時計経済観測所/高級時計市場に「異変」。スイス時計輸出の減少続く

2026.01.22

不安定な世界経済が、高級時計市場にも大きな影響を及ぼしている。スイス時計の輸出額は減少を続け、とりわけ輸出先としてトップであった米国の輸出額の激減は、市場を一変させている。ドナルド・トランプ米大統領がスイスに課した高関税率は緩和されたものの、中国経済の鈍化への懸念もあり、先行き不安は拭えない。そんな高級時計市場の現在と展望を、気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析する。

磯山友幸

磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
【磯山友幸 公式ウェブサイト】http://www.isoyamatomoyuki.com/
磯山友幸:取材・文
Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト
Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2026年1月号掲載記事]


高級時計市場に「異変」。スイス時計輸出の減少続く

 変動期の世界経済、見通し依然暗く── IMF(国際通貨基金)が発表した2025年10月の世界経済見通しは、4月時点よりもやや上方修正されたものの、世界の経済成長は低迷が続くと予測されている。ドナルド・トランプ米大統領による米国の輸入関税の大幅な引き上げなどが大きく影を落としているほか、米国との経済対立による中国経済の鈍化なども懸念される。そんな中、景気の先行きを占う指標とも言える高級時計の市場で異変が起きている。

 スイス時計協会FHが発表したスイス時計の輸出統計によると、8月は16億3980万スイスフラン(約3197億円)と前年同月比16.5%減少。9月も19億9340万スイスフラン(約3886億円)と同3.1%減少した。8月は首位の米国が23.9%減、2位の香港が12.5%減、3位の中国が35.6%減と、輸出先上位は軒並み大きく減らした。4位は英国、5位は日本で、日本向けの減少率は22.5%だった。

トランプ関税の影響を大きく受けた9月

「異変」は9月。米国向けが前年同月比55.6%減と激減したのだ。トランプ関税で、スイスからの輸入品に39%という高率の関税が課されたことで一気に輸出が減ったとみられる。その後、米国とスイスの間で交渉が進められ、11月14日にはスイスが5年間で2000億ドル(約30兆円)を対米投資するという条件で、関税率を15%まで引き下げることで合意したが、新税率が適用されるまでの間はスイス時計の米国向け輸出は大幅な減少が続く見込み。

 この結果、9月のスイス時計の輸出先順位は様変わりした。

 トップには1億7330万スイスフランで英国が登場、次いで日本が1億5800万スイスフランで2位、米国は1億5770万スイスフランで3位に転落した。首位を続けてきた米国向けが3位になるのは極めて異例だ。さらに、香港が4位、中国本土は5位になった。中国の消費はやや持ち直しが見られるものの、高級時計の消費増には至っていない。中国向けの1-9月の累計は前年比16.3%減、2年前の水準に比べると3分の2になっている。

日本の高級時計市場にも暗雲が

 1-9月の累計では米国がトップで、2位が日本である。その日本にもここへきて暗雲が漂っている。

 高市早苗首相の誕生で、早速、中国との政治的な摩擦が表面化。高市首相の台湾を巡る発言に対抗するかたちで、中国政府が中国人の日本渡航を自粛するよう求める通達を出した。

 日本政府観光局(JNTO)の推計によると、9月の訪日外客数は326万人と9月としては過去最多を更新、1月からの累計では3000万人を突破した。中でも中国からの訪日客(1-9月累計)が748万人と前年比42.7%も増え、過去最多を更新し続けている。

 高級時計の消費が訪日観光客のインバウンド消費に支えられているのは明らかだ。中でも中国からの観光客が買い物に落とすお金は他の国々に比べて圧倒的に大きい。

 観光庁の7-9月の調査推計では、買い物代に使われたとみられる5427億円のうち中国人による買い物代が1941億円を占めている。ひとり当たりの旅行支出の買い物代は平均が5万4631円に対して、中国人の買い物代は7万5237円と国籍別ではトップになっている。

中国の富裕層による“資産保全”

 高級時計を購入する背景には、単なる消費ではなく、資産保全の意味合いもあるとみられる。習近平政権以降、政府による富裕層などへの締め付けが厳しくなっており、海外への資産逃避が起きているとの見方もある。日本で、湾岸エリアの高層マンションや、東京・銀座のビルなどを中国人の資産家が次々と購入しているのも、円安で日本の不動産が安いというだけでなく、政府に接収されることのない安全な場所に資産を保有しておこうという狙いがあるとされる。国が訪日を制限しようとしている背景には、こうした資産逃避を食い止めたいという狙いもあるとの見方もある。高市発言はあくまで理由づけというわけだ。

 だとすると、政府が自粛を呼びかけても中国マネーの日本流入はそう簡単には止まらない。日本で売れる高級時計も、ますます高額化していくことになるのかもしれない。


時計経済観測所/参院選与党敗北で円安加速? トランプ関税もあり消費減退か

FEATURES

時計経済観測所/トランプ関税導入前の駆け込み輸入が急増

FEATURES

時計経済観測所/トランプ関税で世界消費の不透明感が強まる

FEATURES