モリッツ・グロスマン あるマイスター時計師が語る半生とグラスヒュッテ高級時計産業の歩み

2016.12.02

Das erste kleine-dünne Werk zielt
auf die Eleganz ab.

表現の幅を大きく拡げた
初の小径・薄型ムーブメント

堅牢さを重視したCal.100系ムーブメントに対し、優れた審美性を重視して開発された小径・薄型機。モリッツ・グロスマンらしい古典的な意匠に見えるが、実際には基本的な輪列を極端にオフセットさせた、近代的な設計が盛り込まれている。そのポイントとなるのは3/5プレートからはみ出さないように新設された2番カナ。ただし時分針の駆動を2番カナで行うことで、2番車のオフセットで最も懸念される“針飛び”に対応している。典型的なオフセット輪列のようで、実は2番車をセンターに置く標準的なスモールセコンドのアレンジという点が素晴らしい。対して、設計者が“最も美しいパーツ”と認める香箱は、敢えて3/5プレートからチラリと覗かせている。

TEFNUT “Japan Limited”
テフヌート “ジャパンリミテッド”
2針の「テフヌート・レディー」をベースに、秒針を加えた日本プロデュースモデル。新規デザインのローマンインデックスやダイアルベース、針の長さなどにまでこだわり抜いた傑作。なお現在は、このモデルをアラビックインデックスに変えた「テフヌート36」が通常ラインナップに加えられている。手巻き(Cal.102.0)。26石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KRG(直径36mm、厚さ8.32mm)。日本限定15本。280万円。

「Werkstatt(工作室)」と掲げられた自宅工房には、自らレストアした壁掛け時計が並ぶが、ここでも電子式振り子時計が目立つ。英国のアレクサンダー・ベーンが発明したとされる電子式振り子は、19世紀の中頃から出回り始め、フランスでは鉄道の伸展に伴って大量生産されるようになったという。亜鉛とコークスを使ったバッテリーが弱点だが、“知りたがり屋”のシュナイダー氏にとっては、魅力的な構造だったようだ。

 プロトタイピスト時代の思い出のひとつに、現在グラスヒュッテ時計博物館の正面玄関に展示してあるヘルマン・ゲルツの天文時計があります。この時計は長い間、エンジニアリングスクールで管理されてきたのですが、学校閉鎖に伴って、A.ランゲ&ゾーネのショールームに一時移管されることになったのです。前回のオーバーホールを担当したのは、マイスター時計師のカール・フリーベルとユルゲン・フリッチェでしたが、搬入時にはフリーベルと私で組み立て調整を行いました。その後は木工職人のブルーノ・ライヒェルが手掛けた美しいケースの錠も修理して、私が定期的に巻き上げていました。そしてついに、この天文時計を再びオーバーホールする時期がやってきたのです。このような歴史的な時計のオーバーホールは、前回の経験者とその仕事を引き継ぐ若手が一緒に作業することが慣例でした。こうしてグラスヒュッテの時計作りの伝統を継承してきたのです。この時もフリーベルと私で担当したのですが、ランゲの上層部は、プロトタイプ部門の人間があまり席を空けるのも好ましくないと言って手伝わせてくれず、それが今でも心残りです。

 私が古い工具や工作機械に興味を持ち始めたのも、ルノー・エ・パピでトゥールビヨンの共同開発をしていた頃でした。東西ドイツの再統合から間もないこの時期、古い道具は廃棄する傾向が強かったのですが、GUBに申し出れば、安価に購入することもできました。戦前〜戦中に現役で使われていた工具は戦利品として接収されてしまったので、これらは粗大ゴミ同然の古い部品から再度組み立てて、GUBで使ってきたものです。そうした中にあったクライシグのF1という時計旋盤は、私の宝物のひとつで、今はモリッツ・グロスマン本社のショールームに展示しています。

 ところがA.ランゲ&ゾーネがリシュモン グループの傘下となると、仕事の内容が大きく様変わりし始めました。私のいたプロトタイプ部門も、以前のようにさまざまな機能を試しながら、実験的に開発を進めることができなくなって、設計部門で決められたパーツをただ組み立てるだけになりました。2000年に設計部門への転属を願い出て、それは受理されたのですが、そもそも手で作ることが好きな私は、PCの前だけで設計することに正直戸惑いを覚えました。それでもドレスデンのカルチャーセンターで夜間のCADコースを受講したり、他の設計者のスケッチなどから学んでゆきました。設計部門から与えられた課題は、「ダトグラフ」に永久カレンダーモジュールを載せることでした。これは見た目よりも複雑な作業で、新しい切り替え方式に変更せざるを得ない部分もありました。