時計フェアは、スイスではなく世界で。そして、プロ向けではなく普通の人のものに

FEATURE役に立つ!? 時計業界雑談通信
2021.12.04

ウォッチジャーナリスト渋谷ヤスヒトの役に立つ!? 時計業界雑談通信

一度は収束に向かっていたかに見えた新型コロナ禍も、新たな変異ウイルス「オミクロン株」の感染拡大で、先行きが不透明になってきた。そんな中、リアルなフェアやイベントが開催できなくなって丸2年が経とうとしている。
この間、インターネットを介したバーチャルなプレゼンテーションや、オンラインによるインタビューやミーティングなど、フェアやイベントの形態は大きく変わり、進化を遂げた。だが、それでも“リアル”を求める声はやむどころか、ますます大きくなっている。ジャーナリストの渋谷ヤスヒト氏が、そんな時代の時計フェアと時計情報の発信の在り方について考察し、報告する。

渋谷ヤスヒト:写真・文 Photographs & Text by Yasuhito Shibuya
(2021年12月4日掲載記事)

©Yasuhito Shibuya 2021
2015年9月に香港で開催された「ウォッチズ&ワンダーズ 香港」にて。このフェアの主役は招待された上顧客たちだった。


「その他のブランド」の、新たな「新作発表の場」はどこに?

 2021年10月31日公開のこの連載コラムで、「復活した」バーゼルワールドの実現可能性に疑問を呈し、イギリス人時計ジャーナリスト、ロブ・コーダー氏が行った「ロンドン時計フェア」開催提案について紹介した。そして、氏が紹介した噂通り「バーゼルワールド2022」は中止になった。復活に精力的に取り組んできたマネージングディレクターのミシェル・ロリス-メリコフ氏も退任した。このままMCHグループが何もしなければ、バーゼルワールド消滅は必至だろう。

「では、ジュネーブに出展できない時計ブランドは、どこで新作を発表すればいいのか?」
コーダー氏があのコラムを書いたのは、この問題提起のためだった。

 現時点ではジュネーブの「ウォッチズ&ワンダーズ」に参加できるのは(たったの)39ブランド。だが、バーゼルワールドが開催されていた2019年まで、数百もの時計ブランドが、かの場所から世界に向けて新作を発表してきた。

 ジュネーブに参加できない時計ブランド、なかでも独自のイベントを開催する資本力のない中堅、中小の時計ブランドは、これからどうすればいいのか? これは時計業界にとって、ブランドの存続を左右する重大な問題だ。

 そこで今回は今後の時計フェア、さらには時計という情報の発信の在り方について考えてみたい。

 

やはりフィジカルな時計フェアは「絶対不可欠」

©Yasuhito Shibuya 2021
高級時計の魅力は、実物を見なければ分からない。2019年開催のバーゼルワールドにおいて、パテック フィリップのブース前に集う人々。

 まずは、今後の時計フェアがどのようなカタチになるか、だ。

 2年間に及ぶフィジカルな時計フェアの中止で分かったのは、オンライン形式のフェアの限界とフィジカルな時計フェアの必要性だ。だが、オンラインがすべてダメというわけではない。特に2021年の「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ」は、批判もあるが、インタラクティブなフェアとしてかなり完成度が高いものだった。

 ただデジタルでは、たとえ3Dでも、バーチャルな画像データでも、ロレックスのように品質に対する絶対的な信頼が確立されていなければ、時計バイヤーはそれだけで購入を決めることはできない。時計は高価で精密で、仕上げなどのディテールの数値化がとても難しい、機能や信頼性以上に感性価値が高いものだ。

 時計は人が、自分の目で見て手で触れてみなければ、その価値は判断できない。だから時計ビジネスには、製品のサンプルや実物に触れることができる機会、すなわちフィジカルなフェアや展示会が不可欠だ。この2年の間に、時計業界の関係者は、痛いほど理解したと思う。

 ただ、それが時計フェアという、莫大なお金と時間がかかる大規模なカタチでなければいけないのか。個別の展示会で十分ではないか。時計業界の中にも「個別の展示会でいいだろう」と考える方は少なからずいるだろう。

 しかし時計フェアには通常の展示会にはない魅力、メリットがある。それは「フェア=巨大なお祭りイベント」だから生まれる「ニュースになる力」、発信力、宣伝力だ。筆者のようなメディアコンテンツを企画・制作する立場の人なら分かるだろうが、個別の展示会には、時計フェアほどの発信力はない。


実は、スウォッチ グループも時計フェアの存続を望んでいた

©Yasuhito Shibuya 2021
スウォッチ グループが参加していた時代のバーゼルワールドのメインホールの様子。ホールの中心部に同グループのブランドのブースが集結し、その存在感を誇示していた。2019年開催のバーゼルワールドから撤退し、同年、上位6ブランドは世界のジャーナリストを招いて「TIME TO MOVE」という独自の新作展示会を行った。

 2018年夏、スウォッチ グループによるバーゼルワールドからの全面撤退のニュースを、当時メディアは「これからはネットの時代だ」という解説と共に報じた。だが、スウォッチ グループの声明を読み返してみると、その解説が適切だったかどうかは疑わしい。実際、声明にはこう書かれていた。

「今日あるような毎年恒例の時計展は、もはやあまり意味がありません。だからといって、時計フェアをなくすべきではありません。しかし(時計フェアの主催者は)現在の状況に適切に対応し、より多くのダイナミズムと創造性を発揮しながら、自らを改革していくことが必要なのです」(筆者翻訳)

 この声明には「フィジカルな時計フェアは不要」とはひとことも書かれてない。この後に続くのは、「バーゼルワールドを運営するMCHグループがフェア自体の充実より、改装した会場の減価償却を優先していて時計ブランドに過大な負担をかけている」という告発とも言える文章だ。

 スウォッチ グループも時計フェアの重要性、必要性は認めていた。そして今も認めているはずだ。2019年はジャーナリスト・ツアーのカタチでトップ6ブランドの新作発表をスイスで行った同グループが、2020年はコロナ禍で中止になったが、3月上旬にスイス・チューリヒにおいてグループのみでフェアを開催する予定だったことを考えれば、それは明白だ。

 フィジカルな時計フェアが中止になった2020年と2021年、雑誌はもちろんネットも含めて時計に関連するコンテンツは、それ以前よりも明らかに減った。時計業界では2019年、時計フェアに出展しなかったある時計グループの新作に関する情報露出は前年比で約6割にまで落ち込んだという情報が流れた。

 もはやフィジカルな時計フェアを「時代遅れ」と切り捨てる言説は消えた。フィジカルな時計フェアが生き続けることは間違いない。