松山猛・著『ちゃあい』より(1995年、風塵社刊)
茶芸館
「茶芸」というのは、日本の「茶道」にあたる言葉らしい。1980年ごろから、台北などの大都市を中心に「茶芸館」ブームが起きた。
茶の専門知識を持った人が、客の好みに応じ、良質の茶をいれてくれたり、また客自身が店にそろえられた道具で、自分好みの茶をいれ、仲間と談笑できる空間として人気を呼んだ。
中国社会には伝統的に、喫茶の場としての「茶館」「茶坊」といった商売があったが、「茶芸館」はもう少し高級な空間をねらい、経済成長期の台湾に登場したティー・ビジネスであった。
琴の音のBGMを流したり、少し上等な店では演奏家が伝統音楽を奏してもくれる。店内は中国の宮廷風あり、文人好みの書屋風だったり、竹を用いた田舎家風の店もあった。繁栄の生む余裕は、人をして伝統に回帰させる力を生むのであった。市中の茶葉屋では手に入りにくい、ごく少量しか採れぬ珍種や、厳選された茶葉が用意されていて、ほかにはバーにウイスキーを買い置くように、自分専用の茶を置く人もある。
「茶芸」には、日本の茶道のような、形式の美を尊び、精神の在るべき姿に至るといったところはないが、いかにして茶をおいしくいれるかというシステムがある。湯の温度や器のあたためかたを、手際よくする必要のなかから、独特のリズムが生まれる。そのリズムが心地よく見えるし、一種のそれは「芸」の領域に至るわけだ。
市中の茶芸館には、清朝風のノスタルジーや、ちょっとしたデカダンスがあって好ましい。だが台北で昼間、のんびりといい茶を飲みたいとき、僕なら故宮博物院へ足を伸ばして、その4階にある茶室「三希堂」へ出かけるだろう。故宮からのながめは良く、深い緑の山が心を落ち着かせてくれる。広々とした室内には、中国の工芸の粋が展示され、籠の鳥たちのさえずりもそこにはある。
ポットにすでにいれられた茶もあるが、自分で茶をいれたいと言えば、テーブルに道具と茶葉を運んでくれもする。
唐木のテーブルと椅子に、くつろいで座り、博物館専属の窯で焼かれた茶器で上等の茶の味と香りを楽しむ。同じ茶の楽しみだが、日本の喫茶との決定的なちがいは、椅子で味わうことである。
畳の上の茶道と、椅子の上の茶芸。どちらかといえば椅子に座り馴れてしまった自分をそこに感じるのだ。台北はもう酷暑の季節だろうな。でも「三希堂」は空調がきいて涼しい。ほんと明日にでも行きたい、と考えてしまう。