ユリス・ナルダンは、19世紀のマリンクロノメーターで高精度の名門として名を馳せながら、伝統に安住せず革新へ踏み出す独自の気質を育んできた。1980年代の再興期を経て、その精神はさらに鮮明となり、技術と職人技の革新が積み重なっていく。2001年に登場した「フリーク」は、長い系譜が到達した転換点であり、時計が「時間をどう語るか?」という問いに新たな道筋を描き出した。
Photographs by Eiichi Okuyama, Takafumi Okuda
大野高広:文
Text by Takahiro Ohno (Office Peropaw)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2026年1月号掲載記事]
ユリス・ナルダンの歴史に根差した「フリーク」の革新
時計師のユリス・ナルダンがスイスのル・ロックルで1846年に開設した工房は、当初より複雑機構やマリンクロノメーターで名声を博し、精度という揺るぎない基盤を築いた。だが、同社の歴史を特徴付けるのは、伝統をただ守るのではなく“未来へ創り替える”という強い意志だ。1980年代、クォーツ革命後の経営再生を指揮した故ロルフ・シュニーダーはこの精神を鮮明にし、職人技と革新機構を両立させる方向へメゾンを導いた。

革新の対象は機構にとどまらない。シュニーダー期に進められたメティエダール−− 熟練職人の手作業による伝統工芸の再評価は、海や帆船を描いたエナメルダイアルの復興として実を結んだ。失われつつあった高度な技巧を現代へつなぎ直し、エナメルの表現価値を改めて提示した点は、今日の高級時計ブランドに見られるエナメル復興の流れにも間接的に寄与している。一方でユリス・ナルダンは、複雑機構の分野でも独自の革新を進め、機械式復活の起爆剤とも称される一連の高度で独創的な“天文三部作”を発表した。その積み重ねの先に、2001年の「フリーク」が誕生している。

針も文字盤もリュウズも持たず、ムーブメント自体が1時間で1周して時刻を示す−− この大胆な構造を量産レベルで成立させたことで、ユリス・ナルダンは時計史にまったく新しいページを開いた。外観の前衛性ばかりが語られがちだが、この時計の革新性は内部の機構にも宿っている。とりわけ初代フリークに搭載されたデュアル・ダイレクト脱進機は、シリコン製のふたつのガンギ車がテンプへ直接インパルスを与える構造で、摩擦を大幅に抑えた効率的な振動維持を可能にした。二輪構成の思想は、ロレックス「ダイナパルス」やグランドセイコー9SA5の「デュアルインパルス」が属する最近のナチュラルエスケープメント系に通じるものであり、その源流のひとつが01年のフリークにあるという事実は、技術史上極めて重要である。フライングカルーセルという表示理念と新機軸の脱進機を同時に成立させた点こそ、フリークを“単なる前衛”ではなく“革新そのもの”として位置付ける核心だ。

フリークの系譜はその後、シリコン技術の進化でさらに広がりを見せた。05年には、初代のデュアル・ダイレクト脱進機を“間接インパルス式”のデュアル・ユリス脱進機へ刷新し、振動数は2万1600振動/時から2万8800振動/時へと高められた。10年代には3次元構造のテンワを備えたアンカー・エスケープメントを実用化。素材特性と機構設計の融合を進めることで、“構造が語る時間”という新たな価値観をより多面的に展開していった。

こうしてみると、フリークは突発的な前衛ではなく、創業期から受け継がれる精度の伝統とシュニーダー期以降の革新精神が交わる地点に必然的に生まれた存在であることが分かる。海軍時計に由来する規律ある精度、職人技の再興、シリコン技術の先駆−− これらが1本の線へと収束した結果として、01年にフリークは誕生したのである。
20年以上を経た今日も、この系譜は「時間とは何か」という問いに答え続けている。その歩みは、ユリス・ナルダンが受け継いできたメティエダールと、未来へ向けた革新の意志をひとつの流れへと結び合わせ、メゾンの歴史に今も深い呼吸をもたらしている。






