モリッツ・グロスマン あるマイスター時計師が語る半生とグラスヒュッテ高級時計産業の歩み

2016.12.02

時計博物館裏手の芝生は、近隣の工房に勤める時計師たちの憩いの場。ランチタイムにはちょっとした賑わいを見せる。
シュナイダー氏と激論を交わしているのは、グラスヒュッテ時計博物館のラインハルト・ライヒェル館長。写真のハーフセコンド振り子時計は、フェルディナント・アドルフ・ランゲが工房を設立する以前に試作したもの。GUBの“展示品キャビネット”時代に、シュナイダー氏が1回オーバーホールを担当している。

時計博物館の正面玄関を飾る天体時計。高名なクロックメーカーのヘルマン・ゲルツが約30年をかけ、1925年に完成させた。この時計の保全にはシュナイダー氏も携わったことがある。
西側から町へと入るちょうど入り口にある「M-Großmann Platz(モリッツ・グロスマン広場)」。1935年に消防署が落成した際、「オーバーシュタット・組合広場」から改名された。

モリッツ・グロスマン広場の消防署跡地。1848年から町長を務めたアドルフ・ランゲに対し、モリッツ・グロスマンはボランティアの消防団を結成したり、地域合唱隊を組織したりと、民生面での地域リーダー的な役割を担った。
シュナイダー氏がお気に入りの場所として挙げた、カフェウァベルク(ムーブメントカフェの意味)。19世紀にグロスマンが建てた最初の時計学校は、ここの裏手にあった小学校に間借りしていた。

カフェウァベルクでシュナイダー氏をスナップ。ランチタイムには、近隣の各工房からお歴々が集まってくる。後ろに写っているふたりも、誰とは言わないけれども、ちょっとした有名人。
カフェウァベルクをひとりで切り盛りする麗しきご婦人。店内を撮影してたら“私も撮って”と満面の笑み。

シュナイダー氏のセレクトはボリューム満点のヴィーナー・シュニッツェル。正式には仔牛の揚げ焼きを指すが、グラスヒュッテではポークも食べる。要するにドイツのとんかつ。
ちょっと不気味なオヤジのラベルが貼られたドイツのカルト飲料「フリッツコーラ」。2003年にハンブルクで、ラベルのオヤジふたりによって創業。カフェイン3倍。

駅前から続くハウプトシュトラッセ(中央通り)にあるブラッスリー。取材やファクトリーツアーの合間にいただくケータリングでも、ここの手作りサンドウィッチは大人気。

グラスヒュッテでのクイックランチなら、駅前のビストロH4。店内は意外に広く、ゆったりとした中庭もあり。オススメはビールとポテトたっぷりのカリーヴルストで、ここのソースは少し甘め。

商店街にあたるマルクトでのひとコマ。グラスヒュッテで路上駐車する際は、車を駐めた時間を示す写真のチケットを提示するのが決まり。
こちらはチケットを提示しない“駐車違反”を取り締まる車。ワイパーに挟まれたメモには「じゃあ、お前はいいのかよ?」という走り書き。

ハウプトシュトラッセの川沿いにあるリサイクルショップは、19世紀にモリッツ・グロスマンの工房(ウーレンファブリック・モリッツ・グロスマン)があった場所。
一方、アドルフ・ランゲの最初の工房は、現在のグラスヒュッテ時計博物館の隣にあった。ただしドイツ時計学校が設立されたのはランゲの死後。現在はノモスのブティックになっている。

町の入り口近くにある共同墓地。ライプツィヒ遊説中に急逝したグロスマンの墓もここにある。隣はフライングトゥールビヨンで有名なアルフレット・ヘルウィグの墓。
こちらはA.ランゲ&ゾーネの創業者、フェルディナント・アドルフ・ランゲをはじめとしたランゲ一族の墓。2代目となった息子のエミール・ランゲもこの墓に葬られている。
同じく2代目として経営に参加したリヒャルト・ランゲは、エミールとは不仲だったようで墓も別々。フラウ・ローザ・ランゲは、塔時計を設計したレスナー家の出身。

ハウプトシュトラッセにあるレストラン。取材時はバケーションで休業していた。この建物は東ドイツ時代には映画館で、現在も当時の看板が残っている。
たまたま川沿いに駐まっていたトラバントは、東ドイツ時代にVEBザクセンリンク社が製造した小型自動車。ちょうどこのあたりのアパルトメントの一室に、2008年に会社登記された際の、最初のグロスマン・ウーレン本社があった。シュナイダー氏が「ベヌー」に取り組んだのもこのあたり。

昔はノモスの社員食堂だったカフェドロゲリー。ここではドイツらしい家庭料理ということで、トーテオマ(死んだ婆さん)という挽き肉料理をオーダー。ここのオーナーシェフは気まぐれな人らしく、ランチタイム中でもさっさと店を閉めてしまうこともあるとか…。

1998年にジンなど数社の共同出資で設立された、ケースメーカーのSUG。東ドイツ当時はカルチャーセンターだった建物で、毎週土曜日にここでパーティが開かれた。
アドルフ・ランゲの弟子で、娘婿でもあったユリウス・アスマンは、25歳の若さで独立工房を構えた。その場所は現在のグロスマン本社方面へ至る、曲がり角のあたり。

シュナイダー氏がよく立ち寄るという工作材料店。モリッツ・グロスマン社章のピンは、ここで素材を買ってきて作ったとのこと。
高台より望むグラスヒュッテ東側の遠景。手前は古い駅舎を改築したノモス本社。ドイツ国鉄の線路を挟んだ山あいには、新生モリッツ・グロスマンの近代的な本社社屋が見える。