要があるだろう。

ムーブメントを検証する

 時計を裏返すと、サファイアクリスタル製の裏蓋越しにもいくつか見どころがある。まばゆい光を放つ自社製の自動巻きキャリバー324S C FUS でまず目に入るのは、弧を描いたストライプの装飾研磨が施された金色のローターだ。ブリッジにはコート・ド・ジ ュネーブ装飾が入り、エッジは面取りされ、そのわずかな面は専任の担当者により手作業で注意深く鏡面に磨かれている。パテック フィリップの時計の価格には、製造段階においてとりわけ手作業の工程が多いことが反映されているのだ。

ヒゲゼンマイはシリンバー製。可逆性に優れ、いったん変形してもすぐに元の形状に戻る。

 ムーブメントに関する革新的な特徴についてもいくつか紹介しよう。スピロマックスヒゲゼンマイと名付けられているこのパーツはシリンバー製だ。この素材はシリコンに酸化被膜を施したもので、温度変化に強い耐性がある。マイナス10°Cからプラス60°Cの間で、 ほとんど変形しないという。スピロマックスの製造は集積回路と同じようなやり方で、シリコンウエハーに形を感光させるフォトリソグラフィという手法が用いられる。今回のスペックテストでは、変形に対して極めて高い抵抗力を持つこのヒゲゼンマイの耐久性を確かめられる可能性が出てきた。スピロマックスは渦巻きを最大限にほぐし広げても、手を離すと金属素材のヒゲゼンマイと同様に元の形に戻り、歪みが出ないという。また、少々の衝撃が 加わっても、まず影響を及ぼすほどにはならないとのことだ。しかし一般的には、シリコン素材はもろいという一面もある。そこで我々は耐久性を調べるべくピンセットでヒゲゼンマイをほどいてみた。ほぼ一直線といえるくらいまで広げてぴんと引っ張ってみたのだが、その状態になってようやく粉々に砕け散るに至った。

 ムーブメントの基本部分の設計は以前に開発されたものなので、パワーリザーブは今時の製品としては短く、最大でも約45時間だ。パテック フィリップでは、テンプにはマスロットの錘で調整して緩急針を必要としないタイプのものを長年使用している。フリースプラングと呼ばれるこの形式ではヒゲゼンマイが拘束されることなく動き、 精度の安定性に関与する。ムーブメントに刻まれたパテック フィリップ・シールは装飾が一定の規格に沿っているだけではなく、厳格な精度基準をクリアしていることを表しているのだ。このモデルは平均日差がマイナス3秒からプラス2秒の間に収まらなくてはならない。そのため調整は6姿勢で実施されているのだが、これは時計業界ではめったに見られないやり方だ。編集部のテストでは、歩度測定器に掛けたところ平均日差はプラス1.5秒であった。最良の状態にチューンアップされていることが分かる。しかし最大姿 差は8秒で、これについては並みの数値が出ている。

 だがこのモデルで並みはずれているのは、なんといってもケースや文字盤、 針、ストラップの加工のクォリティが高いことだろう。キズ見でつぶさに観察しても、ケースの表面の磨きは完璧、文字盤のサンレイ研磨は細やかさが際立ち、手縫いのカーフストラップはステッチがそろって整然としている。腕に着けた時も非常に心地よい。ケース径が42mmというサイズはパテック フィリップとしては大型の部類だが、手首にはよくなじむ。バックルが横棒2本仕立てというのもパイロットウォッチらしさが表れている。使い勝手が良く、とてもフラットな形状なので手元がすっきり整う。ドイツ版編集部としては、手首に若干圧迫感があるフォールディングバックルより、尾錠を推したいところだ。

尾錠には横棒が2本の新型デザインを採用。パイロットウォッチにぴったり合っていて、雰囲気を大いに盛り上げてくれる。

 そして、カラトラバ・パイロット・トラベルタイムの特徴のひとつに、興奮から現実に引き戻されて冷静にならざるを得ない要素として価格がある。519万円という価格はこのブランドのゴールドケースのコンプリケーションモデルとしては普通で、カラトラバの年次カレンダーやワールドタイムウォッチでも似たような金額だ。外観の仕上げ水準の高さと内蔵されるムーブメントの優秀さの2本立てになっているのが、この価格の内訳だろう。さらに言うと、このモデルはステンレススティールのアクアノート・トラベルタイムなどと同じく、店舗でそう頻繁にはお目にかかれない。古典モデルの良さを再確認できるよく練られたデザイン、ツータイムゾーン表示の実用性、ふたつのプッシュボタンによる巧妙なシステムがもたらした簡便な操作、そしてごく小さな箇所まで徹底した仕上げの丁寧さが、この時計がどのような 存在であるかを語ってくれるだろう。 これといった欠点は見当たらず、見やすさは抜群、旅行時はその能力を最大限に発揮してくれる。さらに優れた精度も含めて考えると、価格は品質に見合っていると言えよう。

カラトラバ・パイロット・トラベルタイムは、何もモデル名にあるパイロットだけに限らず、地球上を移動するあらゆる旅行者の冒険心をかき立ててくれること請け合いだ。