北中米ワールドカップ2026で日本代表に帯同し、選手としてではなくベテランのサポートメンバーとしてチームを支え続けた吉田麻也。ピッチの外から見せたその存在感は、多くのファンの記憶に刻まれた。大会後も注目を集め続ける吉田の人柄と、彼が心から惚れ込んだという時計ブランドに迫る。

Text by Yukaco Numamoto
編集:土田貴史
Edited by Takashi Tsuchida
[2026年7月12日掲載記事]
まだまだ熱狂が続くワールドカップ2026
代表選出の記者会見がテレビで生中継されたほか、時差のある放送時間帯にもかかわらず深夜・早朝に起きて試合を見守ったファンも多く、北中米ワールドカップ2026は日本国内でも大きな熱狂を呼んだ。なかでもブラジル戦は、前半の先制ゴールから後半の粘り強い守備まで、日本代表がサッカーの面白さと勝ち上がることの難しさを改めて教えてくれる一戦となった。
日本は決勝トーナメント初戦で惜しくも姿を消したが、大会はその後も海外の名だたる選手たちによる圧巻のプレーが続き、サッカーファンならずとも胸が熱くなる展開を見せている。当然、華やかなスター選手に目が行きがちだが、今回はチームを陰で支えるサポート陣に目を向けたい。日本代表の中でもひときわ存在感を放っていたのが、元キャプテンの吉田麻也だ。
サポートプレーヤーとは本来、大会に挑む代表チームの練習相手として帯同する選手を指し、多くは将来の代表入りを見据えた若手が経験を積む機会として選出される。しかし今大会での吉田の起用は、ベテランならではの経験値を買われた異例の抜擢だった。実際、その存在は日本代表の選手たちに大きな影響を与えたと言われている。自身のInstagramには、ロッカールームで代表チームが大きな円陣を組む様子を投稿しており、チームへの熱い思いがにじみ出ていた。
森保一監督は、吉田の貢献を、怪我のため無念の招集外となった南野拓実の貢献とあわせてたたえ、「麻也は一緒にトレーニングに入って、自分のプレーを見せながら他の選手にも指摘をしてくれて、勇気を持って試合に入れるメンタリティーになった」と語っている。
サッカー人生を通じて信頼を勝ち取ってきた吉田麻也
長崎県長崎市出身の吉田麻也は、「麻のように揉まれれば揉まれるほど強い男になってほしい」という両親の願いから名付けられたという。小学6年生の時、家族で名古屋を訪れた際に兄が見つけてきた名古屋グランパスのU-15セレクションを受験し、70名の中から選ばれたわずか4名のうちの一人となった。
高校進学の際は、将来の海外挑戦を見据え、特別視されない環境で英語を学びたいという思いから、クラブ提携校ではなく愛知県立豊田高等学校を選んだ。全日本ユースで準優勝した際にはキャプテンとして攻守にわたりチームを支え、U-18日本代表にも選出されている。2007年にプロ入りした後は早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)に進学し、2019年に卒業した。
名古屋グランパスを離れた後は、2009年末にオランダのVVVフェンローへ移籍。チームは50年ぶりとなる4連勝を記録し、吉田自身もチーム2位となる5得点を挙げる活躍を見せた。2012年からはイングランド・プレミアリーグのサウサンプトンに移籍し、2017年には日本人選手として初めてプレミアリーグ通算100試合出場を達成。DFラインをともに組んだジャック・スティーヴンスからは「マヤは僕にとって素晴らしい存在だった」と称賛されたほか、地元紙が主催するサウサンプトン年間最優秀選手投票では2位に選ばれるなど高い評価を受けた。現在はMLSのロサンゼルス・ギャラクシーに在籍し、2024年からはチームのキャプテンを務めている。
2021年の東京オリンピックではオーバーエイジ枠での出場ながらキャプテンを任され、24歳以下が主体だった若いチームを牽引した経験を持つ。本人も「オリンピックの代表でもそうだったけど、(アメリカという)違う環境でそういうロールを与えられたのは非常に嬉しい」と振り返っている。国内外から“最高の人格者”と評される吉田麻也の人間力とコミュニケーション力は、言語や文化の壁を越えて多くの信頼を勝ち取ってきた。
パルミジャーニ・フルリエ・ジャパンのブランドパートナーに就任
そんな吉田麻也が2026年5月29日、パルミジャーニ・フルリエ・ジャパンのブランドパートナーに就任した。自身のInstagramでは「メゾン創立30周年の節目にパルミジャーニ・フルリエ・ジャパン、ブランドパートナーに就任いたしました。4年前にこの時計に出会い、ブランド哲学に惚れ込みました!」と心境をつづり、投稿には2026年の新作「トンダ PFクロノグラフ ミステリューズ」を身につけた写真が添えられている。
吉田が「惚れ込んだ」と語るパルミジャーニ・フルリエの時計哲学は、「レス・イズ・モア(少ない方が豊かである)」と「自然界の黄金比」の融合にある。過剰な装飾をそぎ落とし、黄金比をデザインやムーブメントの設計に取り入れることで、究極のラグジュアリーを追求しているのだ。
時計修復の匠が育んだパルミジャーニ・フルリエの哲学
ブランドの歴史は、伝説的な時計修復師であった創業者ミシェル・パルミジャーニが、1976年にスイス・ヌーシャテル州ヴァル・ド・トラヴェールに時計工房を開いたことに始まる。当時はクォーツショックの真っ只中で、昼間は主に古い時計の修復にあたり、空いた時間で複雑時計の製作に取り組んでいたという。1996年には同じヴァル・ド・トラヴェールのフルリエという街で「パルミジャーニ・フルリエ」を設立。ムーブメントの設計から部品製造、組み立て、ケースや文字盤の製作まで自社一貫生産を貫くマニュファクチュールへと成長を遂げた。

新開発の自動巻きクロノグラフムーブメントを搭載した「トンダ PF」の新作。画期的なクロノグラフ機構を備えている。自動巻き(Cal.PF053)。41石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。607万1000円(税込み)。
吉田が投稿写真で着用しているのは、新開発の自動巻きクロノグラフムーブメントCal.PF053を搭載した「トンダ PF」コレクションにおけるワールドプレミアの3作目である。最大の特徴は、クロノグラフでありながらインダイアルを持たず、一見すると3針時計のような佇まいであることだ。センター同軸に取り付けられた5本の針のうち、7時30分位置のプッシュボタンを押すとロジウムプレートの3本の針が12時位置で一直線に重なり、クロノグラフ機能による計測がスタートする。同時に、それまで隠れていたローズゴールドの針が現れて時刻を示す仕組みだ。再度プッシュボタンを押すとクロノグラフ針が停止し、もう一度押すとリセットされる。見た目はシンプルながら、従来のクロノグラフとは一線を画す複雑機構を、プッシュボタンひとつの操作にまとめ上げている。
Cal.PF053はパワーリザーブ約60時間を備えながら、その厚さは6.9mmに抑えられている。ブレスレットには「トンダ PF」を象徴する一体型デザインが採用され、ローレット加工を施したプラチナ製ベゼルが華やかさを添えている。
極限まで削ぎ落とされた佇まいの裏には、一見しただけではわからない複雑機構が息づいている。わかる人にはわかる、その通好みの設計思想は、吉田麻也自身の生き方とも重なる。選手として、そしてチームの精神的支柱として、吉田麻也のこれからの活躍に期待したい。



