香港ウォッチ&クロックフェア2025に行ってきた! 現地で感じたアジア時計産業の「今」

FEATUREその他
2025.12.25

2025年9月2日〜6日までの5日間にわたって、香港で開催されていた「香港ウォッチ&クロックフェア2025」および「Salon de TIME(サロン・ド・タイム)をウォッチエキスパートの大江丈治が現地取材。本フェアから見えてくる、香港の時計マーケット、そしてアジア時計産業の現在地とは? 会場や展示品の撮り下ろし写真とともに、ひもといていく。

大江丈治:写真・文
Photographs & Text by George Oye
[2025年12月25日公開記事]


アジア最大級の時計見本市「香港ウォッチ&クロックフェア」とは?

 アジア最大級の時計見本市と言えば、香港貿易発展局(HKDTC)によって主催される「香港ウォッチ&クロックフェア」だ。この「香港ウォッチ&クロックフェア2025(Hong Kong Watch & Clock Fair 2025)」と併催の「Salon de TIME(サロン・ド・タイム)」が2025年9月2日〜6日までの5日間、香港コンベンション&エキシビションセンター(HKCEC)にて開催された。

「香港ウォッチ&クロックフェア2025(Hong Kong Watch & Clock Fair 2025)」と「Salon de TIME(サロン・ド・タイム)」の各ホールを案内するスタッフ。

 香港ウォッチ&クロックフェア(以下香港フェア)は今年で第44回を迎える歴史ある展示会だ。一方のSalon de TIMEが第13回目。前者が時計・クロックのパーツから完成品まで何でもありのブースがそろう、主にBtoBの見本市であることに対して、後者はいわゆる“高級ライン”を集めたものとなっており、一般入場者も多い。なお、それぞれの会場は別フロアになっている。この香港フェアはバーゼルワールド(旧バーゼル・フェア)が2020年に消滅してからは、アジアだけでなく、事実上世界最大級の時計見本市となった。

 直近だと、『クロノス日本版』編集部が2023年に当フェアの現地取材を行っているが、今回はスイスで開催されているジュネーブ・ウォッチ・デイズとほぼ日程が近いこともあってか編集部の来訪がないため、私が勝手に取材特派員として香港に来たのだった。

 私はバーゼル・フェアやウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブになる前のSIHHには足を運ぶチャンスがあったが、この香港フェアは初。前述の通り、今日のスイスでの時計フェアと異なり、ここにはエンドユーザー向けの完成品だけでなく、パーツやエボーシュムーブメント、時計製造のための工具やマシーンなどが展示されるため、時計産業の最新潮流を一望できる数少ない国際イベントだ。世界各国のブランド、バイヤー、技術者、そしてデザイン関係者らが一堂に会する訳で、訪問するにあたって、スイスに行った時と別のベクトルでワクワクしていた。

 この胸の高鳴りには、事前に2023年の編集部レポート(https://www.webchronos.net/features/107491/)を読み、まだ自分の知らない面白いブランドが存在していること、新型コロナウイルス前には2カ月に一度は香港を訪れ、現地の時計ブームを肌で感じていたこと、それにバーゼル・フェアでの香港を中心としたアジア館(何号館だったか?)の、湯が沸くほどの熱量の“魑魅魍魎(ちみもうりょう)”感が忘れられなかったことも加わっていた。


世界の時計産業を映す「アジアの鏡」で行われる見本市

 言わずもがな香港は、スイス、アジア各国、そして中国本土を結ぶ時計貿易の要衝として長年重要な位置を占めてきた。スイス時計においても、ここ数年の輸出先2位と3位は香港と中国本土で(ちなみに米国が不動のダントツトップ)、今年に入って日本が2位に浮上したことがニュースになったが、香港・中国のその重要性は変わらない。特に香港フェアは、そんな重要な地で開催されるフェアとあって、単なる展示会にとどまらず、時計産業の今と未来を読み解く“鏡”としての役割を果たしていると言っても良いだろう。

 主催のHKDTCによると 2025年の開催では、650社を超える出展ブランド・メーカーが世界15カ国以上から集まり、95カ国から訪れたバイヤーは1万6000人以上とのこと。来場せずとも商談ができる、HKDTC運営のオンライン・ビジネスマッチング「CLICK2MATCH」も併催され、期間中はハイブリッド形式による国際商談が活発に行われたという。リアルとオンラインの組み合わせはパンデミックに対する国際展示商談会の在り方の解のひとつだろう。なお、CLICK2MATCHの案内は来たものの、私はデジタルには疎いのでそちらはトライせず。

「CLICK2MATCH」のトップページ。URL:https://www.hktdc.com/event/exhibitionplus/en/shared-contents/c2m

 さて、そんな香港フェアの今年のテーマは「Our Time.Our Moments」とのこと。しかし会場内からは、正直そこまでのテーマ性は感じなかった。

 この要因は、新型コロナウイルスによるパンデミック前に比べると、来場者こそ1割減だったものの、出展数では2割も減っているためではないだろうか? 復帰してきた海外からの出展社もあったものの、まずはパンデミック後のリスタートといった感もあってか、今ひとつ盛り上がりにくいのかも、と考察する。

 パンデミックでいったん全てが滞っていたことを、私はすっかり忘れていた。こういうイベントはひたすら拡大基調でお祭り騒ぎと思い込んでいたから、過大に期待しすぎていたのだ。だから会場入りした第一印象がネガティブに振れたのは正直なところだ。


「Salon de TIME」──大陸系独立ブランドが到達したデザインと技術力

 香港コンベンション&エキシビションセンターは巨大で、会場も平場一面ではない。上層階でSalon de TIME、グラウンドフロアでウォッチ&クロックフェアが開催されるという構成で、私は来訪初日、Salon de TIMEからスタートした。

Salon de TIMEの入り口。初日とはいえ、ちょっと人影が少ない。

「Salon de TIME(サロン・ド・タイム)」は香港フェアの目玉のひとつで、言ってみれば高級時計セクションである。香港、シンガポール、日本などから独立系ブランドが集うほか、スイスやフランスの老舗ブランドも出展している。

 当サロンには5つのテーマゾーンが用意された。スイス高級ブランドが中心な「World Brand Piazza」、ファッショントレンドを意識した「Chic & Trendy」、職人技により工芸的に作られた時計が集う「Craft Treasure」、クラシックな時計を展示した「Renaissance Moment」、スマートウォッチなどを紹介する「Wearable Tech」といった具合だ。

PRINCE太子の「在庫セール」コーナー

 出展ブランドの絶対数が決して多くないので、テーマの区分けが若干曖昧ではあったが、驚いたのは「World Brand Piazza」が香港内で15店舗を持つ、時計宝飾の大手正規リテーラーである「PRINCE太子」、すなわちPrince Jewellery & Watch Company Limitedの出展であったことだ。我々になじみのブランドや、今は見かけなくなったスイスブランドも展示しており、「さすが香港の正規店の在庫は厚いな」と感心しつつ、本来ならブランド自身が箱を出してほしいところだ。なぜならここで一番賑わっていたのはPRINCE太子の「在庫セール」コーナーだったのだから。

表記以外のブランドもセールに。

 私もこの在庫セールコーナーをちょっとだけ並んでのぞいた。日本だとあまり展開されていないブランドが、かなりのディスカウント率だったこともあり、思わず試着。しかし、為替を計算したところで我に返った。日本円があまりにも弱いんですよ……。

興味深い展示品の数々

展示されていたケルベダンズの巨大センタートゥールビヨン「マキシマス」。

 他にもいくつかのスイスブランドや、フランスブランドなどが独自に出展していたが、目新しさは少ない。そんな中で最も目を引いたのは、中国ブランドのメカニカルウォッチの数々だった。

来場客で賑わう中国ブランドのブース。

 日本でも、中国ブランドウォッチをインターネットを介して購入している“エンスー(編集部注:エンスージアスト。熱狂的な愛好家)”がいる。私の友人もそのクチのひとりで、今回会場で発見して好みだった時計をリアルタイムでSNSにアップしたら、そのブランドの先代モデルをすでに購入しており、ちょうど使い始めたところだった。ちなみにその友人は、今は日本でも正規販売が開始されたファーラン・マリのローンチにあたっての受注に声掛けしてくれて、私が同社の「メカクオーツクロノ」を手にするきっかけとなった。自分はチキンなので現物を見ないで時計は買えない。それは値段の問題ではない。勝ち負けではないが、相当なチャレンジャーである彼に、なんだか敗北感を覚えた。

 その、私の好みの時計がどのようなモデルであったかを記すと、316L ステンレススティール製で、俗に言う“ラグスポ”仕様で、本作のほか、チタン製ケースとブレスレットのモデルも新作として加わっている。文字盤はギヨシェパターンやハンマートーンのエンボスで美しく装飾されていて、カラーバリエーションも用意されている。ビッグデイト付きで全体的なスタイルもなかなか魅力的なのだが、なんと「アワーストライキング」機能が搭載されていることが、目玉なのだ。比較するものではないが、アワーストライキングではショパールの「L.U.C ストライク ワン」が有名だが、今やおいそれとは手を出せない価格であることに対し、このLUCKEY HARVEYというブランドのモデルであれば、卸価格が1499米ドルと、思わず手を出したくなる。友人がチャレンジしたのも納得だ。

筆者が気になった、LUCKEY HARVEYのアワーストライキング搭載モデル。このブランド、ほかにもなかなか良いディテールのモデルがディスプレイされていたが、コンスタンチン・チャイキンやジェイコブ、クリスティアン・ヴァン・デル・クラーウからのインスパイアが強すぎで、折角の技術を台無しにしているとも感じた。

 スイス時計では「メティエダール」と呼ばれるような装飾技法においても、大陸系ブランドの目立った進化を感じた。さまざまなブランドが意匠を凝らしていたが、個人的に最も好感を持ったものがエナメルだ。

中国本土のブランドのモデル。エナメルの仕上げは悪くない。

 日本では七宝とひとくくりにされてしまうが、中国では伝統的なエナメル工芸は景泰藍(けいたいらん)として知られる。その名前は明時代の景泰年間(1450年~1456年)に発展したことに由来するほど、歴史が古い。最高級品は台湾の故宮博物院の収蔵品でも有名だから、きっと目にした読者も多いだろう。そう、実は中国は伝統的に、エナメル技法には長けているのだ。

 新型コロナウイルス前までは、正直言ってデザイン面はもちろん、技術的にも未熟だった感は否めなかったが、今回会場で見たモデルのエナメルは、いずれも決して侮れないレベルにまで進化していた。エネメル職人の筆先を、売れない工芸品から、時計向けに変えたということなのだろう。

 彼らの作り方次第では1940〜1950年代のパテック フィリップなどのエナメルに、かなり近づけるのではないか? 特にグラデーションはスイス製より、私の好みに仕上がっているのだ。

金無垢ケースにこのエナメルダイアルは良い。

 私がエナメルに強い思い入れがあるのは、もちろん好きなこともあるが、アンティークウォッチの販売店であるシェルマンが限定モデルとして打ち出し、多くの時計愛好家から注目を集めた「ワールドタイム・ミニッツリピーター・クロワゾネダイヤル」のプロデュース、製作に関わった経験からである。

 前述したLUCKEY HARVEYが商品説明にしっかりと「316L ステンレススティール」と記載していたように、中国本土のブランドであっても、素材を明記したうえでの展示・販売は当たり前になった。ちょっと前までロレックスやNH Watchなどにのみ見られていたSUS904も散見される。新素材も加わり、その選択肢は多様になっているようだ。

気になるモデルが続々

 会場に入って真っ先に目に留まったクロヌスアート「スケルトン・オートマチック・クロノグラフ」は、プリントされた“OYSTER PERPETUAL”表記が残念だったものの、クリスタルガラスケース(サファイアクリスタルにあらず)を備えており、とても洗練されていた。

ケースのみならず、ダイアルもトランスパレントとなっているため、自動巻きクロノグラフムーブメントを観賞できる1本。ラバーの品質も良かった。

 このデザイン・品質で卸価格が日本円換算で約16万円なのだから、スイス製の時計に慣れた私には、価格破壊に見える。とはいえ、よほど先進的な素材は別として、クリスタルガラスやサファイアクリスタル製ケースくらいなら、各時計メーカーにとって、すでに最大の供給元は中国のサプライヤーなので、アジアでこの素材を使った時計を組み立てることは地産地消と呼べるぐらい、実は優位なのだ。ちなみこのブランドでは、クリスタルガラス製ケースだけでなく、サファイアクリスタル製ケースのモデルもリリースしていた。

 まだ大陸のブランドは、リシャール・ミルやウブロのように素材でマーケティングする手法は採っていないようで、「スイスでどうやら人気らしいですぜ!」ってのを聞きつけてから「じゃあ自分達もラインナップしておく!?」みたいな、そんな印象を持つ。実際はどうなんだろうか。

 Salon de TIMEの展示品のうち、最も私がハマったのが、中国の独立時計師たちのコーナーだった。うち何人かは独立時計師アカデミー(AHCI)のメンバーでもあるが、かつて中国・上海在住の同メンバーのアトリエを訪問した時、彼が実は某スイス高級ブランドの重要パーツなども手掛けていたことを知り、そのクォリティに驚いた。彼らについては、今後も間違いなく要チェックなのだ。

本フェアに出展した、中国の独立時計師の一覧。

展示された時計の数々に、いかにも中国風な意匠は、もはや見受けられない。

 どの時計師の作品も素晴らしいクリエーションだったが、その中でも二度見したのがスイスAHCIのメンバーである、ベテランの馬旭曙(Xushu Ma)と若手の楊世名が共作した、手巻きカレンダー・ムーンフェイズだった。まだまだ荒削りなのだが、どうにも目に焼き付いてしまって、気がつくと会期中3日間は必ずこの時計を触り、手首に栄養補給をしていた。

馬旭曙と楊世名の協業によって制作された手巻きカレンダー・ムーンフェイズモデル。ひとめぼれ!

 このモデルの魅力は、まずケース径が35mmと小型で、私にはこの上ないサイズ感であることだ。もちろん厚みとのバランスも良い。顔がヴィンテージピースの大御所を彷彿とさせるが、それぞれのディテールも仕上げも好みだし、ブランドロゴがないホワイトマットのダイアルも、写真ではちょっと間延び気味に映るが、実機ではムーンとカレンダーに目線が向くし、小径ゆえにそんなことは気にならない。ムーブメントは3/4プレートで手巻き、毎秒6振動のフリースプラングテンプ。テンワも大きく、パワフルなムーブメントであることがうかがい知れる。

ケースバックからはムーブメントを観賞することができる。プロトタイプであるがゆえに、まだ仕上げは荒い。

 この個体の魅力にガツンとやられ、楊世名氏には私の惚れ具合をカタコトの英語で押し付けたが、本当に若手の彼には将来大いに期待して良さそうだ。仮に、本作に月と曜日がウインドウ表示のパーペチュアルカレンダーをつくることができれば、きっとそれは私にとって“終の時計”になるかも知しれない。


スマートウォッチとクラフツマンシップの共存

 Salon de TIMEは高級品の展示が中心なので、工芸的な仕上げや、新素材などのプレゼンテーションが目立った。一方で香港、大陸の時計メーカーはOEM・ODMの分野で世界的に強く、ベーシックなものからコンプリケーション向けのエボーシュムーブメントまでを、積極的に展示のうえ、営業していた。クォーツ・メカニカルともに、びっくりする程その種類は豊富だ。

『クロノス日本版』編集部でも以前レポートしていたが、たとえば中国本土発のブランドでは高級ブランドとしてすでに知られている「PEACOCK」は、本フェアでダブルトールビヨンはもとより、センター、そして3次元、3軸トゥールビヨンまで稼働させていた。

PEACOCKのダブルトゥールビヨンの巨大ムーブメント。展示中、稼働していた。

 私は、確か2003年頃だったか、「中国製トールビヨンが4万円程度で売っているらしいぞ」という話を聞いて、「これは!」と思い、すぐ北京に飛んだ。早々に見つけたモデルは4万円ではなく、当時のレートで2万円を切っていた。予算4万円だったところの半額だから、普通なら間髪入れずに手に入れるのだろうが、結局はスルーした。2万円すらその時計に払うのが惜しいと直感したのだ。確かにトゥールビヨンウォッチではあったけれど、美しさのかけらも感じる事ができず、それなら免税店で買える海外向け「セイコー5」の方が、何倍も魅力的に思えた。

 その後、中国製トゥールビヨンを半ば揶揄して“チャイナビヨン”なんて呼んでいたが、このPEACOCKのそれは、仕上げも含めて、什器越しで見る限りはスイス製に遜色がないように見えた。中国製ムーブメントに色気を感じるようになったのだ。

PEACOCKの3軸トゥールビヨン。コンパクトに仕上がっている。

 そんな弩級モデルのお隣のブースに並んでいても、私はほぼスルーしていたのがスマートウォッチだった。どうにも私には興味がまったく湧かないために、写真にすら撮っていなかったようだ。

 スマートウォッチといえばApple Watch一択の日本と違い、香港フェアでは多種多様なモデルが展示されていた。もちろん見たことも聞いたこともないブランドがほとんどだが、同じブースにこれまた知らないトゥールビヨンウォッチが並んでいたりするから、面白いものだ。

 スイス時計に目を向けると、ウブロやタグ・ホイヤーがコネクテッドウォッチを出していた記憶があるが、その後大きな話題としては自分の耳に入ってこない。スマートウォッチはアナログ式がメインの高級時計のユーザー層とはマーケットが異なるためかと思ったものの、ここ香港の会場で見る限りでは、しっかりと共存共栄していた。スイス陣営は次のアップストリームに向けて静かにアップデートしながら、“その時”を待っているのか。

 自分のスマートウォッチに対するアレルギーを早く消し去らないと、コリャさらに取り残されるかも。


無名サプライヤーが支えるアジアの時計産業

 香港フェアのメインホールに移動した。Salon de TIMEと比べると、雑多な感じ。どこかで見たことがある完成品ブランドはここにはないが、一方で時計製造に関わる全てがあるからだろう。私は普段、サプライヤーの実態を知らないので、それらの小さなブースをのぞくことはとても面白い。

 そんな中でもかなり大きなブースを構えていたのが、日本のMIYOTAだった。現在ではクォーツのみならず、機械式ムーブメントもさまざまなブランドに供給しており、十分に“世界のミヨタ”だから、この規模は当然だ。外観からは見えなかったものの、きっと多くの商談があったことだろう。

 また、中小のムーブメントサプライヤーもあり、中でもクロック専門もあるところが“&クロック”フェアたるところ。

なんだか懐かしいクロックたちが並ぶブース。

 ダイアルメーカーやケースメーカー、そして工具にストラップとあらゆるサプライヤーが出展していたが、私にとって目新しかったのが、時計へのセッティング用ジュエリーを供給するサプライヤーが多く出ていた点である。

グラデーションも自在。

 名刺交換したインドのサプライヤーのトップとしばらく話したが、最近はシンセティック(合成宝石)の価格低下と品質向上が相まって、クライアントの要求に応えやすくなり、前述したように、いっそう工芸的に展開するアジア企業からの受注が大幅に増加したという。石は合成もナチュラルも顧客の要望で選べるが、工作機器が想像以上に進化していて、これらの石はオートメーションでセッティングされると言う。

インドのサプライヤーによると、ダイヤモンドは合成が主流になりつつあるという。

 私はかつてショパールに在籍していた。その時にスイス・ジュネーブの工房でジュエリー部門のジュエラー達が、双眼実体顕微鏡を用いて時計にジュエリーのセッティング作業をしていたことを見ている。機械によるオートメーションセッティングは、石が一定サイズであればスピード重視の大量生産レベルまで早く、また、複雑な部分でも、大概は出来ると聞いて、この分野の進化の凄まじさにも驚かされた。自動化された石留めのクォリティが、スイスの伝統的なセッティングレベルにどの程度まで迫っているのか、ちょっと調べてみたくなった。

 ジュエリーセッティングと同様に目を引いたのが、散々見ていたエナメル装飾だ。ある小さなブースには、パテック フィリップのオリジナルを見たことない人が、ブランドロゴさえ見なければ「これがあのドームクロックか! でもなんでここに??」と思ってしまうかも。
一呼吸して冷静なると、繊細さや色調も粗さがあって本家と数段格落ちすることが分かるが、でも十分鑑賞に値するし、こんな大作まで手掛けることができるなんて驚いた。日本だって並河靖之が先達だし、140年以上存続している安藤七宝店だってあるのだから、ウォッチやクロックにも積極的にトライしてほしいものだ。

迫力のあるエナメル装飾が施されたドームクロック。

 今までスイスメイドの時計が一番で(もちろん日本は別格)、北京の安価なトゥールビヨンの経験からか、アジア製はまだまだだよな、と偏見を持っていた。しかし、大陸サプライヤーのいくつかのサンプルは、明らかにスイス有名ブランド向けそのものだったし、エナメルを筆頭にハンドクラフトの分野も洗練されている。

アジア勢のサプライヤーのクラフツマンシップを感じられる展示品。実際は写真よりも華やかだ。

 これらの現実を見てみると、アジア勢のサプライチェーンは世界中に巡っていて、すでに安いパーツの供給元ではないということが分かる。


アジアは世界の時計産業の新たなエネルギー供給源

 今回取材した香港ウォッチ&クロックフェアが開催された香港の時計マーケットは、驚くほど冷え込んでいた。

 日本ではなかなかお目にかかれないコンプリケーションやジュエリーウォッチ、ハイジュエリーが香港中のウォッチ&ジュエリーショップのウィンドウディスプレイに当たり前に並んでいた。「さすが香港はすごいなぁ」と思っていたのはパンデミック前。今では時計はおろか、華やかなジュエリーすら並んでおらず、そのディスプレイスペースは全て純金ジュエリーにとって代わられた。

ジュエリーのみならず、置き物も純金製が並ぶ。なお、純金ジュエリーは量り売りだ。

 香港フェアの出展者数は回復していないし、香港の時計マーケットに以前の活気はなく、寂しいことになっていた。現地のウォッチリテールビジネスの重鎮ふたりに、香港の時計マーケットの現状を尋ねると、ふたりとも「Finished !」と、同じ言葉を即答したのがその深刻さを裏付けてしまっている。

 一方でSalon de TIMEに強力な自信を持って出展している中国ブランドを見ていると、サプライヤー達との総合力を発揮して、日本やスイス時計を脅かす存在となることは、案外近い将来だろう。もっとも、パクリやリスペクトなどと表現されるデザイン面や意匠のコントロールについては甘いというか、そちらにベクトルがあまり向いていないと感じる。このあたりをNAOYA HIDA & CO.を手掛ける飛田直哉氏やMB&Fのマックス・ブッサー氏、あるいは独立時計師であり、クロノトウキョウやタカノを展開する浅岡肇氏のような、優秀なコンダクターが指揮しはじめたら、一気にジャンプするだろう。

 老若男女がマウントやブランドヒエラルキー関係なしに好きな時計を、好きに普段使いしている香港の様子は、ウォッチラバーからすれば聖地だったから、ショックだった。日本のマーケットはそれほどネガティブではないものの、ショップが売上をインバウンドに頼るのは危険だし、香港の現状は他山の石ではない。

香港フェアに出展されていた、ムーブメントメーカーのエボーシュ。地板やブリッジに装飾が施されており、アジア勢が決して安価なエボーシュのみを供給するのではないことを示唆している。

 しかしながら、大陸を中心とした新たな潮流は、時計マーケットの新たなエネルギー供給源となりうるし、この流れは新しい時計ファンも取り込むことだろう。

 今、日本のマイクロブランドが世界的に注目されて、そして高い評価を得ている。そんな先人の成功を見て、自分にも時計作りのチャンスがあるのでは考える諸氏も多いのではなかろうか。そんな野望を持った強者は、ぜひこのフェアに足を運んで欲しい。サプライヤーを見つけるもよし、コラボレーションの相手を探すもよし、そして何よりアジアの時計マーケットを見てほしい。

 お祭り騒ぎではなかったけれど、なんとなくホッとするアジアのエネルギー感を感じ取ってもらえたら思う。


時計経済観測所/2025年の高級時計需要は「米国頼み」?

FEATURES

時計経済観測所/参院選与党敗北で円安加速? トランプ関税もあり消費減退か

FEATURES

既成の枠にとらわれない自由さが魅力。時計界で注目を集めるマイクロブランド

FEATURES