2025年末には入院していたという報道もあったジャーナリストの田原総一朗は、現在 91歳。著書『90歳まで働く』を達成どころかさらに更新し、日々を生きる姿は公式YouTubeチャンネルでも垣間見ることができる。そんな彼が、相棒として選んでいたのは、世界に誇る高精度を実現したグランドセイコーのクォーツモデルだった。

Text by Yukaco Numamoto
土田貴史:編集
Edited by Takashi Tsuchida
[2026年1月22日掲載記事]
自身のYouTubeチャンネル「田原総一朗チャンネル」が好調
2023年1月の初投稿以来、いまやチャンネル登録者数は2.78万人。すでに198本の動画投稿を重ねるなど、91歳とは思えない精力的な活動を見せている田原総一朗。2025年末には入院していたという報道もあったが、検査の結果どこにも異常がなく、夏バテではないかという報告もチャンネルの中で行われていた。退院後も自分で朝食を準備する様子を紹介し、ファンからは温かいコメントが寄せられている。
田原総一朗の朝食は「伝説の朝食」と呼ばれている。ポーチドエッグ、バターを厚塗りした食パン、あんぱん、レタス、牛乳、リンゴジュース、紅茶(または冷たいお茶)——これらを30年以上ほぼ同じメニューで、自身で用意するのが特徴だ。この取り合わせは亡き妻から教わったもので、包丁を使わないシンプルなメニューでありながら、糖質・タンパク質・ビタミンCなどをバランスよく取り入れることができる。
仕事のために「元気に食べたい」というシンプルな考えに基づいて作られており、厚塗りのバターは妻からの遺言として今も忠実に守り続けている。
「朝まで生テレビ!」をけん引した名司会者
1987年に放送開始された討論番組「朝まで生テレビ!」は、毎回社会的に賛否の分かれるひとつのテーマを設定し、そのテーマに関係する当事者や評論家を集めて激論を繰り広げる番組だ。タブーに挑む側面があり、これまで取り上げられた主なテーマは政治、天皇、皇室、宗教、女性差別、朝鮮問題、原子力発電、少子高齢化、テレビ、メディア規制……と多岐にわたる。
番組開始当初、このような討論番組は日本には合わないのではないかと思われていた。しかし取り扱う内容の大胆さ、パネリストたちの白熱した激論、そして司会を務めた田原総一朗の時に強引とも思われる采配っぷりが、視聴者を惹きつけた。
出演した論客は回数の多い順に、舛添要一、三浦瑠麗、大島渚、高野孟、森本敏、辻元清美といった面々。彼らの議論を一刀両断する姿勢が痛快だと評判が広まり、“ジャーナリスト田原総一朗”の名を不動のものにした。
この番組には本人も特別な思い入れがあり、自身のライフワークとなっているとインタビューで語っている。80歳を過ぎた頃からは「朝生の番組中に死ぬ」という願望まで抱いているというから、その情熱には驚かされる。
波乱万丈な仕事人生
第二次世界大戦後、それまで教えられてきた価値観が180度ひっくり返った。その時、田原総一朗は「世の中に絶対なんてない、偉い人の言うことは信用できない」と感じたという。その経験が、自身で調べ、得た情報、感じ取ったことを言語化していくジャーナリズムに興味を持つきっかけとなったのかもしれない。
高校卒業後は作家を志していたが、同世代の石原慎太郎や大江健三郎の作品を読み、自分には敵わないと悟って作家を断念。ジャーナリスト志望に転向した。岩波映画製作所へ入社後、カメラマン助手を経て、1964年にテレビ東京の開局と共に入社。ディレクターとして番組を手掛けたものは、いずれも過激な内容のものが多く、時代の先を行く姿勢を貫いた。
1977年にフリーランスとなり、本格的にジャーナリストへの道を進む。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年から「サンデープロジェクト」(2010年終了)などの討論コーナーの司会・出演を務めた。2010年から2025年まで続いた「激論!クロスファイア」は自身の失言により終了に追い込まれたが、事態に真摯に向き合い、謝罪と釈明を行っている。そしてYouTubeチャンネルにおいては、日常の様子や対談をライブ配信するなど、90歳を超えてなお積極的に活動を続けている。
愛用するのは高精度を誇るグランドセイコー「SBGS003」
そんな田原総一朗がグランドセイコーを着用している姿が、公式Xの投稿で確認できた。2019年11月4日、高知で開催された「カーニバル00 in 高知」のクロージングシンポジウム「高知から始めよう~仕組みは在る、そのココロは?~」登壇後に投稿された画像だ。
高知で開催された「カーニバル00 in 高知」クロージングシンポジウム登壇後の1枚。奥田瑛二さん、安藤桃子さんと。pic.twitter.com/fN7w9n8qV7
— 田原総一朗 (@namatahara) November 4, 2019
着用している時計はグランドセイコーの「SBGS003」だと思われる。年差±10秒の高精度クォーツキャリバーを搭載したモデルで、1988年にグランドセイコーのクォーツ生産を再開させた当時のものだ。GSロゴが入った上品な佇まいが印象的なクラシカルかつ知的な一本である。
セイコーのクォーツの歴史をさかのぼると、1969年に発売された「クオーツ アストロン35SQ」が世界初の量産型クォーツ式腕時計ということになる。機械式時計よりも高精度で、やがて手の届きやすい価格で販売されたことにより、クォーツ式の腕時計が一気に普及した。その一方で、機械式腕時計をメインに製造していたグランドセイコーは一時的に生産をストップすることになった。
休眠期間を経て、1988年にグランドセイコーから誕生したクォーツモデルが「SBGS003」である。耐温度特性、耐湿度特性、耐衝撃性に優れた高品質の水晶振動子を用いることで、一般的なクォーツよりもさらに高精度な、年差±10秒を実現している。

クォーツ。Cal.9587。日常生活用防水。当時の価格は14万3000円(税抜)。販売終了。
田原総一朗が着用しているモデルは、おそらく1988年から1990年代前半に購入したものであろう。「朝まで生テレビ!」が放送開始されてから1年が過ぎ、1989年に「サンデープロジェクト」が始まったばかりの頃だ。飛ぶ鳥を落とす勢いであった50代半ばの田原総一朗が選んだのが、ジャーナリストとして第一線を走る覚悟の現れともいえる、高精度のグランドセイコーだったというのも頷ける。
何十年も同じ朝食、同じルーティンを守り続け、「90歳まで働く」を有言実行どころか更新し続ける田原総一朗。その毎日を長年見守り続けているのは、世界に誇る高精度を実現したクォーツムーブメント搭載のグランドセイコーだったのだ。



