モリッツ・グロスマン あるマイスター時計師が語る半生とグラスヒュッテ高級時計産業の歩み

2016.12.02

モリッツ・グロスマン本社におけるシュナイダー氏の城が、このコンストラクションルーム。オープンマインドな人柄(メディアに無警戒とも言うが…)は昔と変わらず、特に設計が終了したCADデータなどは、訊ねれば何でも見せてくれる。

「そう言えば設計室に時計がないな…」とシュナイダー氏が持ち込んだATOの電子式振り子時計。もちろん自分でレストアしたもので、永久磁石で出来た振り子がコイルの中に通されている。機械式の振り子時計は高価すぎて、趣味で扱うのはとてもムリと言いながら、「でも、いつかここにレギュレータークロックが欲しいな」と漏らす。

 私は1961年7月22日、グラスヒュッテ近郊の小都市、ディポルディスヴァルトで生まれました。父は地理学者、母は数学教師というアカデミックな家庭で、4歳年下の妹は植物学者です。しかし私は幼い頃に両親から離れて、同じくグラスヒュッテに近い小村に住んでいた祖父母の元で育ちました。ヴァルディディーレというこの村は、エルツ山地の中でも深い森が広がっている地域です。両親は学生結婚で、当時はまだ大学生でしたから、自分の家を持てませんでした。また東ドイツ時代ではお決まりの住居不足で、申し込んでも長い間待たされることが多かったようです。

 ヴァルディディーレに住んでいた祖父は、エルツ山地に残った最後の鉱山のひとつに勤務していた機械工でした。また曾祖父も、カトラリーの製造会社で精密機械工を務めていました。私は今でもこのふたりから譲り受けた工具を持っていますが、これは訓練生時代か、職人になるための試験の際に製作したものだと思います。少年時代には祖父とふたりで、古いラジオや目覚まし時計を分解して遊びました。箱いっぱいに詰まったバラバラの部品が、私のおもちゃだったのです。こうした部品は、自分であれこれ動かさなければ静かなものですが、目覚まし時計だけは自分で勝手に動いて、しかもベルを鳴らします。パワーリザーブがあれば、翌日もまだ動いています。この“生きている”という感覚に、私は特別な感情を抱くようになりました。祖父が手作りの斧とハンマーをプレゼントしてくれたこともよく憶えています。斧は失くしてしまいましたが、小さなハンマーは今でも時計作りのツールとして活躍しています。

 当時の東ドイツには、14歳になると成人と認められ、そのお祝いに腕時計をもらう習慣がありました。腕時計と言えば当時はGUB(VEB Glashütter Uhren betriebe/グラスヒュッテ国営時計工業)製でしたが、私はなぜかカセットレコーダーを欲しがりました。

 アビトゥーア(ギムナジウムの卒業資格)を1.2(最高位は1.0)で取得した私は、ドレスデン工科大学に進みました。専攻は電気工学と精密機械工学。しかしここでは、私が望んでいた素材や工具を使う実技はほとんどなく、専門書を読むばかりの日々に辟易して、約1年半でエルツ山地の祖父母の家に戻ってしまいました。両親は相当にショックだったようですね。このため、東ドイツでは珍しく手に職もないまま、GUBでアルバイト的な仕事を始めることになったのです。とにかくここで9カ月の間、歯車や軸の仕分けに従事しました。その後、職業学校で時計について学び始めたのです。もちろん当時としては遅いスタートで、同級生は私よりも5歳ほど年下ばかりでした。職業学校の卒業試験では、最優秀生徒のひとりになりましたよ。

 再びGUBに戻った私は、時計師の見習いとなりました。この際のマイスターがウヴェ・バールで、脱進機やヒゲゼンマイの調整を彼から初めて学びました。彼の下では、終業後に旋盤を自由に使うことも許されていました。この頃、クライシグの時計旋盤を100オストマルクで購入しましたが、訓練生にとっては大金でしたね。クライシグの時計旋盤も、19世紀にモリッツ・グロスマンがノウハウを伝授して、グラスヒュッテで作られるようになった技術のひとつです。当時のGUBは、F1〜F8の工房に分かれていて、F1では美術館や博物館で使う自記温湿度記録計など、時計以外の機械製品も作っていました。

Das neu konstruirte Werk übernimmt den Geist
vom vortrefflichen “BENU”.

名機ベヌーの衣鉢を継いだ
第2世代グロスマンの完璧主義

創業初期の製造設備や人員などの問題で、“初代ベヌーのCal.100.0で断念したこと”をすべて盛り込んだ、Cal.100系の完成形。主な変更点は、クラッチ式巻き上げ機構の改良と、プッシャー式グロスマン・ワインダーの追加。2重振り座で止めるストップセコンドの改良。自社製のテンワとカールハース製ヒゲゼンマイの採用。後退式コハゼの改良。エキセントリックスクリューを用いた偏心ドテピンの採用。可動ヒゲ持ちの採用など多岐にわたる。現行品としてはかなり大きなヒゲ玉や、筒車を安定させるカップリングレバー、巻き上げ機構の各所に配されたベリリウムカッパー製のブッシュなど、過剰とも言える耐久性への配慮が、いかにもシュナイダー流だ。

ATUM
アトゥム

初作ベヌーの後継機となる、現行モリッツ・グロスマンの主力モデル。従来機から受け継ぐ堅牢な秒針停止機構と、このモデルから標準装備となったプッシャー式グロスマン・ワインダーの組み合わせが極めて使いやすい。手巻き(Cal.100.1)。20石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約42時間。18KRG(直径41.0mm、厚さ11.35mm)。350万円。