時計のマニュファクチュール都市、ラ・ショー・ド・フォンの発展の歴史(前編)

FEATURE本誌記事
2019.07.23

知られざる計画都市

150年ほど前、カール・ハインリヒ・マルクスにその存在を「唯一の時計マニュファクチュール」と言わしめた都市、ラ・ショー・ド・フォン。今もってなお、その形態を維持するスイスの代表的時計都市は、どのように発展してきたのだろうか。

ノーマ・ブキャナン:文 Text by Norma Buchanan
市川章子:翻訳 Translation by Akiko Ichikawa
この記事は 2012年4月発売の5月号に掲載されたものです。

 スイスには、街に降り立つとひと目で心を射抜かれるような都市が多い。例えば、ルツェルンは、フィアヴァルトシュテッター湖と、そこに架かる絵物語が描かれた屋根付きの木の橋の景観が素晴らしい。また、ベルンには中世から続く建物が並び、長い長いパサージュが特徴的だ。しかし、ジュラ山脈に位置する時計産業の中心都市のひとつ、ラ・ショー・ド・フォンは、いささか様子が違っている。その魅力は、他の景勝地のように風景ですぐに分かるわけではない。ところが、ひとたびその魅力を理解すると、目をみはるばかりだ。ことに時計を愛する者にとっては特別な意味を持っている。人口約3万7000人(2009年時点)のラ・ショー・ド・フォンは、今から2世紀前にすでに世界で最も重要な時計産業都市のひとつであった。20世紀初頭には、全世界の時計の半分はここから世に送り出されていた。そして、2007年には180社もの時計関連会社が存在し、6000人近くの従事者を有している。この数は、過去10年で60%ほど増加したデータだという。

ラ・ショー・ド・フォンの時計産業の始まりは17世紀にまでさかのぼり、現在も数多くのメーカーが本拠地を置いている。1955年創立のコルムもそのひとつだ。

 ラ・ショー・ド・フォンに本拠地を置く有名企業としては、ジラール・ペルゴやエベルなど、ここで創設されたメーカーや、近郊のマランから近年移設されたタグ・ホイヤーが挙げられる。そして、文字盤製造のモントレモや、エングレービングのクロナル、ケース製造のオレアードのほか、業界従事者以外は名も知らないような仕上げ専門業者やパーツ組み立て業者、さらに多くの関連会社が密接に結び付き、営業を行っている。針の製造会社ユニヴェルソや、ムーブメント製造会社のセリタなどもその一例だ。市街地の西部には急成長を遂げた工業団地があり、パテック フィリップ、ブライトリング、カルティエ、ユリス・ナルダン、ジャケ・ドロー、G&Fシャトラン(シャネルの時計製造を担当)、ラ・ジュウ・ペレ、その他のメーカーが工場を構えている。また、市内のそれ以外の区画にも、まだまだたくさんのブランドが日々活動中だ。コルム、ザ・ブリティッシュ・マスターズ(グラハム)、ジャンイヴ、アーネスト・ボレルなども時計愛好家にはおなじみだろう。

 鉄道でラ・ショー・ド・フォン駅に降り立つと、すぐにここが時計産業都市ということに気付くはずだ。駅構内のメインホールにあるのは、作業中の工員を描いた壁画。地元の画家ジョルジュ・ドスースラヴィの1951年の作品だ。この土地のアイデンティティは、時計産業とは切り離せないことが伝わる作風で印象深い。

カルティエの工房で作業中の時計師。ブランド自体はフランスなど他国のものでも、時計に関してはスイスのこの都市で製造するメーカーはいくつか存在する。

時計産業の父 ── ダニエル・ジャンリシャール

 さて、駅から外に出てみよう。駅前から続く道は、この都市の時計師の先駆者の名を冠した〝ダニエル・ジャンリシャール通り〞。1665年、ラ・ショー・ド・フォン近郊に生まれたジャンリシャールは、時計製造をジュラ地方に持ち込んだ者として、たびたび文献に登場する。10代にして時計修理の才能を見いだされたジャンリシャールは、若き日に当時すでに時計商売が盛んなジュネーブへ徒弟の旅に出る。修業が終わり、故郷に戻る時には、時計の工具や製作機械を持って帰った。そして、5人の息子と数多くの弟子たちに時計作りを教え、それぞれが後に巣立って自身の工房を構えている。ジャンリシャールの名声は、家内制手工業の時計製造における作業のチーム化に尽力したところが大きい。在宅勤務の労働者を作業内容によりグループ分けして従事させ、特殊なパーツの製造などを専門化し、他の業界には見られない独特の製造工程の進め方を極めていった。一般的な見解としては、これがいわゆるエタブリサージュ・システムの始まりとされている。それぞれのチームによって作られたパーツを組み合わせて時計を製造し、他社に納品する裏方としての操業が多いが、自社から完成商品として販売している例も少なくない。このシステムそのものが、スイス・ジュラ地方の時計産業を発展させたバックボーンなのだ。在宅労働者の多くは農業を営んでおり、時計産業の内職は、雪深いジュラ地方の農閑期に毎日の糧を生み出すものとして歓迎されたのである。そうした時期、農家では家族の何人かが時計製造に従事し、その間、他の者たちはレース製作を行うことがほとんどだった。たいていは女性の手によるレース製品も、この地方では時計と並んで外貨稼ぎの重要な産物であった。

 ラ・ショー・ド・フォンにはダニエル・ジャンリシャールのほかにも時計製作の偉人の名を冠した通りが数々ある。駅から2ブロック離れたところは〝ジャケ・ドロー通り〞。高名なオートマタ製作者だったピエール・ジャケ・ドロー(1721〜1790年)は、ラ・ショー・ド・フォン生まれだ。この地域から30分ほど離れたところにあるヌーシャテルで生まれた〝アブラアン‐ルイ・ブレゲ通り〞や、テンワやヒゲゼンマイに合金インバーとエリンバーという最高の発明をしたフルリエ出身のノーベル賞受賞者、〝シャルル‐エドゥアール・ギョーム通り〞もある。そして、時計産業都市の顔を持つ一方で、幅が広く時計の針のごとくまっすぐ伸びているメインアベニューには、時計界の偉人ではなく画家の名を冠した〝レオポルド・ロベール大通り〞となっているのも興味深い。しかし、1794年にラ・ショー・ド・フォンに生まれたルイ・レオポルド・ロベールは、現在ではほとんど忘れられた存在になっている。

ラ・ショー・ド・フォン 国際時計博物館

モダンな内装でも知られるラ・ショー・ド・フォン国際時計博物館(MIH)。古今東西の貴重なコレクションを有し、現代日本の作品も収められている。

 時計愛好家がこの都市に来て、おそらく最初に探したいのは、世界的に有名なラ・ショー・ド・フォン国際時計博物館だろう。建物は駅から徒歩数分の〝博物館通り〞にある。ここを率いるのはほかならぬルードヴィッヒ・エクスリン氏だ。物理学博士であり、熟練の時計師ならびに時計設計者でもあるエクスリン氏は、時計愛好家にはことに、ユリス・ナルダンから発表された革新的な天体時計3部作〝トリロジーコレクション〞や〝フリーク〞などの作者として知られた存在だろう。とてもモダンな現代建築の半地下の建物は1974年に落成。館内には世界中から集められた貴重なコレクションが収められており、時計の歴史が一望できるようになっている。懐中時計・腕時計などの小型時計から大型のクロックまで、所有数約3000点のすべては、博物館所蔵にふさわしいと認められた寄贈品だ。館内は、1日中いても時間が足りないほど充実している。

ラ・ショー・ド・フォン国際時計博物館の名誉館長であるルードヴィッヒ・エクスリン博士は、時計師のみならず、物理学者でもある。
 その中でもラ・ショー・ド・フォンと周辺地域の時計史を物語るものとして、特筆すべき作品がいくつかある。ダニエル・ジャンリシャールのフュジー式ムーブメントと、完成品の時計もその一例だ。また、ピエール・ジャケ・ドローの大型作品も展示されていて、そのうちのひとつは小さなオートマトンによるミュージシャンの自動人形だ。これは片手に楽譜を持ち、もう片方の手で指揮をしつつ、内蔵された8本のパイプにより8種類のメロディーが奏でられる。また、時計工場や家内制の工房での作業風景をさまざまに描いた19世紀の絵画も所蔵されている。自宅の工房をモチーフとしたものとして、〝時計師と家族〞と題されたセンチメンタルな作品もある。この絵には男性時計師と妻の間に天使のような顔つきの赤子が描かれており、テーマの正確なところは不明だとしても、みどりごイエス・キリストの聖家族像になぞらえたのは間違いなさそうだ。

オートマタを得意としたジャケ・ドロー作の置き時計。文字盤の下に自動人形が配される。

 ラ・ショー・ド・フォンに特化した時計として、ジョルジュ‐フレデリック・ロスコップの作品も1点所蔵されている。ロスコップは、1860年代に廉価版ムーブメントを考案し、ロスコップムーブメントは大いにその名を馳せた(大衆的な価格に設定され、彼自身が〝プロレタリアの時計〞と位置付けている)。ロスコップは1829年から1873年までラ・ショー・ド・フォンに暮らし、ピンレバー脱進機搭載の簡易構造ムーブメントは何百万個もの時計に使用された。これにより、市内の多くの時計産業従事者が潤ったのだ。一方、金額的にロスコップ時計の対極に位置する懐中時計の所蔵品を挙げると、四季をテーマにしたヴィンセント・ベラールの4点シリーズの作品〝キャトル・セゾン〞などもある。 博物館を出た足で、すぐ右側にある巨大なカリヨン時計(定刻に鐘が鳴る仕掛け時計)を眺めに行くのも愉しい。これは単にカリヨン時計というより、はるかに多くの仕掛けがある。動力に電気も取り入れ、大小の鐘を打ち鳴らして音楽を奏でるだけでなく、15分ごとにスティールパイプ上部の12色の蓋が開閉する間、人形がそれに合わせて踊るようになっているのだ。そして、時刻はレマン湖畔ニオン郊外のプランガンにある原子時計からのシグナルを受けて、デジタル式で表示される。このカリヨン時計の前では毎年、春夏にさまざまな催しがあり、観光客を喜ばせている。同時に、市民の待ち合わせ場所としても、よく使われているスポットである。

ジョルジュ-フレデリック・ロスコップ作の懐中時計。本人自ら“プロレタリアの時計”と標榜した通り、簡素な作りで時計の大衆化に大いに貢献した。