ここ10年で大きく成熟した高級時計市場。牽引の担い手となったのは、2015年頃から始まったラグジュアリースポーツウォッチの一大ブームだった。質的な拡大を経て、いま目利きの時計愛好家たちは、ファッション性よりも未来に残る時計に関心をシフトさせている。ではどんな時計が未来の時計遺産たり得るのか? 著名なジャーナリストによる特別寄稿と、識者たちへの聞き取りで、過去と未来を繋ぐマスターピースの条件を浮き彫りにする。
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas), Masanori Yoshie, Yu Mitamura
Interview & Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan), Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]
時計の未来の作り手たち ウォッチデザイナー「エリック・ジルー」

現在、最も才能のある時計デザイナーのひとりがエリック・ジルーだ。1988年に建築事務所を設立。後にグラフィックデザインなどにも世界を広げる。1997年に時計デザインのスケッチを始めた彼は、1998年に自身の時計デザイン事務所を開設した。現在までに、37の時計ブランドを顧客に持つ。
傑作を語るならば、当然この人は欠かせないだろう。エリック・ジルー。ハリー・ウィンストンのオーパスや、MB&Fのオロロジカル・マシンなどを手掛けてきた、鬼才のウォッチデザイナーである。切削が普及し、時計に立体感が求められるようになった今、彼は最も「クール」なデザインの創り手として、さまざまな新作に関わってきた。デザインの第一線で活躍するジルーは、傑作をどう考えているのだろうか?
良いエネルギーが注がれると多くの人に好まれる時計となる
「正直に話しましょう。プロジェクトを始めるときに私たちは傑作を作ろうと考えますが、結果がどうなるかは分からないんですよ。私のデザインした時計が市場に出た後に『これは傑作だ、すばらしい』と言われることは面白いですね。でも私にとって最も重要なのは、テーブルを囲んで、3人のプロフェッショナルで仕事をすることなんです」
3人のプロとは一体どういうことか?
「3人の異なる専門家が必要なのです。例えば、MB&Fの時計をデザインするときは、オーナーのマックス・ブッサー、時計職人、そしてデザイナーの私ですね」
あえて3人とするのには、理由がありそうだ。
「テーブルの周りにいる人々の感覚で決められるんです。でも、プロジェクトにいろんな人がいるとまとまらなくなるんですよ。その結果、創造性が文字盤の色だけに限られてしまうブランドもある」

ジルーが言う、“自身の手掛けた最もクールな時計”のひとつ。2013年に発表された本作は、ふたつのチェーンで結ばれた6つの香箱を搭載。結果、なんと約1000時間ものロングパワーリザーブを誇る。「機能的には興味深い時計ですが、その一方で、デザインは非常に純粋です」。
それを避けるために、ジルーは開かれたマインドを持つことが重要だと語る。彼が再び例に挙げたのは。マックス・ブッサーである。
「昨晩はマックスとディナーでしたね。これはフレンドリーなもので、プロジェクトについて話し合い、その後、レストランの隅で時計職人を含めてやりとりしました。私たちは時計のプラットフォームや歴史ではなく、細かいディテールを話すのです。それは時計業界では例外的でしょうが、非常に重要なのです」
もともと建築家だったエリック・ジルー。しかし時計に魅せられた彼は、後に時計のデザイナーに転じた。両者に共通点はあるのだろうか?「建築では、まずアイデアがあり、それを実現するために多くのスケッチを描きます。そして作業の方向性やデザインのポイントを定めていく。時計も同様ですね。しかし建築物を作るときには、その中に住み、空間を構成するさまざまな要素を見ますし、時計を作るときには、外からディテールを見るわけです」。建築に同じく、時計のデザインでも光の反射が非常に重要だとジルーは語る。ベゼルのデザインを変えると、光の反射が異なるという。

「普段はクレイジーな時計は使わない」と語るジルー。好みのモデルはなんとクロノメーター・レゾナンスだった。「一方がエネルギーを必要とし、もう一方がエネルギーを与えます。家族や愛する人との関係に似ています。技術的には高度な一方、ロマンティックで哲学的な時計です」。
「風防も大切ですね。マックスと作業をするときは、サファイアクリスタル風防の設計に多く取り組んでいますね。そして時計のデザインを縦からカットした状態で行います。そして3Dデータを作成する」。エリック・ジルーというデザイナーは、いわば切削の申し子だ。彼が牽引してきた3D的な造形は、鍛造ではできなかっただろう。技術はデザインを変えたのか?
「それは問題ではないんですよ。建築家であれば、家を建てるときには、電気工事やその他の専門家と友達になる必要がある。私が時計デザインを始めたときは、ひとりで作業するのが好きだったのです。でも製造チームと一緒に時間をかけて作業はしましたね」
彼が語るのは、共有だという。
「プロジェクトを始めるとき、非常に重要なのは、情報を共有し、意見を交換することです。製造チームがデザイナーから3Dデータを受け取って作業を始めると、接触が失われることがある。一方、情報を共有すると、オープンマインドになりますね。キャリアを始めたときは、この点に理解がなかったけれど今は周りの人たちと楽しく作業しています」

ジルーが“自身の手掛けた最もクールな時計”として挙げたうちのひとつ。4つの突起内には時分表示、パワーリザーブ表示、温度計、リュウズが格納される。イメージは「周りに4つの部屋が配された中央の吹き抜けと透明で光を取り込むデザイン」だ。建築家の面目躍如といった時計。
傑作を作りたいが、どうなるかは分からないと率直に語るジルー。では、良いデザインに必要な要素は何なのか?
「ひとつ目は、人々との非常に良い関係を築くこと。例えばスポーツウォッチをイメージするとき、その対象となる年齢層は多様です。だから、長い時間をかけて、多くの言葉と作業を重ねることが重要になるのです」。彼は続ける。
「ふたつ目は話を深く掘り下げて、提案することです。そして、私にとって非常に重要なことは、プロジェクトを始めることですね」
そして彼が最後に強調したのは、仲間を信頼すると同時に、批判的であることだという。
「『この時計は本当にこの会社に合っていますか? これは青いダイアルにするのですか? 他者も使っていますよ』と確認することです。プロジェクトを進めるときは、何千もの質問が必要なんです」

ジャン-マルク・ヴィダレッシュとジルーによる共作。33個のバゲットカットダイヤモンドと3個のマンダリンガーネットをチェーン状につなぎ、回転させ、後者の位置によって時刻を読み取る。自動巻き。パワーリザーブ約72時間。18KWGケース(縦48×横56mm、厚さ20mm)。3気圧防水。参考商品。
こうした態度をクールと称するジルー。
「プロジェクトの会議で誰かが気に入らないと言ったとき、理由を理解しようとすることです。クールであるとは、非常に冷静でいること、そして、なぜその意見を持っているのかを共有し合うことです」。では、彼はクールなデザインをどう考えているのか?
「クールなデザインとは、ちょっと型破りで、枠を超えたものだと思っています。形やアプローチが新しく、他とは違う印象を与えるもの。クールは他とは違っているけれども、誰かを見下すものではないのです。だから、デザインがユニークなものは高価でなくても良いのです。そしてクールなデザインであるには、他とは違うアプローチを取ること」。数多くの傑作を作ってきた彼に3つ、自分の手掛けてきたクールな時計を挙げてもらった。
「(ハリー・ウィンストンの)『オーパス9』は、鎖にダイヤモンドをあしらい、マーケティングチームからも高評価を得たデザインです。この時計のケースは非常にユニークで、構造がとても興味深いのです。レベリオンは約1000時間のパワーリザーブを持つ時計で、デザインは非常に純粋でシンプルです。そしてMB&FのHM11は、建築に沿ったデザインを持っている」。どこかのブランドに「私はあなたと一緒に働きたい」と言ったことはない、デザイナーであることは宝くじを当てるようなものだと語るジルー。彼ほどの鬼才が驚くほど控えめなのは意外だが、ジルーのコメントは、傑作の条件を余すところなく語っている。
「心を開き、建設的な対話を持ち続けることで、プロジェクトが成功する可能性は高まるでしょう。良いエネルギーがプロジェクトに注がれると、最終的に良い時計が完成し、その時計が多くの人に好まれるのではないでしょうか」




