「分解しないと分からないことがある」時計師が語るメンテナンスの重要性

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2023.04.26

今回は銀座にある時計店、クロノセオリー東京で時計師として働く飯塚雄太郎氏が、実際の作業を通じて時計修理・メンテナンスの重要性について綴る。分解しないと判明しない場合も多く、不具合が出ていない場合でも、今後不具合が生じる“かもしれない”要素を見極めながら作業を進めることが重要と氏は語る。

メンテナンス

飯塚雄太郎:文・写真 Text & Photographs by Yutaro Iizuka
2023年4月26日掲載記事


時計師が語るメンテナンス事情

 メンテナンスに関することについて、クロノセオリー時計師の飯塚が執筆させていただくことになった。このような機会を与えていただき、大変光栄に思っている。

 私は今までお客さんと面と向かって話をする経験がなかったが、クロノセオリーに来て話をするようになり、次のような印象を持った。メンテンスについて聞きたいことがあるが、担当技術者と話す機会がなく、質問ができずに悩む方が想像以上に多いことである。

 そこで、ここでは実際の作業を通して、メンテナンス作業について綴りたい。また、技術者の工夫や苦労等も含めて、メンテナンスに対する理解が深まる一助になればと書くものである。


ヨルク・シャウアー エディション9のメンテナンス「シャウアー氏からのバトン」

 今回預かった時計はヨルク・シャウアーの「エディション9」だ。搭載するムーブメントは汎用のキャリバーETA7750であるが、細部にみられる仕上げはシャウアー独自の美が施されたモデルであった。

 本機は油の劣化のみで一見異常がなく、定期メンテナンスとして預かったが、当然ただ洗って組むだけで終わるわけもなく、将来的に大きなパーツの交換が必要となるような問題を抱えていた。

シャウアー

ヨルク・シャウアーの「エディション9」。一見不具合のないように見えるが……。

 


油の劣化が不具合の始まり

 油は経年と使用頻度によって程度や状態は異なるが、劣化するものである。使用頻度が高く、長い間愛用していると、キッチンのガス台の油汚れのような粘度の高い状態、もしくは乾燥した状態となってしまう。

このような状態で使用し続けると、歯車の軸の摩耗だけでなく時計全体の不具合につながってしまうため、メンテナンスではこれらの“汚れ”を除去することも重要な作業のひとつである。ただ超音波洗浄機で洗って、組むだけでよいわけではない。

 油がどんな状態だったかを見極め、写真のように木の棒を使い、歯車の軸穴にある劣化した油をこすり洗いする必要がある。こういった地味な手間と時間のかけ方が非常に大事なのだ。

研磨

写真はスイングピニオンのホゾ(軸)が入る穴の汚れを木の棒で除去している様子。


ムーブメントの仕上げが示すシャウアーの哲学

 キャリバーETA7750のプレートは通常銀色であるが、金色にすることでムーブメントの高級感をより高めている。

 加えて、シャウアーはネジにも力を入れている。キャリバーETA7750オリジナルのネジの頭(スリットのある部分)はフラットであるが鏡面ではない。それをすべてブラックポリッシュ(鏡面)、もしくはサテン、梨地(サンドブラスト)に……と場所によって仕上げ方を変えている。ここからも、シャウアーの美学が伝わってくる。

 そんな彼の魂を感じる時計のメンテナンスをご依頼いただき、感謝とともに時計師としての責任も感じていた。製作者の思いを、今後もお客様に届け続ける責任である。

ETA7750

きちんとした仕上げを行うと、ETA7750のような汎用機でも見栄えが良くなる。


たかがネジ、されどネジ!

 個人的に力を入れていることとシャウアー氏の美学が重なっていることがある。ネジに関してである。

 基本的にネジというのは、ドライバーによる開け閉めに伴いナメてしまう(“笑う”と表現される)ものである。それを最低限にすることは時計師として当然のことであるが、何度もオーバーホールすることでどうしても“笑い”は生じてしまう。仕方のないことである。

ネジ

上の写真のネジ頭に注目してほしい。マイナスネジの溝部分に光が反射している部分があるが、溝をナメてしまっている証拠だ。

 しかし、だからと言って放置してよいかどうかは疑問であり、修正できる技術者も必要と思う。そこで、クロノセオリーではネジの仕上げ直しをメンテナンス作業料金に含んでいる。また、納品時オーバーホールの過程を共有する際に(クロノセオリーではそうしている)お客様に喜んでいただけるので、私も喜んで作業している。

研磨

金属を梨地仕上げにするホワイトアランダム。高硬度のサファイアクリスタルの上にひく。

 今回の時計も例外でなく、シャウアーの美学が詰まったネジに“笑い”や傷が見られたため、再仕上げを行った。仕上げしたすべてのネジを紹介するわけにもいかないので、比較的難儀した梨地ネジの再仕上げを方法を含めて紹介したい。

 写真ではとらえにくかったが、ややスリット付近に光の反射の仕方の異なる部分が見えると思う。これがネジが“笑っている”状態である。それをまずは除去し、サファイアクリスタルにホワイトアランダムをまぜた油をひいて、ピンセットでつまみ擦ることで梨地仕上げとなる。

仕上げ

写真の通り、均一な梨地仕上げとなった。


修理、メンテナンスに求められる技術とそれまでの修練

 たまにあることだが、ムーブメント内部のネジ、ムーブメントをケースに固定する機留めネジ、ケースバックのネジなどは折れることがある。ネジが折れる理由はさまざまだが、どんな理由にしても折れて残ってしまったネジの除去は、時計師にとって、できれば作業したくないが身に着けておくべきスキルである。

ネジ

写真中心部、ネジの頭が折れてしまい、ネジ穴に埋まっている状態。

 このような折れたネジの除去作業工賃は、見積もり時点で把握していない限り、メンテナンス料金に含まれることは少ないのではないか。熟練した時計師であるほど簡単そうに、そして素早く作業してしまうことや、ネジ折れの原因の説明が困難であることから、料金に反映されないというのが現状だ。

 ある程度のレベルになるまで多くのことを考え、試し、工具を作り、それを繰り返していくことで身に着ける技術であるので、工賃が求められた場合にはお客様にはご理解いただきたいと思う。

ネジ

無事に折れたネジの除去が完了した。

 今回は分解時にネジを取り外そうと軽く回しただけで折れてしまった。ネジを締め付けすぎで折れることはあるが(外す時に)スムーズにいかないものである。原因を考えてもしょうがないので、作戦を立て、一通りの準備と戦略を練ったら作業開始。結果として、綺麗に取れたのであるが、ただ交換すれば済む話ではなく、仕上げされたネジを作らないとならなくなった。