目に見えない香りという存在だからこそ、人に愛されるフレグランスの背景には物語がある。どんな記憶が着想源となったのか、どんなシーンでまとわれたのか……。物語に思いを馳せながら楽しめば、香りはあなたを“あなたが主人公の小説”へと導いてくれる。そんな香りを敏腕編集者であり、エッセイストでもある麻生綾氏が指南する。
Text by Aya Aso
村山千太:写真
Photograph by Senta Murayama
[クロノス日本版 2025年11月号掲載記事]
物語のある香り

長年、化粧品に関わる仕事をしてきての実感というか肌感覚なのだが、人気が出る、あるいは長く愛される製品には、必ず「愛」と「哲学」と「ストーリー」が宿っている。端的に言えば、愛は作り手の熱意。哲学はその製品が今ここに存在する理由。ストーリーは、背景に人の心を動かすエピソードがあるか否か。
フレグランスも同じである。むしろ、香りという目に見えない存在だからこそ、とりわけ「ストーリー」との相性は抜群。どんな場面で生まれたのか? どんなシーンでまとうのか? 視覚に頼らないぶん、個々人が頭の中で描ける絵は自由だ。
中でも、そのストーリー性が際立つ製品がある。代表的なのは、メゾン マルジェラ「レプリカ」シリーズ。たとえば人気作「レイジーサンデー モーニング」には、午前の陽光を浴びながらベッドで微睡む女性の写真が添えられ、それが香りと見事にリンクして受け手の想像力をかき立てる。また、ペンハリガンの「ポートレート」シリーズのように「物語ありき」で展開し、毎年のように新しい香り(登場人物)が追加される、連載小説のようなフレグランスもある。
そんな物語性の強いフレグランスの中から、今回ご紹介したいのがメゾン クリヴェリの新作「キュイール インフラルージュ エキストレ ド パルファム」だ。真っ赤なラズベリーの甘酸っぱさと、しなやかで奥行きのあるレザーのコンビネーション──意外性に満ち、だからこそどうにも癖になる1本である。
インスピレーション源はブランド創業者、ティボー・クリヴェリ氏の「エレクトロニック ミュージック フェスでラズベリーカクテルを飲んだ」という記憶。飛び交うレーザー光線と蛍光色のネオンライト、地下室特有の猥雑な空気感、狂おしく甘美で上質な混沌の夜──。本当だ! 確かにそんな香りがする! このように、クリヴェリ氏の作品は全て自身の体験から生まれており、例えば「宝石市場でハイビスカスティーを飲んだ」「北欧の夜空でオーロラを眺めながら冷たいアブサンを味わった」などなど。そこには西洋人でありながら、幼少期から中国をはじめ多くの国で暮らしてきた彼ならではの、異文化が幾重にも折り重なった特別な感性が息づいている。
しばし目を瞑り、クリヴェリ氏の記憶に思いを馳せながら、あたかも答え合わせをするかのように香りを楽しんでほしい。物語のある香りは、それをまとうあなたの装いを、あなたが主人公の小説へと誘い、昇華させるはずだ。



