SDGs時代において「ラグジュアリー」はどのようなかたちで、これらと向き合っていくのか。実例を交えながら考える。

FEATURE本誌記事
2022.11.13

吉江正倫、堀内僚太郎:写真 Photographs by Masanori Yoshie, Ryotaro Horiuchi
野上亜紀、細田雄人(本誌):取材・文 Text by Aki Nogami, Yuto Hosoda (Chronos-Japan)


MOP文字盤に見る持続可能な時計製造

ここ数年、文字盤における需要の高まりと共に様変わりをしてきた素材のひとつとして、マザー・オブ・パールが挙げられる。養殖貝が主流となった今、マザー・オブ・パールの特質を生かし、ロスをも防ぐ画期的な方法が編み出された。

白蝶貝

右が20年ほど前の天然貝で、左が最近の養殖貝。現在の養殖貝は従来の4年半ほどの期間から3年の短さで浜揚げされるために薄く、23mm径ほどの文字盤しか取れない極小サイズとなった。本文で述べている干渉色の強さの違いも見て取れることだろう。

 自然にある素材をクリエーションに用いる場合、どれほど人の手がかかっているのかは、しばしば取り沙汰されることである。しかし資源の枯渇をはじめとするエコロジーの観点から鑑みた場合、素材を有用に使うための新技術は、今後不可欠なテーマとなるのではないか。

 そんなせめぎあいの局面を迎えている素材のひとつが、文字盤に使用されるマザー・オブ・パール(MOP)だ。ダイヤモンドとは異なり、日常でも手に取りやすい控えめな輝きは、レディスモデルにおいては昨今殊に需要が高まり、実に多くのモデルに採用されるようになった。

SBGX333

ワイ・ケイ・プレシジョンのアラゴナイト技術を活用した文字盤を採用する一例がグランドセイコーのSBGX333だ。控えめな光沢や貝の模様といったニュアンスは顔料を上から塗装していない証拠だ。クォーツ(Cal.9F61)。SS(直径38mm)。日常生活防水。世界限定500本。45万円。問/セイコーウオッチお客様相談室 Tel.0120-061-012

 MOPとは実のところ真珠層を指す。腕時計の文字盤に多用されているもののほとんどが白蝶貝である。白蝶貝は直径10〜20mmとなる珠の大きい南洋真珠の母貝となるが、近年時計の文字盤に用いるような良質の貝殻を手に入れるのが難しくなってきた。天然貝が希少となってきた現在、流通している貝の多くは養殖だが、そこで問題視されるようになったのが貝のサイズと色味である。最近はコストカットの観点から短時間で貝を浜揚げすることも多く、その結果、貝は小さくなった。そのため、養殖貝から男性用の大きさの文字盤を採取することが困難な事態を迎えることとなった。

 そして貝の小型化と共に変化を見せたのが色だ。真珠の色や輝きは、貝殻と同じ結晶の重なり(=真珠層)から生み出される。異物を分泌液で包み込み、真珠層が重なる原理を生かした方法が養殖真珠であり、貝殻で作った核と外套膜の一部を貝の体内に入れて真珠袋を作り、真珠層がそれを覆う仕組みを基盤とする。

ワイ・ケイ・プレシジョンの工房にある倉庫。天然貝の在庫も多数、確保している。オーストラリア産の天然貝は14~15年前から減少し、今は希少な存在となった。1トンあたりの金額は、かつての約4倍という。
白蝶貝

貝の縁に沿うように、垂直にカットされた使用済みの白蝶貝。天然の白蝶貝はP106左の養殖貝とは異なりサイズも大きいため、36mm近くまでの径を抜き取ることができる。肉厚のため大きいもので120~130枚ほどのスライスが可能。

 この真珠層そのものは、炭酸カルシウムの結晶であるアラゴナイトを主成分とし、タンパク質であるコンキオリンとレンガのように重なり合うことで構成される。光を反射して輝きを伴う干渉色と実体の色素、核を取り巻く有機質によって真珠の色は左右されるが、先のサイズダウンに伴い、この干渉色が強く浮き出るものが出回るようになった。干渉色が強いと、光で反射した際にピンクや緑などの虹色が生まれることとなる。これがいわゆる、MOP特有のギラツキだ。宝飾における真珠と時計におけるMOPの需要の大きな違いは、この干渉色による強い光沢を好むか否か。殊、高級時計においては、従来の天然貝のように控えめな光沢で、白い色調が良しとされてきた。

賀来氏自身で製作したという、アラゴナイト形成を行う機器を備えた専用のラボ。結晶は約45時間でおよそ10ミクロンまで育ち、最終的にそこから5ミクロンを研磨する。結晶は垂直に育たないため、約4時間に一度、平面をならす必要があり、目を離すことができない。

 そんなMOPの現状を打破するべく、新開発を手掛けた企業が、ワイ・ケイ・プレシジョンだ。同社の代表取締役である賀来勝彦氏は、20年以上にわたりMOP文字盤の製作を行ってきた、いわば先駆者のひとりである。その賀来氏が17年に完成させたのが、前述のアラゴナイトを貝の上に結晶化させるというアイデアだ。干渉色を抑えるためにこれまでは文字盤の表面を荒らしたり、上面に顔料を塗装したりする方法が用いられてきたが、その方法では白蝶貝本来の光沢や独特の表情を消してしまいかねない。そこでより自然なかたちで貝の特質を生かす方法を考えた結果、賀来氏は、色そのものの原因となるコンキオリンに目を向けた。貝によって色素系統は異なるが、タンパク質であるコンキオリンの含有量が多いと真珠の色は強くなる。故に貝の上にアラゴナイトを育成させて、干渉色を抑えるという発想だ。塩化マグネシウムと塩化カルシウム、炭酸水素ナトリウムを貝に極めて近い成分で配合し、貝の上にアラゴナイトを人工的に形成する。結果、光の屈折は抑えられ、色味をコントロールさせることに成功した。この方法を用いることで、リップ(縁)周辺以外の部分も使用可能となり、ロスも減らせるようになったのである。東京都立産業技術研究センターのアドバイスのもと、3年をかけて完成させたこのシステムにグランドセイコーが着目。20年の一部MOPモデルには、このアラゴナイト文字盤が採用されている。

現在はなかなか入手が難しくなった、天然の白蝶貝を収めたボックス。2003年に購入したものだが、当時は245kgもの量を購入できていた。現在は天然貝と聞いてドラム缶(200リットル)ほどの貝を購入しても、箱の下は実は養殖貝で埋められていることもあるとか。

 今後アラゴナイトに留まらず、貝の再利用法に関する新開発を予定しているという賀来氏。単なるコストカットに留まらない、真珠母貝という素材の特質をも護るという、そのアイデアに期待したい。(野上亜紀)

(上)アラゴナイト形成器に入れるため、スライスした白蝶貝を貼り付けたシリコンシート。写真は撮影用だが、本来は整然と隙間なく貝を貼り付けたのち、シリコンシート内の気泡を真空状態にすることで抜く。シートは塩化マグネシウムと塩化カルシウム、炭酸水素ナトリウムを特殊な方法で攪拌させる。結晶が完成しても最終的には時計の文字盤にふさわしい研磨が要となるため、アラゴナイト専用の研磨研究も進められた。(左)干渉色が強く出た養殖貝(左)と、それをアラゴナイト結晶で干渉色を抑えたもの(右)。

Contact info: ワイ・ケイ・プレシジョン Tel.03-6808-1560


最新エコロジカルプロダクト事情

「2030アジェンダ」が採択され、持続可能な開発を各国が目指すようになって以来、急速に増えつつある〝エコ〟をうたった製品。今回はその中でも特筆すべき取り組みをお伝えしよう。

トム フォード オーシャンプラスチック タイムピース

トム フォード「トム フォード オーシャンプラスチック タイムピース」
海洋プラスティックを使用したモデル。SSモデルでは3気圧だった防水性能が100m防水と大幅に向上した。尾錠はSSを使用する。クォーツ。オーシャンプラスティック(直径40mm)。100m防水。16万5000円。問/トム フォード タイムピース Tel.03-4360-5608

 持続可能な開発目標(SDGs)を掲げる「2030アジェンダ」が2015年に採択されて以来、目標達成のための努力は各国の政府だけでなく、企業にも求められるようになった。特にEUでは14年に「特定の大企業とグループにおける非財務および多様性情報の開示に関するEU指令」(2014/95/EU)が制定されていたことも、この動きを後押しした。同指令は年間平均従業員数が500人以上の企業は18年以降、CSRや環境保全といった非財務情報を開示する義務を負うというものだ。結果、スイスの大手時計ブランドは、18年に向けて工場や本社の動力をクリーンエネルギーで賄うようにしたり、収益の一部を植林活動や海洋保全活動に充てたりし始めた。こういった背景を考えれば、サステナブルや環境保全といったテーマを持ったプロダクトが販売されるようになったのは自然の流れと言えるだろう。

トム フォード オーシャンプラスチック タイムピース

「トム フォード オーシャンプラスチック タイムピース」では時計本体とストラップ以外に、ボックスにも海洋プラスティックを使用。また、外箱に再生紙を採用するなど、パッケージングでもエコを徹底した。ケース、ボックスともに質感は高い。

 環境保全の観点で言えば、汚染を食い止めることと同じくらい、汚染してしまった環境を浄化することも重要である。トム フォードの「トム フォード オーシャンプラスチック タイムピース」やユリス・ナルダン「ダイバー ネット」に見られる取り組みは、ふたつの観点をどちらも実現している点において、有意義だ。この2モデルはいずれも使用するプラスティック素材をすべて海洋プラスティック製とし、いわゆるバージンプラスティックは未使用という点で共通している。トムフォードはスイスを拠点とするTide Ocean社と共同でこのプロジェクトに取り組んでおり、主に東南アジアの海に漂うプラスティック廃棄物を回収し、前述のモデルの外装パーツやストラップ、さらにボックスに使用している。トム フォードによれば、同モデルが1000本販売されれば、約222kgのプラスティックが新規で製造されずに済むという。ユリス・ナルダンは海洋プラスティックの中でも、特に漁業中に海へ廃棄、もしくは紛失されることが多いナイロン製漁網に焦点を当てた。漁網がこのようなかたちで海に漂う前に、港から古くなった網を回収し、リサイクルするFIL&FAB社と提携。ダイバー ネットのケースと回転ベゼルを同社のリサイクルしたプラスティックで製作している。ストラップはこちらもTide Oceanによって編まれたものだ。言い方は乱暴だが、海洋プラスティックを二次産品の原料として成立させることができれば、海洋保全活動と持続可能な経済活動がイコールになる可能性も秘めている。

ダイバー ネット

ユリス・ナルダン「ダイバー ネット」
漁網のリサイクル素材を用いるモデル。風防には製造時の環境負荷を考慮してセラミックガラスが用いられる。自動巻き(Cal.UN-118)。50石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。100%リサイクルした漁網(直径44mm)。価格未定。問/ソーウインド ジャパン Tel.03-5211-1791
FIL&FAB

ダイバー ネットのケース素材を供給するのが、使用されなくなった漁網を港から回収し、ポリアミドペレット(ナイロン6)にリサイクルする活動を行うFIL&FABだ。同社によればこれまでフランスでは1年間に約800トンの漁網と約400トンのトロール網が使用されており、それらをリサイクルするための仕組みが確立されていなかったという。

 プラスティックに対する取り組みにおいて、他社とは異なるアプローチを取っているのがスウォッチだ。同社は20年に「従来の素材をすべてバイオ素材に置き換えることに成功した」と発表し、「バイオリロードの幕開け」をうたった。スウォッチはこのバイオ素材に関して詳細を明かしていないが、トウゴマ種子由来ということからヒマシ油を原料としたポリアミド11、もしくはそれに準ずる素材であることは間違いないだろう。つまりバイオリロードとは、従来スウォッチで使用していたプラスティックを化石原料由来のものから植物由来のものに変更したことを意味する。ところで、環境化学にはカーボンニュートラルという概念がある。これは植物由来の素材を焼却して二酸化炭素が発生したとしても、植物の時にその分の二酸化炭素を吸収しているため、二酸化炭素の総量は増加していないという考え方のことだ。今回のスウォッチが採用した〝バイオ素材〞がこれに当たる。腕時計は基本的に長期間にわたって使用し続けていくもののため、廃棄時に生じる二酸化炭素にまでメーカーが注力することはこれまでなかった。バイオリロードはいかにスウォッチが長期的な視点でこの問題について考えているかを証明している。ジャガイモとタピオカのデンプンで生成された生分解可能なボックスと梱包材でパッケージされている点も、同社の姿勢をよく示している。

スウォッチ

(左)スウォッチ「AM51」。システム51に追加されたバイオリロードモデル。自動巻き。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約90時間。バイオ由来素材(直径42mm、厚さ13.90mm)。3気圧防水。1万7000円。(右)スウォッチ「ISIKHATHI」。1983年の初代スウォッチを再解釈し、バイオ由来素材でよみがえらせたモデル。クォーツ。バイオ由来素材(直径34mm)。3気圧防水。8000円。問/スウォッチ コール Tel.0570-004-007

 腕時計を含むラグジュアリービジネスのプロダクトで、倫理的であるかを焦点にたびたび議題となるのが、革製品の扱いだ。腕時計では主にストラップに使用されるが、クロムを用いた「なめし」による環境への負荷や労働者の健康状態、さらには動物を殺めることの是非など、なにかと槍玉に挙げられやすい。対してLVMHグループは11年になめし工場のヘンロンを買収し、環境保護と労働環境を厳密に管理。さらに加工前の皮も、倫理基準の高いファームからのみ買い付けるようにした。また、シャネルは18年に家畜以外から革を採取しない方針を発表し、ワニやヘビ、トカゲといった爬虫類のレザーの使用を止めている。

ピニャテックス

ピニャテックスの原料となるパイナップルの葉から繊維を抽出し、洗浄と乾燥をさせた状態。この後、精製をして、植物由来の生分解性を持つポリ乳酸を18%、さらに10%のポリウレタンを混ぜてPiñafelt®(ピニャフェルト)と呼ばれるフェルトに加工される。
ピニャテックスオリジナル

ピニャフェルトに色付け等の仕上げを施すとピニャテックスが完成する。写真は「ピニャテックスオリジナル」と呼ばれる最もベーシックなもの。このほか、染色に使う顔料によって「メタリック」や「ミネラルズ」などのシリーズがラインナップされる。

 こういった近年の〝レザー離れ〞の流れが加速すると、代替素材の開発・採用に各社注力をし始める。サステナビリティをテーマにしたシチズンのブランド「シチズン エル」では、廃棄されたパイナップルの葉の繊維から作られた天然素材、Piñatex®(ピニャテックス)を一部のモデルのストラップに用いている。動物の殺生という倫理的な問題をクリアし、原材料の生産に追加の環境資源を使用せず、さらに軽くて耐久性に優れるピニャテックスはサステナブルウォッチのストラップ素材として理想的なものだ。

 サステナブルとエシカルを掲げたモデルはこの数年間で非常に増えた。しかし、その中から真のSDGsを目指したと言えるものが何割あるかは定かではない。もし仮に、あなたが腕時計選びにこれら要素を重要視するのだとしたら、単なるマーケティングとしてSDGsをうたったものでないかをしっかりと自身で調べる必要があるだろう。(細田雄人:本誌)

アンビリュナ

シチズン エルの「アンビリュナ」コレクションが採用するピニャテックス製ストラップ。同素材は475g/㎡という軽さと高い耐久性を併せ持つため、腕時計のストラップ素材として適している。本来、ピニャテックスはレザーに近い質感を持つが、掲載モデルのストラップではあえてパイナップルの繊維を残すことで、風合いを感じさせている。



自分の時計はエコ?未来を見据え、社会貢献活動に取り組むブランドの努力

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【インタビュー】H.モーザー CEO「エドゥアルド・メイラン」

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2021年 ショパールの新作時計まとめ

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