玄人がジラール・ペルゴを選ぶ理由。歴史に裏付けられた魅力とは

FEATUREその他
2021.12.22

ジラール・ペルゴは1791年創業という実に豊かな歴史を持ち、日本とも縁の深い老舗。その理解を深めればブランドの魅力がより分かるようになるだろう。ジラール・ペルゴが多くの時計玄人から高く評価される理由に迫る。


老舗時計ブランド「ジラール・ペルゴ」の歩み

ジラール・ペルゴは、230年もの歴史を持つ老舗マニュファクチュールだ。輝かしい発展を遂げたブランドの歩みを見ていこう。

ジラール・ペルゴの始まり

ジャン=フランソワ・ボット

優れた時計宝飾加工師であり優秀な実業家でもあったジャン=フランソワ・ボット(1772-1837)。1791年にはひとつ屋根の下に製造工程のすべてを置く、この時代としては画期的だったマニュファクチュール会社をジュネーブに設立し、ジラール・ペルゴの礎を築いた。

1791年、当時19歳だったジャン=フランソワ・ボットがスイスのジュネーブに時計工房を設立し、ジラール・ペルゴの歴史は幕を開ける。ボットが手掛ける美しい時計は、世界の王族や貴族を魅了していた。

ボットの工房設立から半世紀以上が過ぎた1856年、コンスタン・ジラールがスイスのラ・ショー・ド・フォンに工房を開く。彼が1906年にボットの工房を買収したことで、現在のジラール・ペルゴのベースが築かれた。

ブランドの名は、コンスタン・ジラールとその妻マリー・ペルゴから付けられたものだ。

コンスタン・ジラールとマリー・ペルゴ

1854年に結婚したコンスタン・ジラール(1825-1903/左)とマリー・ペルゴ(右)は、1856年、ラ・ショー・ド・フォンに工房を設立。さらに彼の義兄弟であるアンリ(1828-1893)とジュール・ペルゴ(1838-1903)はさまざまな都市に商館を構え、欧州を超えて広く海外にまでスイスの時計産業を広めることに尽力した。

「スリー・ゴールドブリッジ」による技術革新

スリー・ゴールドブリッジ・トゥールビヨン「エスメラルダ」

1867年、コンスタン・ジラールはスリー・ゴールドブリッジ付きのキャリバーを発表。その後も改良が続けられ、1889年のパリ万国博覧会ではこれを搭載した時計が最高の評価を受ける。写真は1889年に製造されたスリー・ゴールドブリッジ・トゥールビヨン「エスメラルダ」。

コンスタン・ジラールは、後に伝説のモデルと称される懐中時計を1867年に世へ送り出している。3つの橋と円がきれいに並ぶデザインを備えた、「スリー・ゴールドブリッジ」付きトゥールビヨンモデルだ。

調速機構を組み込んだケージが回転するトゥールビヨンは、製造難易度が高い複雑機構である。

卓越した技術と構造の美しさがひと目で分かる優れたデザインにより、この懐中時計が発表された年のパリ万国博覧会では金賞を受賞した。メゾンに大きな名声を与えた時計といえよう。

ジラール・ペルゴの偉大な技術革新は、現代でも続いており、2013年に発表された「コンスタント・エスケープメント L.M.」では、機械式時計が長く課題としていた「精度を安定的に保ち続けること」を解決した。

コンスタント・エスケープメント L.M.

2013年に発表された「コンスタント・エスケープメント L.M.」。シリコンが持つバネ性を活かした新たな機構を備え、機械式時計における長年の課題であった、安定した精度の持続を具現化した革新的モデルだ。

クォーツ時計の発展に貢献

ロレアート
ジラール・ペルゴは1971年、スイスでいち早くクォーツムーブメントの自社開発に成功。これを搭載した最初期のモデルのひとつが、1975年に誕生した「ロレアート」だ。3万2768Hzの振動数は、その後のクォーツムーブメントの基準となった。

ジラール・ペルゴの歴史を語る上で外せないのが、クォーツ時計発展への貢献だ。日本のセイコーが、世界初とされる量産型クォーツ腕時計を1969年に発表した同時期に、ジラール・ペルゴもスイス初となるクォーツ腕時計の量産を開始している。

当時のセイコー製クォーツ腕時計「クオーツアストロン」の振動数が毎秒8192Hzであったのに対し、ジラール・ペルゴ製クォーツの振動数は毎秒3万2768Hzに達していた。この振動数は、現在のクォーツ時計における標準値である。

クオーツアストロンが世界中で反響を巻き起こしたこともあり、ジラール・ペルゴのクォーツ時計は陰に隠れた存在となっていた。しかし、クオーツアストロンに比べてはるかに高精度なクォーツ時計を作っていたジラール・ペルゴも、クォーツ時計の発展に大きく貢献していたのである。


日本とジラール・ペルゴの関係性

ジラール・ペルゴは日本と深い関係を持つ時計ブランドである。日本における時計の普及に一役買った功績を知っておこう。

初めて輸入されたスイス時計

ジラール・ペルゴは、日本に初めて正規輸入されたスイス時計ブランドだ。コンスタン・ジラールの義弟フランソワ・ペルゴが、スイス時計を売り込むため、幕末の1860年に初来日している。

現在の中華街にあたる横浜の外国人居留地に販売店を構え、ジラール・ペルゴの懐中時計をはじめとしたスイス時計を取り扱っていた。1864年には日本とスイスの間で通商条約が結ばれ、スイス高級時計を正式輸入できるようになる。

1877年に日本で生涯を終えたフランソワ・ペルゴは、現在も横浜外国人墓地で眠っている。ジラール・ペルゴと日本は現在に至るまで良好な関係を保っており、2020年には日本上陸160周年記念モデルが限定販売された。

フランソワ・ペルゴの功績

フランソワ・ペルゴ

1864年にスイス派遣行使と朝廷幕府が友好通商条約を結ぶ以前に来日し、時計販売を営んでいたのが、マリー・ペルゴの弟であったフランソワ・ペルゴ(1834-1877)。横浜に設立した自身の会社F.ペルゴ・アンド・カンパニーは、懐中時計と置き時計のほか、宝飾品の輸入、さらには修理や歩度調整も行う、日本で唯一のジラール・ペルゴ正規代理店となった。

フランソワ・ペルゴが初来日した当時の日本は、「不定時法」と呼ばれる時刻制度の中で人々が生活していた。不定時法とは実際の日の出と日没から30分後を「明け六つ」「暮れ六つ」とし、昼夜の時間を区分する方法である。

一定の時を刻む時計がなじまない日本では、そもそも時計自体が普及していなかった。フランソワ・ペルゴは異国の地で生き残るために、時計だけでなく清涼飲料水やワインなども販売してビジネスを多様化させていた。

1873年の文明開化で定時法やグレゴリオ暦が導入されてからは、日本でも時計が生活必需品となっていく。フランソワ・ペルゴは多くの人々に懐中時計を届け、日本における時計の普及に大きな功績を残したのだ。


ジラール・ペルゴが愛好家に評価される理由

精密な内部機構と独特なデザインが、ジラール・ペルゴの評価を高めている大きな理由だ。その魅力について詳しく解説する。

自社一貫生産による精密な内部機構

ジラール・ペルゴは創業以来、自社一貫生産にこだわっているマニュファクチュールブランドだ。すべての工程において、熟練した職人の手作業によって時計が製造されている。

スイス高級時計メーカーの中には、他社にパーツやムーブメントの製造を依頼したり、製造工程の多くを機械化したりしているメーカーも少なくない。ムーブメントから時計の完成まで、手作業を中心に自社で工程を進めるメゾンはごくわずかしか存在しないのである。

卓越した職人技で生み出されるジラール・ペルゴの内部機構は、高い精度を誇るだけでなく繊細なデザインも楽しめる。同業他社に提供しているムーブメントもあるほどだ。マニュファクチュールブランドならではの優れた品質こそが、時計愛好家たちを魅了しているのだ。

独特な存在感を持つモダンなデザイン

ヴィンテージ 1945

1940年代に誕生した手巻き式の角型腕時計(写真)は、1995年に「ヴィンテージ 1945」として復活。その後は、ジラール・ペルゴの代表的コレクションのひとつとして、多彩なモデルを展開し続けている。

モダンなデザインの中にアンティークの要素を残すコレクションが多いことも、ジラール・ペルゴが持つ魅力のひとつだ。メゾンの歴史と革新性が組み合わされ、独特の存在感を放っている。

例えば、ジラール・ペルゴの中核を担うコレクションのひとつ「ヴィンテージ 1945」は、レクタンギュラーケースに伝統とモダンの融合が見られる。アンティークな雰囲気を残しながら、現代的な意匠を凝らした個性あふれるコレクションだ。

華美な装飾が少ないため行きすぎた主張を抑えられる点も、特筆すべき特徴といえるだろう。モダンとアンティークのどちらにも偏らない、唯一無二のデザインで男らしさを格上げできるブランドである。