現在、腕時計の二次流通市場では、転売目的で特定のモデルに人気が集中した時代は過ぎ去り、スタイルや稀少性といった腕時計そのものが持つ価値へとシフトしつつある。好まれるデザインの変化や、ゴールドモデルの価格が二次流通市場で高騰しきらないことがその証左だ。だが、市場の力学はそう単純ではない。市場価格は地政学的な要因に今もなお左右されている。そして、ブランドによる二次流通市場への介入や相場可視化ツールの定着など、他の作用点までも見受けられる。ボナムズ香港で時計部門を率いるシャロン・チャンが二次流通市場に渦巻く力学から真に価値ある腕時計を探る。

Text by Sharon Chan(Bonhams Hong Kong)
[2026年3月15日掲載記事]
投機から審美眼の時代へ
2025年以降、二次流通市場の風向きは静かに変化しつつある。転売目的の買い手は次第に姿を消し、代わって美学や稀少価値をより重視する真のコレクターが目立つようになった。オークションハウスでの動向もこの変化を裏付けていると言えるだろう。ボナムズの腕時計オークションを例に挙げてみれば、出品物の選定は現在の市場が求める本質的な需要に応じているのである。その需要とは、スタイル、品位、稀少性、そして納得できる価格だ。

18Kホワイトゴールド製ケースに、ソーダライト文字盤を配したRef.116509は、現代のデイトナの中でも極めて入手困難なバリエーションとして知られている。さらに、印刷時のミスにより「COSMOGR APH」と文字が離れてしまった通称“APH文字盤”であり二重に稀少な存在だ。53万7400香港ドル(約1081万7862円、1香港ドル=20.13円、2026年3月15日現在、手数料込み、以下同)で落札された。自動巻き(Cal.4130)。18KWGケース(直径40mm)。
スポーティーからドレッシーへの回帰
二次流通市場の熱狂とも言うべきバブルから正常な状態への回帰は、「腕時計の美」を定義し直しているように見受けられる。2025年から2026年にかけて、好まれるデザインは無骨でスポーティーなものから、精緻で装いに映えるドレッシーなものへと移行しつつある。それゆえに、レクタンギュラーケースやシャンパンカラーのケース、そして天然石を用いた文字盤に、再び注目が集まっている状況だ。
Z世代はデザインコード、優れたプロポーション、そしてブランドの持つ伝統を以前にも増して重視。それらを備えたカルティエなどのブランドの人気は急上昇した。

メーカー出荷時の未開封状態では史上初めて二次市場に流通したと思われる、ホワイト・オパーリン文字盤のパテック フィリップ「グランド・コンプリケーション」Ref.5016P。当初は約360万〜600万香港ドルでの落札が予測されたが、それを上回る698万9000香港ドル(約1億4068万8570円)で落札された。手巻き(Cal.R TO 27 PS QR)。28石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。Ptケース(直径37mm)。
要するに、流行のモデルを追いかける時代は終わり、腕時計は再び個人の品位の象徴へと立ち返った。個人の腕時計コレクションは単なる資産ではない。その人のライフスタイルと深く結びつく、自身の審美眼を映し出す鏡のような存在である。
市場価値は必ずしも金相場と比例するわけではない
しかしながら、いくらそのような傾向にあるとはいえ、市場価値は品位のみによって決まるわけではない。ロレックスを例に挙げよう。2025年に金相場が急騰した際には、ブランドは原材料コストに対応しつつ、なおかつ稀少性とラグジュアリーな地位を維持するために、定価を繰り返し引き上げた。
興味深いことに、新品の定価や金相場の高騰は、必ずしも二次流通の価値に直結しない。ゴールドモデルといえども、中古市場での価格が爆発的に跳ね上がるわけではない。
その理由は極めて単純だ。二次流通市場での価値判断は、ブランド側のコストを反映するものではない。モデルの人気といった需要、そして文化的な価値によって成り立つからだ。ゴールドウォッチの本質的な価値は金相場にあるのではなく、記憶にとどまるに値するかにある、と言い換えられるだろう。
米国が相場を作り、アジアがその価値を裏付ける
二次流通市場での時計の価値は、個人の趣味だけが意味付けているのではない。このマーケットを動かす相場の論理は、地政学的な力学も大きな要因となる。意外なことに2026年で最もその動向に大きな影響を与えるのは、中国でもスイスでもなく、アメリカである。
そもそも、アメリカの二次流通市場は世界最大規模を誇る。それに加えて、トランプ政権によるスイス時計への高関税、そしてスイスフランに対するドル安という要因のために、新品価格が押し上げられてしまった。そのために、消費者は二次流通市場へと流れ込んできた。
この影響を受けて、世界中の販売業者も価格を上向きに調整している。現在、アメリカの二次流通市場は世界の市場価格の基準となった。香港、中東、ヨーロッパと、世界中のどの地域も米国市場の価格変動からは免れない。
アジア市場の役割も同様に重要だ。2024年、アジア太平洋地域は約250億ドル(約3兆9380億円、1USドル=157.52円)規模の中古市場を牽引した。
その大きな原動力は中国だ。中国市場は一度消費マインドが刺激されると、瞬く間にハイエンドモデルの相場を引き上げた。それを可能としたのは、優良な在庫を抱えつつ歴史的な円安に見舞われている日本市場からの供給があったからこそだ。すなわち、アメリカが相場の基準を作り出し、アジアの巨大な需要がその価格を裏付けるという構造が、2026年現在の二次市場をなおも導いている。
明瞭化される「個体」ごとの価値
加えて、認定中古制度や相場可視化ツールの普及、そして世界規模でのブランド主導による流通管理が徹底されるにつれ、買い手はブランドの知名度だけに注目することはなくなった。今や彼らが重視するのは、流通する個体の由来やコンディション、そして未来にわたる文化的な価値にある。
時計の価値判断は変わりつつある

2025年11月25日に開催された、ボナムズ香港の特別ウォッチオークションに出品された、カルティエのミステリークロック「モデルA」。1918年頃に製作された個体で、台座にはホワイトオニキスが使用されている。推定落札価格は、200万〜400万香港ドル(約4026万〜約8052万円)だったが、実際には635万4000香港ドル(約1億2790万6020円)で落札された。
2026年の時計の二次流通市場は、転売すべきモデルを探し出すという狂乱状態から、愛用と収集の対象となる腕時計を見つけるという本来の楽しみに立ち返りつつある。長期的な視点から見てみれば、激しく上下する相場の変動を乗り越え、時代を越えて残る腕時計は単に価格が高騰したものではない。記事中に挙げた、評価されるべき確かな理由があってこそ価値を持ち続ける。このように、腕時計の価値は、より理性的に判断されつつある。
著者「シャロン・チャン」プロフィール
シャロン・チャンは、アジアにおけるボナムズ時計部門のディレクターである。香港を拠点に、アジア太平洋地域の事務所と密接に連携し、同部門が年に10回開催するオークションの監督を務めている。

2017年から18年にかけて、シャロン・チャンはウォッチディーラーおよびクライアントコンサルタントとして独立し、専門家としての地位を築いた。その後、ボナムズに入社してオークションビジネスに復帰。豊富な経験と幅広い人脈を生かし、世界中のコレクターと強いネットワークを築きながら、アジアの時計市場拡大において重要な役割を果たしている。
これまで多くの国際的なオークションハウスでのジュエリーと時計のオークションビジネスにおいて、17年以上の経験を積み、2011年から16年にかけては、香港で時計オークションを指揮。売り上げを年々拡大し、13年にはアジアでの時計販売で最高額を達成した。また、世界最大級のプライベートウォッチコレクションの監督責任者を務め、15年のオークションで600万USドルという新記録を打ち立てた。



