昨年11月の、高市早苗首相の台湾有事を巡る国会答弁は、今なお尾を引き、日中関係を冷え込ませている。この影響は中国からの訪日客数に及んでおり、中国の景気減退も相まって、2026年3月の中国からの訪日客数は前年同月比56%減に。日本で活発に消費してきた中国人訪日客の激減は、高級時計市場にとって大きな逆風となるのか? 気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析する。

経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
【磯山友幸 公式ウェブサイト】http://www.isoyamatomoyuki.com/
Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト
Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2026年7月号掲載記事]
日本国内「インバウンド効果」の先行きに暗雲
今年3月に外国から日本を訪れた「訪日外客数」は日本政府観光局(JNTO)の推計によると361万人余りと前年同月に比べて3.5%増え、3月としては過去最多を記録した。前月も2月としては過去最多だったので、絶好調のインバウンドが続いているように見える。
ところが、中味を見ると大きな変化がある。中国からの訪日客が激減しているのだ。3月は前年の66万人から29万人に56%も減少、1月から3月の累計では、前年の236万人から107万人へと130万人近く減少した。京都などの観光地では、めっきり中国人観光客の姿が減り、欧米人が目立つようになった。
冷え込む日中関係と中国の景気悪化
高市早苗首相の台湾有事を巡る発言をきっかけにした日中関係の冷え込みで、中国政府が日本への渡航自粛などを呼びかけていることが主因だが、理由は日中関係の悪化だけではない。中国の景気が大幅に悪化していることも旅行客減少に拍車をかけている。トランプ米大統領による関税引き上げなど、中国製品がターゲットになり、中国製品の米国への輸出が大きく減少。中国の大きな収入源だった貿易による外貨獲得がままならなくなった。
中国から海外への渡航者が増えれば、輸入を増やしているのと同じ効果があり、経常収支の悪化要因になる。海外渡航の自粛によって、資金を海外に流出させるのを少しでも抑えようという思惑が政府にはある。それほどに経済状況は追い込まれている。
5月中旬にトランプ米大統領が訪中し、習近平国家主席と会談したが、中国は米国との関係を改善しないと経済がさらに悪化しかねないところにまで追い込まれていた。
中国国家統計局が5月18日に発表した4月の鉱工業生産は、前年同月比4. 1%増と3月の5.7%増から伸び率が鈍化。2023年7月以来の低い伸びとなった。また、小売売上高の伸びは0.2%増にとどまり、2026年3月の1.7%から大幅に鈍化。2022年12月以来の低い伸びとなった。
こうした中国の消費減退は、高級時計市場にも大きく影を落としている。スイス時計協会FHの輸出統計によると、中国本土向けの輸出額は2026年3月、前年同月比で4.2%増加したものの、2024年と比べると7.8%減の水準で、低迷が続いている。輸出額の順位としては、米国、フランス、英国、香港に次いで5位に後退している。国内消費の減退によって、高級品の売り上げも低迷しているわけだ。
中国人客の激減で落ち込む日本の時計市場
こうした中国の景気後退は、日本の高級時計の販売にも影響を及ぼしている。2026年3月のスイス時計輸出の日本向けは12.6%も減少し、順位では7位に沈んだ。1-3月累計ではまだトップの米国に続く2位市場だが、ここへきて息切れ感が強まっている。背景にあるのが日本への中国人インバウンド客の激減だ。
日本にやってくる外国人のうち、「買い物」にお金を落とすのは圧倒的に中国からの観光客であることが観光庁の「インバウンド消費動向調査」で分かっている。2025年の外国人旅行者によって消費された額は推計で9兆4549億円。そのうち21%に当たる2兆58億円が中国からの旅行者によるものだった。また、その内訳では、「買物代」が7619億円と圧倒的に多かった。ひとり当たりの「買物代」は9万1457円に上った。
逆に言えば、中国からのインバウンド客の激減によって、今後、インバウンド消費、特に「買物代」の減少が見込まれるわけだ。スイスからの輸入品を含む、高級時計・宝飾品に逆風が吹き始める可能性もある。
スイス時計の2026年3月の輸出先を見ると、フランスが72.4%増と大幅に増えている。順位は米国に次いで2位に躍り出た。ウクライナとロシアの戦争に加え、イスラエルとパレスチナ、イスラエル・米国とイランなどの戦争が終息する見込みが立たない中で、観光客の行き先が限られてきている。そうした中で世界最大の観光立国であるフランスはパリを中心に旅行者が集中しており、それが高級時計販売などの追い風になっている模様だ。
今後、日本国内での時計販売の行方を探るうえでも、インバウンド客の動向から目を離せない。



